画論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 14:14 UTC 版)
董其昌が『画旨』・『画禅室随筆』において展開した説は明代の代表的な画論となり、後世に大きな影響を残している。 南北宗論は南宗文人画の正統を示し、その祖を唐の王維まで遡り、董源・巨然・米家父子へ続き、元末四大家を称揚し、文徴明らの呉派を嫡流とすることで自らの立場を正統とした。一方、北宗院体画を貶める内容であるため尚南貶北論とも呼ばれ、その恣意性を指摘されることもある。なお、莫是龍の『画説』にもほぼ同じ南北宗論が掲載されていてどちらがオリジナルであるか明確には決着していない。 元末四大家の中でとりわけ倪雲林の古淡・幽淡な画趣を第一とし、山水は平淡天真であることを理想に掲げているが、このあたりに禅の影響がみられる。山水画は着色を用いず、水墨のみで描くことを提唱している。 この他に山水画の必須条件として雲烟を挙げていることに注目される。山水に雲烟を描いたのは唐代に江南で活躍した王墨を始めとし、董源に継承され、米芾が溌墨の技法を完成させたものとしている。北宋の米芾が「王維の画は刻画であるので学ぶ必要はない」としていることに納得せず、王維の真筆を探し求め、ついに『江山雪霽図巻』に出会って自らの信念が正しかったことを確認して大いに感動している。この作品には墨の濃淡を使い分ける渲淡の技法が用いられていたのである。 また六朝時代の造化論を一歩進めた。画の六法のひとつである気韻生動について従来気韻は天賦の才であるとされてきたところを「万巻の書を読み万里の路を行けば自ずと胸中に自然が映し出ようになる」とした。さらに「画家は最初古人を師とするが、のちには自然を師とする」としている。これらの説は後世の文人画家の創作の標となった。日本でも富岡鉄斎が座右の銘として実践している。 董其昌の画論を総じていえば古画名品の実践的研究から文人画に理論的な根拠を与えたものということができる。
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