金光姓人物一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 08:52 UTC 版)
血縁の有無に関わらず、宇喜多氏家臣として分限帳(『宇喜多分限帳』)に記載されていた金光姓の人物を列挙する。(「續群書類從本」版も存在するが、ここでは、「吉備拾遺本」版に基づいて記載) 金光助作(かなみつ すけさく) 戸川肥後守の与力。元は、知行160石であったが、慶長2年(1597年)200石加増となり知行360石となる。その後の足跡は不明。 金光六郎右衛門尉(かなみつ ろくろうえもんのじょう) 戸川肥後守の与力。知行30石。その後の足跡は不明。 金光彌介(かなみつ やすけ) 長船吉兵衛尉の与力。元は、知行100石であったが、文禄5年(1596年)60石加増となり知行160石となる。その後の足跡は不明。 金光久右衛門尉(かなみつ きゅうえもんのじょう) 長船吉兵衛尉の与力。知行40石。その後の足跡は不明。 金光源左衛門尉(かなみつ げんざえもんのじょう) 長船吉兵衛尉の与力。知行30石。その後の足跡は不明。 金光彌三(かなみつ やぞう) 長船吉兵衛尉の与力。知行30石。その後の足跡は不明。 金光兵作(かなみつ へいさく(ひょうさく)) 長船吉兵衛尉の与力。知行30石。その後の足跡は不明。 金光傳右衛門尉(かなみつ でんえもんのじょう) 浮田左京亮の与力。知行50石。その後の足跡は不明。 金光次郎右衛門尉(かなみつ じろうえもんのじょう) 浮田左京亮の与力。知行50石。その後の足跡は不明。 金光郷介(かなみつ ごうすけ) 岡越前守の与力。知行30石。その後の足跡は不明。 金光與八郎(かなみつ よはちろう) 岡越前守の与力。知行30石。その後の足跡は不明。 金光宗兵衛尉(かなみつ そうべえのじょう) 浮田菅兵衛尉の与力。知行30石。その後の足跡は不明。 金光作内(かなみつ さない) 明石久兵衛尉(明石全登の親類)の与力。知行30石。その後の足跡は不明。 金光源助(かなみつ げんすけ) 明石久兵衛尉(明石全登の親類)の与力。知行20石。その後の足跡は不明。 金光與三右衛門(かなみつ よざえもん) 御台所衆。知行30石。その後の足跡は不明。 金光文左衛門(かなみつ ぶんざえもん) 元は、知行100石であったが、文禄5年(1596年)100石加増。さらに、慶長3年(1598年)300石加増となり知行500石となる。その後の足跡は不明。金光文右衛門の子か否かは不明。
※この「金光姓人物一覧」の解説は、「金光氏」の解説の一部です。
「金光姓人物一覧」を含む「金光氏」の記事については、「金光氏」の概要を参照ください。
- 金光姓人物一覧のページへのリンク