人気と円熟期(1723年から1740年)
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「アントニオ・ヴィヴァルディ」の記事における「人気と円熟期(1723年から1740年)」の解説
ヴィヴァルディは書簡の中で、ヨーロッパの各都市を旅行したことを述べており、この書簡で窺えるように、この時期はほとんど旅行に費やしている。1723年から1724年にかけてローマを訪れ、同地で3曲のオペラを上演した。1724年には、ローマ教皇(おそらく同年5月に教皇に選出されたばかりのベネディクトゥス13世)に二度謁見し、その御前で演奏したとも述べている。 1725年9月12日には、9月5日に挙式されたフランス国王ルイ15世とマリー・レグザンスカの結婚式を祝うため、駐ヴェネツィア・フランス大使ジャック・ヴァンサン・ランゲ伯爵が主催したヴェネツィアでの祝宴でヴィヴァルディのセレナータ『グロリアとヒメネオ』(RV 687)が上演された。 1726年に再びサンタンジェロ劇場の作曲家兼興行主となり、この年のオペラ《テンペラーのドリッラ》で歌手のアンナ・ジローがヴィヴァルディのオペラで初めて主演を務めた。ヴィヴァルディはその後1739年まで断続的に劇場の興行に携わる。 1727年に作品9『ラ・チェトラ』を出版、神聖ローマ皇帝カール6世に献呈する。1728年にトリエステでカール6世自身に謁見する機会ができ、手書きの協奏曲集を「ラ・チェトラ」として献呈する。皇帝と親密になったヴィヴァルディは、多額の金品とパトロンの証の金鎖付きのメダリオンを賜った。 1730年と1731年に、ヴィヴァルディはオペラを上演するためプラハに向かった。1732年から1737年まで、イタリアの各都市でオペラの上演と興行活動を行った。 上記以外のこの時期の作品群では、1724年頃に『四季』を含むヴァイオリン協奏曲集『和声と創意への試み』が「作品8」としてロジェの後を継いだミシェル=シャルル・ル・セーヌから出版された。1729年には、音楽史上初めてのソロのフラウト・トラヴェルソ(フルートの前身)のための協奏曲集が、『6つのフルート協奏曲』作品10として出版される。また生前出版された楽譜としては最後となる『6つの協奏曲』作品11と『6つの協奏曲』作品12のヴァイオリン協奏曲集が出版される。1937年にはパリの出版社マダム・ボワヴァンから「作品13」として『忠実な羊飼い』が出版されたが、これはニコラ・シュドヴィルによる偽作であった。1740年頃にはパリのル・クレール社からチェロ・ソナタ集が出版されたが出版経緯は不明である。また12月には「メルキュール・ド・フランス」紙からチェロ・ソナタ集の出版広告が掲載されたが、実際に出版された可能性は低いと考えられる。
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