渋江内膳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/11 14:22 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動渋江 内膳(澁江 内膳、しぶえ ないぜん)は、戦国大名・久保田藩主佐竹家の重臣である渋江家の当主が代々襲名した通称のひとつ。
『秋田武鑑』によると、江戸時代を通じて以下の人物が「内膳」を名乗っている。他の当主は「宇右衛門」を名乗った者が多い。
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渋江内膳(しぶえ ないぜん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 02:04 UTC 版)
「雪の峠・剣の舞」の記事における「渋江内膳(しぶえ ないぜん)」の解説
佐竹家近習頭。合理的な思考の持ち主でかなりの切れ者だが、何事も理屈で判断しようとするきらいがあり、また喧嘩が嫌いでのんびりした性格をしている。当主・義宣の腹心として、築城場所に窪田を推す。関ヶ原の合戦に際しては、重臣たちの間で東軍支持の声が高まる中、戦後に常陸領が徳川からどう扱われるか懸念を表明し、川井から「訳の分からんことを」と一蹴された。まだ年若い上に、元々は素性の知れない食いつめ者であるため、家柄を重んじる重臣たちからは快く思われていない。
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