長谷川如是閑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 02:28 UTC 版)
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注釈
- ^ 父・山本徳治郎は後に浅草に「花屋敷」を開業している(現在の「浅草花やしき」)。
- ^ 兄・笑月の著書『明治世相百話』は、中公文庫で新版刊行
- ^ 当時の大阪朝日は、進歩派の鳥居と保守派の西村天囚の対立が激化しており、親鳥居派の如是閑が西村批判を展開したため、社は一挙に鳥居体制に傾いたといわれている。
- ^ このときの記事を集成したものが『倫敦! 倫敦?』である。
- ^ 『我等』は大正から昭和初期の高級評論雑誌。朝日を退社した如是閑が1919年(大正8年)2月に大山や井口孝親らと我等社をたちあげ創刊した。丸山幹治、伊豆富人、大庭柯公らが参加している。
- ^ 大山はのちに左翼政治家に転身。労働農民党委員長、新労農党の衆議院議員などとして活躍した。
- ^ 政治学者の櫻田淳が如是閑の「職人の国」論にもとづいた業績を高く評価している。
出典
- ^ “長谷川如是閑 はせがわにょぜかん”, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典, Britannica Japan, (2014)
- ^ “おおはらしゃかいもんだいけんきゅうじょ【大原社会問題研究所】”, 世界大百科事典 (2 ed.), 平凡社
- ^ a b 「長谷川萬次郎」『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』152頁。
- ^ 『政界往来』第48巻、政界往来社、1982、p71
- ^ a b c d e f g h i j k 松岡正剛の千夜千冊「長谷川如是閑”倫敦! 倫敦?”」
- ^ 『学員名簿』中央大学学員会、1927年12月、p.41
- ^ 三浦一郎『世界史こぼれ話5』(1977)p.99
- ^ 『官報』第5748号、昭和21年3月14日、p.109
- ^ 田中浩, “長谷川如是閑 はせがわにょぜかん”, 日本大百科全書(ニッポニカ), 小学館
- ^ “長谷川 如是閑 ハセガワ ニョゼカン”, 20世紀日本人名事典, 日外アソシエーツ, (2004)
長谷川如是閑と同じ種類の言葉
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