出版経緯
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電子書籍で高評価を得ると、紙の書籍による商業出版を望むようになり、いくつかの出版社に、作品の評価と簡易製本した原稿を持ち込んだ。しかし、いずれの出版社からも出版にあたり大幅な量の原稿の削減を求められた。周囲から商業出版のチャンスと捉えて出版社の要求に応じるべきとの声もある中、作品の本質を代償にはできないことから話をすべて断った。 2014年6月、小説としての出版は不可能と判断し、青年漫画を刊行する双葉社に漫画の原作として持ち込んだ。 本来、原稿の持ち込みを受け付けていない双葉社であったが、たまたま漫画担当で同社編集局次長のS の目に留まる。Sは作品を一読後、小説としての出版の可能性を模索すべく、文庫編集部の副編集長Oに相談をした。 当時多忙を極めていたOは、素人の長編の原稿を預かることを大変負担に思い、「いつ読めるかわからない」とSに返答した。しかしたまたまその日、帰宅の電車の中で読む本がなかったOは、預かった原稿を軽い気持ちでカバンに入れて会社を出た。 断る理由を探しながら読み始めたOであったが、衝撃を受ける。物語の世界に引き込まれ、最寄り駅についても読むことを止められず、ホームのベンチに座って駅が閉まるまで読み続けてしまった。 その後、OとSは、この本をベストセラーにしなくてはならないと決め、無名の新人が文庫4冊でデビューするという前代未聞の企画が立ち上がった。2015年5月、エンジェルボール1巻2巻、翌6月に3巻4巻を出版。
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出版経緯
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1999年(平成11年)11月 講談社ノベルスより探偵小説『百器徒然袋――雨』刊行。 2005年(平成17年)9月『百器徒然袋――雨』が講談社文庫より刊行。 2008年(平成20年)5月『薔薇十字探偵 1』〈講談社MOOK ペーパーバックスK〉より刊行。『百器徒然袋――雨』より「鳴釜」のみ収録、表紙イラストレーション:小畑健。 2010年 (平成22年)1月『爆裂薔薇十字探偵』』〈講談社MOOK ペーパーバックスK〉より刊行。『百器徒然袋――雨』より「瓶長」のみ収録、表紙イラストレーション:小畑健。
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出版経緯
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1820年頃、35歳くらいであったジョン・ジェームズ・オーデュボンは北アメリカにいるあらゆる鳥を描くと宣言した。オーデュボンは鳥類画において、当時真剣な画家のメディアとされていた油彩をほぼ断念し、水彩とパステルクレヨンを好み、時には鉛筆、木炭、チョーク、グァッシュ、ペン、インクなども使用した。1807年の時点で、オーデュボンは死んだ鳥を描く際、針金と糸を用いて生きているかのようなポーズに固定する方法を編み出していた。 1823年、オーデュボンは自分の芸術作品を刊行できるくらいの金銭的支援を講読予約者という形で募ろうとしてフィラデルフィアとニューヨークを訪れたが、十分な援助は得られなかった。結局、1826年にオーデュボンは金銭的援助をしてくれる講読予約者と優れた技術を持つ彫版工や印刷業者を探して、自作のイラストのうち250点を持ってイギリスに船で渡った。 リヴァプールとマンチェスターで自作のドローイングを展示した後にエディンバラまで旅をし、そこで熟練した彫版工ウィリアム・ホーム・リザーズに会った。リザーズは最初のプレートのうち10枚まで彫ったが、彩色工がストライキに入ってしまったためプロジェクトを続けられなくなってしまった。1827年にオーデュボンはロンドンの有名な動物専門の彫版工ロバート・ハヴェル・ジュニアとその父ロバート・ハヴェル・シニアと契約した。ハヴェル・ジュニアは1838年にプロジェクトが完成するまで作業を監督した。 『アメリカの鳥類』の最初の版は印刷業者にちなんでハヴェル版と呼ばれることもあれば、またサイズの大きさから「ダブル・エレファント・フォリオ」と呼ばれることもある。この版は縦39.5インチ(100センチメートル)、幅28.5インチ(72センチメートル)の手製紙に刷られた。刷るのに使われた主な技術は銅板エッチングだが、エングレーヴィングとアクアチントも使われた。刷った後で水彩により手彩色された。 オーデュボンはその都度支払いを受ける方式の講読予約で高価な版画プロジェクトの資金を調達した。1826年から1829年まで、オーデュボンは富裕なパトロンを版画シリーズの購読者としてとりこむ努力の一環として、鳥類学やアメリカの開拓地生活について講演をしながらイギリスをまわってパリまで旅した。予約購読者にはフランス王シャルル10世、英国王妃アデレード・オブ・サクス=マイニンゲン、第2代スペンサー伯爵ジョージ・スペンサーなどがおり、のちにダニエル・ウェブスターやヘンリー・クレイなどアメリカ人もそれに加わった。 版画は毎月あるいは2か月おきにブリキのケースに入った5冊セットとして発行された。それぞれのセットは通常、非常に大きな鳥1羽、中くらいの大きさの鳥1羽、小さな鳥3羽からなっていた。13年のプロジェクトの終わりとなる1838年には、435枚のプレート(5枚×87セット)が総額870アメリカドルあるいは175イギリスギニー(183.75ポンド)で発行されていた。イングランドの公共図書館に無料の献本をせずにすむよう、プレートは綴じられずに文章なしで出版された。完全な版としては多くて200セットほどが編纂されたと推定されている。付属する文章は別に分けて作られ、オーデュボンとスコットランドの博物学者・鳥類学者であるウィリアム・マクギリヴレイが1831年から1839年にかけて、『鳥類の生態』(Ornithological Biography, or, An account of the habits of the birds of the United States of America)というタイトルで五巻本としてエディンバラで刊行された。文章をおさめた五巻本もあわせると、プレートとまとめて総額1,000ドルほどの価格になった。 フォリオ版ができあがると、オーデュボンはもっと入手しやすい版を作ることに決め、J・T・ボウエンという名前のフィラデルフィア出身のリトグラフ職人を雇った。ボウエン率いるチームはもっと小さなロイヤル・オクターヴォ版を作ったが、これは七巻本として予約購読者に頒布され、1,199セットを売って1844年に完結した。1877年までにさらにオクターヴォ版が5回刊行された。オクターヴォ版は『鳥類の生態』の文章を用いていたが、もともとは一緒に描かれていた鳥を別々にしたりしてプレートの数を500枚まで増やしていた。新しい絵も含まれており、オーデュボンやボウエンのチームのメンバーもかかわっていたものの、ほとんどはジョン・ウッドハウスが描いたものだった。 ビアン版(クロモ石版のパイオニア、ジュリアス・ビアンにちなむ)はオーデュボンの一番下の息子であるジョン・ウッドハウス・オーデュボンの監督のもと、1858年にニューヨークでロー・ロックウッドによりフルサイズで再版されたものだった。アメリカ南北戦争のせいもあり、この版は完結しなかった。44部のシリーズのうち15部だけができあがった。この版は105枚のプレートからなり、もとの文章は全く含んでいなかった。100人足らずしかいなかった予約購読者に販売されており、このため他の初期の版よりもこの版のほうがさらに稀少である。
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出版経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 22:43 UTC 版)
明和年間から狂歌が流行し、内山椿軒の下で唐衣橘洲、四方赤良らが和歌・狂歌を学んだ。明和6年から橘洲の家で狂歌会が開かれ、赤良、平秩東作、元木網、その妻の智恵内子、本屋の浜辺黒人らが集まった。天明に入り、浜辺黒人が『初笑不琢玉』『栗野下風』などの狂歌集の出版をした。それが橘洲や赤良を刺激した。 天明2年に橘洲、東作、木網らが69人840首からなる『狂歌若葉集』の出版を予定。それに対し赤良は、橘洲らの上品な読みぶりに同意せず、大胆奇抜な歌風で、古来の名狂歌もふくめ、主題別に狂歌集を編集した。それが『万載狂歌集』である。 『狂歌若葉集』と『万載狂歌集』は同じ天明3年正月に出版され、後世に大きく影響したのは後者となった。2年後の天明5年には続編となる『徳和歌後万載集』が赤良、蜀山人編集により刊行され、天明の狂歌の作風が確立された。一方、橘洲は狂歌界から一時遠ざかることとなる。
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出版経緯
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「バイオハザード5 追跡者ネメシス」の記事における「出版経緯」の解説
2005年(平成17年) 『バイオハザード5 追跡者ネメシス』が中央公論新社C★NOVELSより刊行。 書籍情報 バイオハザード5 追跡者ネメシス 2005年 ISBN 4125009171
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出版経緯
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「バイオハザード6 CODE:Veronica」の記事における「出版経緯」の解説
2006年(平成18年) 『バイオハザード6 CODE:Veronica』が中央公論新社C★NOVELSより刊行。 書籍情報 バイオハザード6 CODE:Veronica 2006年 ISBN 4125009279
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出版経緯
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「バイオハザード 北海の妖獣」の記事における「出版経緯」の解説
1998年(平成10年)『バイオハザード 北海の妖獣』がジャンプ ジェイ ブックスより刊行。 書籍情報 バイオハザード 北海の妖獣 1998年 ISBN 978-4087030679
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「BIOHAZARD ローズ・ブランク」の記事における「出版経緯」の解説
2002年(平成14年) 『BIOHAZARD ローズ・ブランク』が電撃文庫より刊行。 書籍情報 BIOHAZARD ローズ・ブランク 2002年 ISBN 978-4-8402-2080-4
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「BIOHAZARD to the Liberty」の記事における「出版経緯」の解説
2002年(平成14年)『BIOHAZARD to the Liberty』が電撃文庫より刊行。 書籍情報 BIOHAZARD to the Liberty 2002年 ISBN 978-4-8402-2093-4
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出版経緯
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「バイオハザード1 アンブレラの陰謀」の記事における「出版経緯」の解説
2004年(平成16年) 『バイオハザード1 アンブレラの陰謀』が中央公論新社C★NOVELSより刊行。 書籍情報 バイオハザード1 アンブレラの陰謀 2004年 ISBN 4125008620
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「バイオハザード3 死者の街」の記事における「出版経緯」の解説
2005年(平成17年) 『バイオハザード3 死者の街』が中央公論新社C★NOVELSより刊行。 書籍情報 バイオハザード3 死者の街 2005年 ISBN 412500885X
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第4回ビーケーワン怪談大賞の応募作の水準が著しく高かったため、選者の一人である東雅夫が単行本化を目指したいと自身のブログで表明したところ、『八本脚の蝶』(二階堂奥歯著)の編集制作を通じて東と親交があった、ポプラ社の編集者・斉藤尚美が即座に応じて、出版が実現した。「てのひら怪談」のネーミングは、斉藤の発案によるという。
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「バイオハザード4 地下世界」の記事における「出版経緯」の解説
2005年(平成17年) 『バイオハザード4 地下世界』が中央公論新社C★NOVELSより刊行。 書籍情報 バイオハザード4 地下世界 2005年 ISBN 4125008981
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「バイオハザード2 悪夢の洞窟」の記事における「出版経緯」の解説
2004年(平成16年) 『バイオハザード2 悪夢の洞窟』が中央公論新社C★NOVELSより刊行。 書籍情報 バイオハザード2 悪夢の洞窟 2004年 ISBN 4125008736
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1992年12月、光文社より『野獣は甦える』刊行。 1997年2月、光文社文庫より『野獣は甦える 伊達邦彦全集(8)』刊行。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 01:47 UTC 版)
フロイトは1856年に生まれ、ウィーン大学で医学を学ぶ。脳解剖の専門医としてウィーン総合病院に勤務し、フランスのサルペトリエール病院でも学ぶ。1893年に友人の医師ヨーゼフ・ブロイアーと共同で『ヒステリー研究』を発表する。本書は医師として担当した事例に関する研究の成果であったが、出版当初は評価されなかったために初版600部を完売するために8年間かかった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:02 UTC 版)
1977年から1978年にかけて週刊誌『アサヒ芸能』に掲載された。第1部、2部の構成となっている。単行本は第1部が1978年、第2部が1979年に徳間書店から出版されている。『西村寿行選集』には、第1部が1979年、第2部が1980年に収録されている。1981年に徳間文庫版が刊行された。1999年、光文社文庫からの再刊に際して、第1、2部は上下巻となった。 また1970年代後期にはやまおか玲次による本作のコミカライズ版が、『劇画ザ・タウン』(徳間書店)に連載された。単行本は1979年に全1巻が発行された。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 10:07 UTC 版)
1975年に『野性時代』12月号に掲載、1976年に角川書店より出版。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 07:18 UTC 版)
「日本文典 (コリャード)」の記事における「出版経緯」の解説
この書籍は、日本でキリスト教の布教に従事する宣教師に日本語の基礎を学ばせるために、ローマ教皇庁の布教聖省の援助のもと刊行されたものである。 著者のコリャード(1589年?-1641年)は、1619年に禁教下の日本に潜入し、2年余にわたって長崎周辺で布教活動に携わった人物である。彼は1622年、報告のために日本を離れており、この書籍もヨーロッパに戻っている時期に執筆された。コリャードにはほかに『懺悔録』『羅西日辞書』があり、日本語三部作と呼ばれる。 本書の序文でコリャードは日本語の文法と語彙ばかりでなく、発音とアクセントをも重視する姿勢を示している。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 06:38 UTC 版)
西村本の題簽(外題)「おくのほそ道」は芭蕉自筆とされており、これが芭蕉公認の最終形態とされる。芭蕉はこの旅から帰った5年後、1694年に死去したため、「おくのほそ道」は芭蕉死後の1702年(元禄15年)に西村本を基に京都の井筒屋から出版刊行され広まった。「奥の細道」ではなく「おくのほそ道」と書くのが正式とされるのはこの原題名に基づく。この元禄初版本は現在1冊しか確認されていないが、増し刷りされ広まったため版本は多く残る(本文に変化は見られない)。よって現在世間一般に知られる「おくのほそ道」は、西村本を原本とした刊本の本文を指す。 1938年(昭和13年)に曾良本(そらほん)が発見された。1960年(昭和35年)に柿衞本(かきもりほん)の存在が発表され、1996年(平成8年)に芭蕉の真筆である野坡本(やばほん)の発見とされた中尾本(なかおほん)の存在が発表されている。これによりこの本の原点を探る研究・出版がより増すこととなった。
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出版経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 05:55 UTC 版)
上田秋成は、明和3年(1766年)に処女作である『諸道聴耳世間猿』(『諸道聴耳世間狙』)を、明和4年に浮世草子の『世間妾形気』を書いた。そして、『雨月物語』の序には「明和戊子晩春」とあり、明和5年晩春に『雨月物語』の執筆が終わっていたことになる。しかし実際に『雨月物語』が刊行されたのは、その8年後の安永5年(1776年)のことであった。 ここに、『雨月物語』成立の謎がある。つまり、『雨月物語』は本当に序にあるように明和5年に成立したのだろうか、刊行までの8年という長い間には、どういう意味があるのだろうか、というものである。山口剛の研究以来、重友毅、中村幸彦と、明和5年を一応の脱稿、それからの8年間は『雨月物語』の推敲に費やされた、という見方が強かった。それまでの『世間猿』『妾形気』の2作品は浮世草子に属していた。そして『妾形気』の末尾の近刊予告を見ると、『諸国廻船便』と『西行はなし 歌枕染風呂敷』の2作品が並べられており、まだ秋成に浮世草子を書く気、予定があったことが見えることもこの論を裏付けている。 しかし、この説の裏側には、当時浮世草子が軽く見られる風潮があったことを、高田衛などは指摘している。そして、大体の成立は序の通りでよいのではないか、という説を提唱している。つまり、『世間猿』と『妾形気』の浮世草子2作品と『雨月物語』という読本作品は連続したもの、という考えである。また、巻之四「蛇性の婬」には内容に、日付の日数の計算の合わないことが知られていたが、これに対しての大輪靖宏の指摘がある。もし、序に書かれた年の前年の明和4年に「蛇性の婬」が書かれたとする場合、序の年の前年、閏9月のあった明和4年を念頭に置くとうまく計算が合う。 この説の場合、脱稿からの8年間『雨月物語』をめぐって何がおこなわれていたのかはわからないが、明和8年と安永元年には、それぞれ野村長兵衛と梅村判兵衛という別々の版元から『雨月物語』の近刊予告が出ていたり、明和8年には秋成の家業の嶋屋が火事で焼けたことなどを契機に、都賀庭鐘から医学を学んだり、医院を開業したりしていた。坂東健雄は、高田説が通説であるとしながらも、どちらの説も決め手に欠けるとし、やはり出版にいたる8年間に推敲が行われた可能性は否定できないことを指摘した。
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