浜辺黒人とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 芸能 > 狂歌師 > 浜辺黒人の意味・解説 

はまべ‐の‐くろひと【浜辺黒人】

読み方:はまべのくろひと

[1717〜1790]江戸中期狂歌師江戸の人。本名斯波孟雅(しばたけまさ)通称三河屋半兵衛書籍商で、狂歌集初笑不琢玉(はつわらいみがかぬたま)」を発刊入れ花制度創始したといわれる


浜辺黒人

読み方はまべの くろひと

狂歌師書肆。姓は斯波、名は孟雅、字は子頌、通称三河屋半兵衛芝浜頭目天明元年狂歌不琢玉』を発表狂歌入花料を取るのは彼から始まった著書狂歌下風』『狂歌猿の腰掛』がある。寛政2年(1790)歿、71才。

浜辺黒人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/01 05:36 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

浜辺 黒人(はまべの くろひと、1717年享保2年)- 1790年6月30日寛政2年5月18日))は、江戸時代中期の狂歌師である。本姓は斯波、名は孟雅。通称は三河屋半兵衛。号に桃翁がある。

経歴・人物

江戸(現在の東京都港区)に生まれ、初め家業の書店を営んだ。

1779年安永8年)頃にに狂歌について興味を持ち始め、狂歌師となった。その後、の色が色黒であったことから、出身地とそれにちなんで師匠から「浜辺黒人」という狂名をもらった。庶民からの狂歌を募集し、入選されたものに「入花料」や「彫刻料」と呼ばれる新しい評価を創作した事により、一躍有名な狂歌師となった。

後に狂歌集『徳和歌後万載集』に黒人の歌が入選され、今日も知られるようになった。

主な著作物

主著

その他の著書

  • 『(狂歌)栗の下風』- 1782年(天明2年)に刊行。

出典




浜辺黒人と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「浜辺黒人」の関連用語

浜辺黒人のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浜辺黒人のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの浜辺黒人 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS