丸山幹治とは? わかりやすく解説

丸山幹治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/07 00:55 UTC 版)

丸山 幹治(まるやま かんじ、1880年明治13年〉5月2日 - 1955年昭和30年〉8月16日) は、ジャーナリスト政治評論家侃堂

略歴

長野県埴科郡清野村(現長野市)の農家に生まれる。1901年東京専門学校(現・早稲田大学)邦語科行政科卒業、日本新聞に入社、翌年青森新聞主筆となり、日露戦争中に日本新聞に復帰し従軍記者となる。1906年京城日報編集長を務め、1909年大阪朝日新聞社入社。「天声人語」を執筆。のちニューヨーク特派員、通信部長を歴任。1918年には白虹事件のため、長谷川如是閑らとともに退社。 1928年大阪毎日新聞社に入社し、コラム「硯滴」を担当。まもなく東京日日新聞に移り、1953年まで短評論「余録」を担当。1930年ロンドン軍縮会議で政府全権が軍艦の対英米保有率に関し譲歩した際、枢密院が批准を延引したことに対し、丸山は枢密院を論難した。1954年「余録」が評価され、日本新聞協会から新聞文化賞を受賞。

家族

著書

単著

共著

参考文献

  • 宝月圭吾編 『長野県風土記』 旺文社、1986年
  • 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年
  • 堀真清「侃堂丸山幹治-忘れられた政論記者-」河原宏編『日本思想の地平と水脈』ペリかん社、1998年、所収

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