香取繁右衛門とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 香取繁右衛門の意味・解説 

香取繁右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 02:57 UTC 版)

香取 繁右衛門(かんどり しげえもん 又は しげうえいもん、文政6年6月2日1823年7月9日) - 明治22年(1889年7月22日)は、日本宗教家香取金光教教祖。別名は、今井繁則(今井は娘の嫁ぎ先の姓)。

略歴

備中国浅口郡占見村字香取(現岡山県浅口市金光町)の農家・香取重平(かんどりじゅうへい)・志母(しも)の三男として生まれる。

19歳で結婚をした頃から、眼病に罹り、子供の死や妻の病気が相次ぎ、金神の祟りと言われる。そのため、妻の里の亀山(現倉敷市)へ転居するなど、何度も転居するが祟りと思われる不幸は続き、今の倉敷市船穂町にあった親戚筋と伝えられる小野うたの「堅磐谷の元金神」(「堅磐谷の婆さん」とも呼ばれた)の元へ参拝を始めるなど、避けるのではなく逆に熱心に金神を信心するようになる。その後小野うたに降臨した金神より請われ、金神信仰の継承者となった。

安政4年11月6日1857年12月21日)、立教の神宣を承け、神と人とを取り次ぐ結界奉仕が始まり、亀山の金神様と呼ばれた。赤沢文治(金光大神)は実兄であり、熱心に参拝していた。信仰的には厳格であり、自らに厳しい修行を行った。

なお、小野うたの娘はる以降、「堅磐谷の元金神」は、神道香取金光教堅磐谷教会となった。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「香取繁右衛門」の関連用語

香取繁右衛門のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



香取繁右衛門のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの香取繁右衛門 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS