大塚綱久とは? わかりやすく解説

大塚綱久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/22 01:20 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
大塚綱久
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 不明
官位 掃部助
主君 佐竹義舜結城顕頼
氏族 大塚氏
吉久、為久
テンプレートを表示

大塚 綱久(おおつか つなひさ)は、戦国時代武将佐竹氏白河結城氏の家臣。常陸国羽黒山城代。

略歴

永正2年(1505年)、佐竹義舜に背いて結城顕頼に従い羽黒山城代となった。天文年間の始めの6月9日、佐竹義篤渋江内膳を将として常陸境関渡に押し寄せ、綱久は斑目広基、河東田大膳らと共に防戦に努めたが、衆寡敵せず戦死し、関渡は佐竹氏の手に陥った[1]

大塚氏は綱久のあと三代に渡って羽黒山城を治めていたが、永禄7年(1564年)、綱久の子・為久の代に佐竹氏に攻められ落城した。その後、為久[2]天正6年(1578年)に陸奥石川氏の一族の浅川氏の浅川城を攻めた際に弓で射られ、討死した。

脚注

  1. ^ 『白河結城家とその家臣たち』
  2. ^ 兄の吉久とする史料もある。




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大塚綱久」の関連用語

大塚綱久のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大塚綱久のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大塚綱久 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS