明治初期の久保田藩・岩崎藩
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「秋田県」の記事における「明治初期の久保田藩・岩崎藩」の解説
明治2年(1869年)6月17日(7月25日) - 久保田藩主佐竹義堯が版籍奉還し、久保田藩知事に就任する。久保田城は陸軍省の管理下に置かれ、政庁は三ノ丸下中城の渋江内膳邸(後に新築された佐竹義堯邸)へ移る。 6月 - 久保田新田藩が岩崎藩へ移転改称。 10月 - 岩崎藩が久保田藩保証の下で、高知藩を通じオランダ・アテリアン商会から15万5千両を借り受け、蒸気船「八坂丸」を購入し国際貿易に着手しようとする。八坂丸が回航中に難破したこともあってこの事業は失敗し、最終的に久保田藩が33万4千両の不渡りを出して国際問題になる(八坂丸外債事件)。 明治3年(1870年)2月24日(3月25日) - 岩崎藩主佐竹義理が版籍奉還し、岩崎藩知事に就任する。 明治4年(1871年)1月9日(2月27日) - 久保田藩が政府へ藩名変更の願書を提出する。理由は、当地方は古来「秋田」と呼ばれたものであり、「久保田」は300年来の称とはいえ一小村の俗称に過ぎないことから。 1月13日(3月3日) - 久保田藩を秋田藩と改名。 4月 - 岩崎藩が岩崎藩陣屋を建立。
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