舞木廃寺跡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 舞木廃寺跡の意味・解説 

舞木廃寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 03:57 UTC 版)

舞木廃寺塔跡

舞木廃寺跡(まいきはいじあと)は、愛知県豊田市舞木町丸根にある奈良時代古代寺院跡。舞木廃寺跡が、1929年昭和4年)に史跡に指定された[1]

概要

舞木廃寺は、7世紀の後半に造られ平安時代まで存続した古代寺院と考えられ、猿投山麓の丘陵地に位置し、地名からこの名で呼ばれるが、寺院の正式名称は不明である。奈良時代須恵器などの遺物が多数出土しているが、本格的な発掘調査は行われていない。単弁六弁蓮華文のは、岡崎市にある北野廃寺のものと同笵関係にあるとされる[2][2][3]

寺院の伽藍配置は不明だが、現存するのは花崗岩製の心礎のみで、直径1.6メートル、中央に直径15センチほどのほぼ円形の舎利孔が穿たれている。この心礎を囲むように3個の礎石が残されている。この時期の塔礎が良好な状態で残存している例は極めて少なく、貴重な遺構である。塔跡以外の遺構は都市化の影響で著しく破壊されており、2002年に豊田市教育委員会が実施したトレンチ調査でも有意な発見はなかった[2][3][4][5]。現在、遺構は埋め戻されており、地上に目立った遺構は見られない[2]

アクセス

最寄りの交通機関は、名鉄三河線豊田市駅からとよたおいでんバス舞木バス停で下車、徒歩10分[3][2]

脚注

  1. ^ 舞木廃寺塔跡”. 文化庁. 2020年8月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e 磯村, 幸男; 酒井, 英夫 (2012). 国指定史跡事典. 学生社. ISBN 4311750404 
  3. ^ a b c 舞木廃寺塔跡 (まいぎはいじとうあと)  <時代>飛鳥時代  <地域>西三河”. 愛知県総合教育センター. 2024年7月18日閲覧。
  4. ^ 舞木廃寺塔跡”. 文化財ナビ愛知. 2024年7月18日閲覧。
  5. ^ 西尾市古新田遺跡 出土瓦の再検討”. 愛知県埋蔵文化財センター. 2024年7月18日閲覧。

関連項目

外部リンク

座標: 北緯35度08分44秒 東経137度10分11秒 / 北緯35.14556度 東経137.16972度 / 35.14556; 137.16972




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  舞木廃寺跡のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

舞木廃寺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



舞木廃寺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの舞木廃寺跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS