丸山廃寺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/31 02:53 UTC 版)

丸山廃寺跡(まるやまはいじあと)は、愛知県岡崎市丸山町上地畑に所在する古代寺院跡。
概要
丸山廃寺跡は乙川右岸の標高約30mの段丘上に位置する古代寺院跡で、北野廃寺との密接な関係が指摘されている[1]。
歴史
- 7世紀:北野廃寺と同笵の軒丸瓦が使用され、ほぼ同時期に創建された推定される[2]。
- 8世紀:瓦塔の屋蓋部が出土していることから、この時期にも造営活動が継続していたと推定される[2]。
- 中世以降:廃寺となり、第二次世界大戦後は岡崎市立美川中学校の校地となった[3]。
伽藍配置と遺構
寺院の規模は南北150-200m×東西約100mと推定され、以下の遺構が確認されている[2]。
遺構 | 内容 | 現況 |
---|---|---|
溝跡 | 南北方向の区画溝 | 1995年調査で確認 |
礎石 | 円形刳り込みがある | 加良須神社に移設 |
出土遺物
関連遺跡
文化的意義
- 北野廃寺との関係:同笵瓦の使用から、西三河における仏教伝播の拠点ネットワークが想定される[2]。
- 古代集落との関係:ハサマ遺跡の建物方位が寺院と一致することなどから、寺院に従属する集落と推定される[5][2]。
調査歴
脚注
- ^ a b “愛知県岡崎市丸山村丸山廃寺”. 日本歴史地名大系. 平凡社. (1981)
- ^ a b c d e f g h “三河の古代集落と寺院”. 名古屋大学考古学研究. (2020) .
- ^ a b “愛知県文化財年報”. 愛知県. 2023年11月25日閲覧。
- ^ “西尾市古新田遺跡出土瓦の再検討”. 愛知県埋蔵文化財センター研究紀要. (2006) .
- ^ a b “建物方位でみる西三河の古代集落”. 愛知県埋蔵文化財センター研究紀要. (2003) .
- ^ “岡崎市歴史的風致”. 岡崎市. 2023年11月25日閲覧。
- ^ “まるやまこふんぐん丸山古墳群”. 岡崎市. 2023年11月25日閲覧。
関連項目
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