金光教の歴史とは? わかりやすく解説

金光教の歴史(主として日本国内)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 05:08 UTC 版)

金光教」の記事における「金光教の歴史(主として日本国内)」の解説

西暦年(和暦月日事項1814年文化11年8月16日太陽暦9月29日 教祖生誕幼名香取源七1825年文政8年11月26日 川手家の養子へ、文治郎と改名1830年文政13年7月15日より 小野右衛門らと伊勢参宮1836年天保7年12月13日 文治古川八百娘とせと結婚1846年弘化3年2月22日から3月26日 文治四国八十八カ所巡拝1855年安政2年4月29日 25日頃より、教祖大患古川治祈祷時に石鎚山神降臨金神への無礼指摘病気平癒神示1857年安政4年10月13日 教祖実弟香取繁右衛門金神降臨し文治神命にそって普請の手伝いを行う。 1857年安政4年11月9日 香取繁右衛門金神の奉祭者となり文治は参拝する1858年安政5年7月13日 文治盂蘭盆会にて祖先霊神降臨と金神よ種々の神示をうける。 1859年安政6年10月21日太陽暦11月15日 農作業後、教祖立教神伝が下る、金光教立教の日とされる1864年元治1年4月9日 白川神祇伯王家より、神拝許状ならびに金神の宮建築許可を得る。 1864年元治1年9月2122日 初めての神祭り仕える。(年に一度奉行する金神への感謝の祭、以降毎年1866年慶応2年10月2日 神祇伯より、神拝の節・冠・布斎服・差貫着用許可ならびに金光河内』と名乗ることを許される1867年慶応3年2月22日 金神社神主補任状を得る。 1869年明治2年7月 神仏分離令施行により、大谷村神社寂光院管轄していた社祠)の神事執り行うことになる。 1869年明治2年9月9日10日 金光大神祭り仕える。身内親類集めて先祖祭り仕える。(以降毎年1870年明治3年9月1日 浅尾藩庁より出社神号さしとめ指令出る。 1871年明治4年4月 白神新一郎『御道案内』を著す。 1871年明治4年10月15日 浅尾藩庁より 神職廃止命令1872年明治5年11月26日 小田県庁より 神勤廃止命令1873年明治6年2月13日 神前撤去1873年明治6年4月11日天地書附』定まる1876年明治9年10月19日敬神教育之儀」願書岡山県令提出26日認可官憲弾圧がおさまる。 1879年明治12年7月28日 金光萩雄教導職試補」となり、国家資格を得る。 1881年明治14年1月30日旧暦正月神命により「八つ波に金の文字」の紋章定める。 1882年明治15年8月 佐藤範雄教団組織志し備後沼名前神社宮司吉岡徳明の助言により、金光教祖の元で、金光萩雄と共に信条(神戒神訓の元)の記録始める。(翌年9月8日終える) 1883年明治16年6月10日 白神新一郎近藤藤守佐藤範雄訪ね、道の将来渡り協議。(この三人金光教では後に三直信と呼ぶ。) 1883年明治16年10月10日 教祖死去(諡名は金光大神人力威命)。 1883年明治16年11月28日 教祖五十日祭、遺業継承の旨。金光萩雄三直信の4人が教団創設について打ち合せ。この日から金光宅吉神前奉仕1885年明治18年3月15日 神道備中事務分局長・井上泰憲に「教会講社開設進達御願」を添えて金光教講社結収之件御願」の願書提出1885年明治18年6月2日 神道管長稲葉正邦による認可1885年明治18年6月10日金光教会所設置願」を岡山県令千坂高雅代理高津暉に提出1885年明治18年6月13日 神道備中事務分局附属金光教会として教団創設1888年明治21年3月1日 神道金光教会規約改正 神名天地金乃神」が公認される1888年明治21年5月21日 畑徳三郎 東京四ッ谷にて取次開始正式な東京布教の開まり)。 1889年明治22年7月4日 金光萩雄佐藤範雄日本赤十字社」に入社金光教での赤十字運動開始1890年明治23年10月 教祖大祭初めて「吉備楽」が祭典音楽として採用され演奏される1891年明治24年7月 山陽鉄道倉敷 - 笠岡開通祭典時の金神仮駅開設1892年明治25年7月10日 金光萩雄金光大陣と戸籍名変更1893年明治26年12月20日 金光宅吉死去二代金光様金光四神貫行君)。 1893年明治26年12月29日 金光攝胤14歳神前奉仕継承1894年明治27年11月29日 神道金光教会学問所開設金光教学院と金光学中学高等学校創立記念日)。 1897年明治30年4月1日 神道金光教会学問所神道金光教会中学部改称1898年明治31年4月10日 神道金光教会神道本局一等直轄教会となる。 1898年明治31年4月15日 神道金光教会中学部は、金光中学として内務大臣認可得て公認学校となる。 1899年明治32年4月 畑徳三郎主唱により令徳会(婦人会)を結成7月長谷川まつらを中心に日本初婦人雑誌令徳創刊1900年明治33年6月16日 金光教団として神道本局から別派独立1901年明治34年8月4日 金神駅営業開始1901年明治34年10月 斉藤三郎台湾布教1902年明治35年) 秋 釜山教会所設立認可1906年明治39年2月25日 金光教教師養成専門機関として、金光中学組織改編により教義講究所設置1906年明治39年5月 高橋正雄佐藤金造金光中学卒業学生東京にて「金光教青年会」を組織する1906年明治39年12月17日 信奉者信念修養の場として修徳殿を設置1907年明治40年7月1日 布教興学基本財団設立2008年8月8日解散)。 1907年明治40年9月30日 松山成三満州布教開始1910年明治43年6月から7月 金光教佐藤範雄満州朝鮮布教視察1912年大正1年4月10日 管長世襲制および金光教維持財団設立2008年8月8日解散)。 1913年大正2年10月4日金光教理解』を刊行教祖三十年祭)。 1915年大正4年4月 尾原音人創始の「中正楽」が大祭祭典楽として採用される1919年大正8年2月 平山次郎北米布教開始1919年大正8年12月17日 金光大陣死去第一管長、諡名は金光山神大道立別命)。 1920年大正9年3月19日 金光家邦管長襲職第二管長)。 1921年大正10年2月22日 大教会新築落成祝祭1925年大正14年4月14日 大教会ならびに付属舎、炎上1928年昭和3年10月10日金光教教典』(教祖四十五年祭)。 1934年 - 1935年昭和9年 - 10年教団自覚運動(国が定めた管長の命より結界奉仕者三代金光様御取次信仰の中心ととらえる運動)「昭和九年十年事件」。 1941年昭和16年4月16日 宗教団体法に基づく金光教団となる。管長世襲制から選挙制へ。 1941年昭和16年8月1日 金光攝胤管長選挙により管長就任1946年昭和21年4月1日 宗教法人施行にともなう組織変更天地書附』を奉斎の神儀と定める。 1947年昭和22年5月5日 公共事業として私立図書館の「金光図書館」を開設1949年昭和24年4月1日 信仰活動として「御取次成就信心生活運動(おんとりつぎじょじゅしんじんせいかつうんどう)」が始められる1953年昭和28年10月1日 教祖伝記金光大神刊行教祖七十年祭)。 1953年昭和28年10月8日 金光教ラジオ放送開始1954年昭和29年4月1日 金光教改正。『天地書附』を『金光教教典』に掲載1954年昭和29年11月1日 金光教学研究所設置1959年昭和34年8月5日 本部広前祭場竣工報告祭(金光攝胤誕生日少年少女全国大会併せて)。 1959年昭和34年10月 立教百年教祖大祭が4回に分けて行われる1959年昭和34年11月 立教百年祭が4回に分けて行われる1960年昭和35年8月 シカゴ・ミッドビル神学校との交流留学生(後の国際センター所長派遣1963年昭和38年4月13日 教主金光攝胤死去三代金光様)。 1963年昭和38年7月9日 金光鑑太郎教主就任1964年昭和39年3月11日 南米ブラジルビリグイでの布教開始1969年昭和44年10月1日金光大神覚(こんこうだいじんおぼえ)』刊行 金光教祖の書いた自伝公表1972年昭和47年4月1日概説金光教刊行 金光教教義概説書。 1973年昭和48年7月20日 本部広前会堂竣工 天地書附を正面奉掲する形式になる。 1976年昭和51年7月24日 ラジオ放送番組安定制作のため、大阪金光教電波布教センター設置現・金光教放送センター)。 1981年昭和56年1月1日 金光教東京布教センター設置1983年昭和58年1月1日 金光教独自の新儀式,拝詞,服制施行1983年昭和58年10月 9月29日から5回に分けて金光教百年祭が行われる。 1983年昭和58年10月10日金光教教典刊行 教祖信仰日記多く弟子達が書き残した教祖教え公刊された。 1989年平成元年6月10日 信仰活動として「よい話をしていく運動」が始められる1991年平成3年1月10日 教主金光鑑太郎死去四代金光様)。 1991年平成3年3月27日 金光平輝教主就任1993年平成5年7月1日 東京金光教国際センター設置2000年平成12年2月1日 金光教ソウル活動センター設置2000年平成12年6月10日 教団独立百年記念祭が、翌11日と2回に分けて行われる2001年平成13年1月1日金光教宣言発表2001年平成13年6月10日 信仰活動として「あいよかけよの生活運動」がはじまる。 2003年平成15年9月28日 教祖伝『金光大神刊行 昭和28年版が全面的に書き換えられた。 2008年平成20年8月8日 旧三財団法人宿泊施設出版学生寮管理)を解散し宗教法人金光教』へ事業集約2008年平成20年12月1日 新公益法人制度よる一般財団法人金光財団設立し、旧三財団法人行ってきた収益事業移管2012年平成24年1月1日 信仰活動として「神人あいよかけよの生活運動」がはじまる。 2021年令和3年3月26日 教主金光平輝退任五代金光様)、生前継承立教以来初めて。 2021年令和3年3月27日 金光浩道教就任

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