尾原
尾原
尾原
尾原
〒682-0904 鳥取県倉吉市尾原
〒710-0144 岡山県倉敷市尾原
〒709-2673 岡山県加賀郡吉備中央町尾原
尾原
名字 | 読み方 |
尾原 | おはら |
尾原
姓 | 読み方 |
---|---|
尾原 | おはら |
尾原 | おばら |
尾原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/02/14 08:09 UTC 版)
尾原(おはら、おわら、おばら)
- 日本人の姓の一つ。
- 日本の地名。
- 尾原ダム
関連項目
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尾原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 19:46 UTC 版)
かつての児島郡尾原村。由加山北方の谷間に位置し、由加詣での北参道が通り、丁石がある。江戸時代に『備前記』『備陽記』には枝村として黒村が記されている。 江戸以前は、小原の表記も併用されていたようで、清田八幡神社の元和元年の上葺再興棟札には小原村とあり、石高は325石余り。 『備陽記』には、享保6年の記録では田畑24丁6反余り、池15ヶ所、家数102軒、人口698人と記載されている。 文化年間の『岡山藩領手鑑』によると尾原村は木見村と同じく池田和泉の給地であったとする。石高は325石余り、直高587石余りで、田20町余り、畑4丁2反余り、池25ヶ所、樋31ヶ所、御郡方構池樋4ヶ所、井戸7ヶ所、石橋3ヶ所、家数130軒、人口750人、寺1院(慈眼院)、神社1社、牛91頭、猟師1人、紺屋5軒(藍瓶5本)を記している。 幕末頃になると、小倉織が盛んになり、安政3年には源次郎・佐平・佐市の3人の職人が小倉遠国問屋を拝命し、大坂・尾張まで販路を伸ばすと共に居宅売を行い、活躍したことを『諸御用留帳』に記されている。また、明治10年頃には、尾原村内で40人が小倉・真田の賃織を行っていることが『郷内村資料』にある。 昭和22年には、尾原地内の黒谷集落の南西約600メートルの山腹より五本の銅剣が出土した(現存は4本)。平形銅剣の1本には、樋の部分に銅鐸同様の巻き返し渦文が施されていた。
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