東村山市多摩湖町説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 03:09 UTC 版)
東京都東村山市多摩湖町に比定地を求める説。比定地は多摩湖の東側にあたる多摩湖町一帯。 この説は昭和9(1934年)に悲田処設置と同年代の「瓦塔」と呼ばれる瓦製の五重塔が出土し、布施屋には必ず附属したという薬師寺の跡地ではないかと思われたこと、この地に狭山丘陵を越える古道が実際にあることから発生した。 しかし同地区は北に立ちふさがる狭山丘陵が非常に急峻であるとともに、古道と伝えられる道も丘陵内で最も深い谷と丘を3つも越えなければならないなど、とても人の往来に適した環境にあるとは言い難い。また北山公園などの湧水地が集中的に多数存在することから、当時は相当深い湿地帯で通行は非常に困難であったと予想される。療養所ならばともかく一時的な救護施設である以上、近くにある程度の人通りがあることが必要条件であることを考えると、設置場所として適切か否か首を傾げざるを得ない。また考古学的にも有力な証拠が出ておらず、今も結論は出ていない。
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