たかせ‐がわ〔‐がは〕【高瀬川】
高瀬川
高瀬川は源を青森県上北郡七戸町の八幡岳に発し、東流して七戸町付近で作田川等の支川を合わせ小川原湖に至り、砂土路川、土場川等の支川を湖内に集め、さらに北流して高瀬川放水路を分派し、太平洋に注ぐ流域面積867km2、幹川流路延長64㎞の一級河川です。 |
太平洋から望む高瀬川 |
河川概要 |
| ○拡大図 |
1.高瀬川の歴史 |
"高瀬川の河川名の由来は、小川原湖の水が海に注ぐ浅い水路という意味の「タカセ」であると言われています。 小川原湖とは、高瀬川河口から約6㎞に位置する湖であります。その湖の成り立ちは、約3千年前頃と言われており、入江が海面低下と海岸の砂丘・砂州の発達により形成された海跡湖であります。" |
高瀬川と小川原湖の成り立ち |
小川原湖の名称の由来は、アイヌ語で言われる「廻り回る」という意味の「オカラ」「オカリ」「オカルル」から「オカラ」となり、その後「小川原」「小河原」の文字が当てられ小川原湖と呼ばれたと言われています。 ※広辞苑では[回す=廻す]・・広く行き渡る[回る=廻る]・・働く、自由になる、行き渡る、利息がうまれる、利益になるなどの意味があります。 |
2.地域の中の高瀬川 |
"小川原湖は汽水湖であり、全国の汽水湖では5番目の面積を有しています。内水面漁業が盛んで、漁獲量が非常に豊富な水産資源に恵まれた宝の湖であり、地域経済を支えております。また広大な湖面を利用したレクリエーションが四季をとおして行われております。" |
地域社会とのつながり
河川の利用に関しては、小川原湖畔のキャンプ場や湖水浴場等でのレクリエーションや湖水まつり、花火大会などを通じて、周辺住民の憩いの場として利用されているだけでなく、観光客も楽しむ場となっています。また、広大な湖面でのウインドサーフィンやヨット等の水上スポーツ、ワカサギ釣りやシジミ採りなど、四季折々に利用されています。
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3.高瀬川の自然環境 |
"小川原湖沼群は、日本の重要湿地に指定されており、海水性・汽水性・淡水性の生物が生息しております。特に、日本で初めて確認された「ウィットロキエラ属サリナ」(マリモの仲間)など、多様な生態系を有していることなど、ビオトープネットワークの要となっております。" |
4.高瀬川の主な災害 |
主な水害
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5.その他 |
"小川原湖の畔には、二人の乙女の像があります。二人は父を捜すため、小川原湖を訪れ、そのまま沼(湖)の主になったと言い伝えられており、現在では父とその二人の乙女は湖畔に祀られています。" |
小川原湖の伝説 二人は都から流れてきた公卿の父を捜し求め、諸国を歩き回り、小川原湖のほとりにやってきました。しかし、二人が小川原湖に着いたときには、すでに父は亡くなっていました。悲しみのあまり、姉は小さな沼に、妹は大きな沼に身を投げて沈んでしまいました。それ以来、姉の沈んだ沼を姉沼、妹の沈んだ沼を妹沼と呼んでおり、妹沼が今の小川原湖と言われています。地元の人は、今でもこの姉妹を哀れんで、姫君達の祀りを絶やさず、悲しい伝説を今に伝えています。
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(注:この情報は2008年2月現在のものです)
高瀬川
疏水の概要 | ||
■疏水の所在 大阪府茨木市並木、水尾、若園、真砂 延長1800m ■所在地域の概要 水路両側に住宅やマンションが建ち並ぶ住宅地の中を流れる。水田は住宅地の中に点在している。 ■疏水の概要・特徴 6月上旬から9月下旬においては、少なくなった水田に用水を供給するために、ゲートを降ろし、水位を上げるが、その期間の用水取水日以外と用水期間以外はせせらぎ用水として24時間流している。 |
高瀬川
| 疏水の概要 | |||||||||
■疏水の所在 高瀬川 出雲市 (受益800ha) ■所在地域の概要 県東部の人口約15万人を擁する中核的都市、出雲平野を中心として農業と商工業を展開。 ■疏水の概要・特徴 高瀬川は、今からおよそ300年前斐伊川を水源として大梶七兵衛によって完成、来源岩樋をくぐり抜け約800haの耕地を潤している。 農業用水の供給のみでなく高瀬舟による水運も盛んであった。 工業化、商業化が進む今日にあっても美田との調和を図りながら大梶七兵衛像とともに親水施設として市民の憩いの場となっている。 | ||||||||||
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高瀬川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 08:51 UTC 版)
古代は遠音太川(とおだかわ)と呼ばれていたが、この地を訪れて政治関与した「皇極ノ太子」(大海人皇子(天武天皇)に比定されうる)の詠んだ歌『遠音太河和、勇夫越来川合、高瀬浪波、不能渉矣(とおだかわ、ゆうふこえくるかわあいの、たかせのなみは、わたれざりけり)』によって、白雉5年(654年)6月に高瀬川と改称された、となっている。
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