瓦塔
主名称: | 瓦塔 |
指定番号: | 493 |
枝番: | 01 |
指定年月日: | 1994.06.28(平成6.06.28) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 埼玉県美里町東山遺跡出土 |
員数: | 1基 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 本件は、平安時代初めの集落遺跡から出土した、素焼き土製の瓦塔と瓦堂である。 東山遺跡は、上武山地末端に連なる丘陵上に位置し、現水田面からの比高二〇メートルを測る。昭和五十一年、関越自動車道建設の土採り工事に先立つ発掘調査が行われ、旧石器時代から縄文時代の遺物、および平安時代の竪穴住居跡、掘立柱建物跡等が検出された。 瓦塔・瓦堂各一基は、同時期と考えられる四棟の掘立柱建物跡のうち、四号と称された規模二間一間の建物跡周辺から、破片の状態で出土した。これら瓦塔・瓦堂は、その破片が建物跡の柱穴内からは出土していないことから、この建物内部に安置されていた可能性がある。 瓦塔は、三間五重本瓦葺【ほんがわらぶき】で、欠失した部品を含めて二十一箇の部品から構成される。水煙・九輪の部分は小片が残る程度だが、軸部と屋根部は遺存状態がよい。また瓦堂は、桁行三間・梁行二間の二重入母屋造り本瓦葺で、金堂と考えられ、四箇の部品から構成される。構造的には、いずれも地長押の表現はなく、二重基壇風の基礎をもち、初重の四面に扉を表現して、初重軸部を二重軸部以上よりも極端に高く表現する、初重軸部は柱・斗〓【ときよう】がみられるが、二重軸部以上では省略される等の特徴がある。 瓦塔の出土例は、全国で約二〇〇例ほど知られているが、全形を復元できるものは極めて少ない。本件は、瓦塔に加えて瓦堂が組み合い、その全体形状・製作技術が具体的に検討できる点、出土状態が明確で、地方における古代仏教受容の様相をよく示す点等、高い学術的価値をもつものである。 |
瓦塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/15 13:47 UTC 版)
瓦塔
瓦塔(がとう)は、奈良時代から平安時代にかけて作られた、五重または七重の木造建築の塔を模した焼物製の塔である。高さは1.5 - 2メートル程度である。
概要
奈良時代から作り始められ、平安時代初期に盛んに作られた。土師質または須恵器製の小塔であるが、屋根、柱、組物などは木造塔のそれを模して表現されている。長野県塩尻市菖蒲沢窯跡出土の瓦塔(奈良時代)は高さ2.3メートルで、日本最大の瓦塔である[1]。多くの瓦塔は出土した破片を組み上げて五重塔に復元されているが、千葉県印西市馬込遺跡出土の瓦塔(2基)は七重塔に復元されている[2]。
瓦塔の正確な用途はわかっていないが、仏塔の代わりであったという説や、仏舎利、経典、仏像などを納める厨子として使用されたという説がある[3]。
埼玉県美里町東山遺跡からは平安時代初期の瓦塔(五重塔)と、入母屋造重層の金堂をかたどった「瓦堂」が共に出土している[4]。
展示施設
長野県の塩尻市立平出博物館には、瓦塔館がありl、市内の菖蒲沢窯跡から出土した瓦塔が展示されている。
ギャラリー
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萩ノ原遺跡瓦塔
千葉県市原市。市原歴史博物館展示。 -
小谷遺跡2号瓦塔
千葉県木更津市。木更津市郷土博物館金のすず展示。
文献
- 出河裕仁「信濃の瓦塔再考」『信濃』47巻4号、1995年
- 高崎光司「瓦塔小考」『考古学雑誌』74巻1号、1989年
脚注
- ^ 菖蒲沢瓦塔 信州の文化財
- ^ 『広報いんざい』2006年1月15日号
- ^ “常設展示品キャプション集”. 神奈川県立歴史博物館 (2016年5月). 2022年12月4日閲覧。
- ^ 瓦塔・瓦堂(文化遺産オンライン)
外部リンク
瓦塔と同じ種類の言葉
- >> 「瓦塔」を含む用語の索引
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