人気と円熟期とは? わかりやすく解説

人気と円熟期(1723年から1740年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:52 UTC 版)

アントニオ・ヴィヴァルディ」の記事における「人気と円熟期(1723年から1740年)」の解説

ヴィヴァルディ書簡の中で、ヨーロッパの各都市旅行したことを述べており、この書簡窺えるように、この時期はほとんど旅行費やしている。1723年から1724年にかけてローマ訪れ同地で3曲のオペラ上演した1724年には、ローマ教皇(おそらく同年5月教皇選出されたばかりベネディクトゥス13世)に二度謁見し、その御前演奏したとも述べている。 1725年9月12日には、9月5日挙式されたフランス国王ルイ15世とマリー・レグザンスカの結婚式を祝うため、駐ヴェネツィア・フランス大使ジャック・ヴァンサン・ランゲ伯爵主催したヴェネツィアでの祝宴ヴィヴァルディセレナータグロリアとヒメネオ』(RV 687)が上演された。 1726年に再びサンタンジェロ劇場作曲家興行主となり、この年オペラテンペラーのドリッラ》で歌手のアンナ・ジローがヴィヴァルディオペラ初め主演務めたヴィヴァルディその後1739年まで断続的に劇場興行携わる1727年作品9『ラ・チェトラ』を出版神聖ローマ皇帝カール6世献呈する1728年トリエステカール6世自身謁見する機会ができ、手書き協奏曲集を「ラ・チェトラ」として献呈する皇帝親密になったヴィヴァルディは、多額金品パトロンの証の金鎖付きメダリオン賜った1730年1731年に、ヴィヴァルディオペラ上演するためプラハ向かった1732年から1737年まで、イタリアの各都市オペラの上演と興行活動行った上記以外のこの時期作品群では、1724年頃に『四季』を含むヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』が「作品8」としてロジェの後を継いだミシェル=シャルル・ル・セーヌから出版された。1729年には、音楽史初めてのソロフラウト・トラヴェルソフルート前身)のための協奏曲集が、『6つフルート協奏曲作品10として出版される。また生前出版され楽譜としては最後となる『6つの協奏曲作品11と『6つの協奏曲作品12ヴァイオリン協奏曲集が出版される1937年にはパリ出版社マダム・ボワヴァンから「作品13」として『忠実な羊飼い』が出版されたが、これはニコラ・シュドヴィルによる偽作であった1740年頃にはパリル・クレール社からチェロ・ソナタ集が出版されたが出版経緯不明である。また12月には「メルキュール・ド・フランス」紙からチェロ・ソナタ集の出版広告掲載されたが、実際に出版され可能性は低いと考えられる

※この「人気と円熟期(1723年から1740年)」の解説は、「アントニオ・ヴィヴァルディ」の解説の一部です。
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