石田未得とは? わかりやすく解説

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いしだ‐みとく【石田未得】

読み方:いしだみとく

[1587〜1669]江戸前期俳人狂歌師江戸の人。号、乾堂。松永貞徳門人で、半井卜養(なからいぼくよう)とともに江戸二大狂歌師といわれた。著「吾吟我集(ごぎんわがしゅう)」。


石田未得

読み方いしだ みとく

江戸前期俳人江戸生。号乾堂、通称文左衛門。京にて俳諧貞徳に学ぶ。又狂歌よくする。一旦帰東して其門戸を開いたが故あって相模に、再び出府して神田住する慶安年間吾吟我集』を著して名を高め半井ト養と共に江戸狂歌の二大家称せられる。寛文9年(1669)歿、82才。

石田未得

読み方いしだ みとく

江戸前期俳人江戸生。号乾堂、通称文左衛門。京にて俳諧貞徳に学ぶ。又狂歌よくする。一旦帰東して其門戸を開いたが故あって相模に、再び出府して神田住する慶安年間吾吟我集』を著して名を高め半井ト養と共に江戸狂歌の二大家称せられる。寛文9年(1669)歿、82才。

石田未得

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 09:46 UTC 版)

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石田 未得(いしだ みとく、天正15年(1587年) - 寛文9年7月18日1669年8月14日[1])は、江戸時代狂歌師俳諧師貞門派の江戸五哲の一人に数えられる。本名は石田又左衛門、別号は巽庵、乾堂[2]

来歴

もともとは常盤橋前の両替屋だったが、何らかの事情で蟄居剃髪し、未得と名乗った[3]寛永年間から松永貞徳の指導を受け、正保4年(1647年)刊『毛吹草』などの諸書に入集するなど、初期江戸俳壇の重鎮として活躍した[3]。ものの名前を織り込んだ俳諧や回文俳諧といった言語遊戯に富んだ句を詠み[3]、未得の作品は回文ブームを生み出した[4]慶安2年(1649年)には『古今和歌集』をもじった狂歌集『吾吟我集』を刊行し、狂歌家集のさきがけとなった[3]

死後、息子の未琢によって『ひともと草』(寛文11年(1671年))が刊行された[3]

作品

  • 石田未得『廻文俳諧百韻』
  • 石田未得『狂歌集要』
  • 石田未得『吾吟我集』、1649年(慶安2年)
  • 石田未得『和句解』
  • 石田未得吟、松永貞徳点『謡誹諧』、1635年(寛永12年)
  • 義概編、高島玄札・石田未得・野々村立圃点『御点取俳諧百類集』、1659年(万治2年)

脚注

  1. ^ 朝日日本歴史人物事典
  2. ^ 上田正昭ほか監修、三省堂編修所編 『コンサイス日本人名事典 第5版』 三省堂、2009年、101頁。 
  3. ^ a b c d e 岡本勝雲英末雄編 『新版 近世文学研究事典』 おうふう、2006年2月、268頁。 
  4. ^ 金栄華 (2018-10). “<早稲田の本棚から> 早稲田のおもしろ回文資料”. ふみくら 早稲田大学図書館報 (早稲田大学図書館) 94: 10. http://hdl.handle.net/2065/00057725. 



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