金光攝胤とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 人名 > 美術人名辞典 > 金光攝胤の意味・解説 

金光攝胤

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 14:42 UTC 版)

金光攝胤。『婦人生活』1953年12月号より。

金光 攝胤(こんこう せつたね、明治13年(1880年8月5日 - 昭和38年(1963年4月13日)は、金光教の三代金光様。

略歴

明治13年8月5日今の岡山県浅口市金光町大谷に生まれる。金光宅吉(いえよし)喜代(きよ)の長男。父金光宅吉の死にあたり、明治26年12月29日から、広前の取次の座を任され、金光教の信奉者からは三代金光様と呼ばれた。

明治31年、金光式子(金光萩雄の長女)を妻に迎えるも、先立たれ、明治40年佐藤キクヨ(佐藤範雄の長女)を妻に迎え、6男3女(金光鑑太郎(かがみたろう)、金光実司之助(みしのすけ)、金光眞整(しんせい)、佐藤祐子(ゆうこ)、金光護佑(ごゆう)、和泉賀代子(かよこ)、竹部理貴代(りきよ)、金光整雄(せいお)、秋山佑一(ゆういち)の9人)をもうけた。

金光教管長が選挙制になると管長に当選、以降金光教の代表者が広前奉仕者であるという慣例を作った。第二次大戦後は管長制の廃止に伴い、教主選挙が行われ初の教主となった。

死後は長男の金光鑑太郎が、教主に選出された。

先代
金光宅吉
三代金光様
1893-1963
次代
金光鑑太郎


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金光攝胤」の関連用語

金光攝胤のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金光攝胤のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2025 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金光攝胤 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS