四国八十八カ所とは? わかりやすく解説

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しこく‐はちじゅうはっかしょ〔‐ハチジフハツカシヨ〕【四国八十八箇所】

読み方:しこくはちじゅうはっかしょ

四国にある、88か所の弘法大師ゆかりの霊場四国霊場四国札所

[補説] 第一札所から順に、(1)霊山寺(2)極楽寺(3)金泉寺(4)大日寺(5)地蔵寺(6)安楽寺(7)十楽寺(8)熊谷寺(9)法輪寺(10)切幡寺(11)藤井寺(12)焼山寺(13)大日寺(14)常楽寺(15)国分寺(16)観音寺(17)井戸寺(18)恩山寺(19)立江寺(20)鶴林寺、(21太竜寺、(22平等寺、(23薬王寺、(24最御崎寺、(25津照寺、(26金剛頂寺、(27神峰寺、(28大日寺、(29国分寺、(30善楽寺安楽寺、(31竹林寺、(32禅師峰寺、(33雪蹊寺、(34種間寺、(35清滝寺、(36青竜寺、(37岩本寺、(38金剛福寺、(39延光寺、(40観自在寺、(41竜光寺、(42仏木寺、(43明石寺、(44大宝寺、(45岩屋寺、(46浄瑠璃寺、(47八坂寺、(48西林寺、(49浄土寺、(50繁多寺、(51石手寺、(52太山寺、(53円明寺、(54延命寺、(55南光坊、(56泰山寺、(57栄福寺、(58仙遊寺、(59国分寺、(60横峰寺、(61香園寺、(62宝寿寺、(63吉祥寺、(64前神寺、(65三角寺、(66雲辺寺、(67大興寺、(68神恵院、(69観音寺、(70本山寺、(71弥谷寺、(72曼荼羅寺、(73出釈迦寺、(74甲山寺、(75善通寺、(76金倉寺、(77道隆寺、(78郷照寺、(79高照院、(80国分寺、(81白峰寺、(82根香寺、(83一宮寺、(84屋島寺、(85八栗寺、(86志度寺、(87長尾寺、(88大窪寺となる。


四国八十八箇所

(四国八十八カ所 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/20 13:28 UTC 版)

四国八十八箇所(しこくはちじゅうはっかしょ、四国八十八ヶ所[注釈 1]とも表記される)は、四国にある空海(弘法大師)ゆかりの88か所の仏教寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所である。他に「八十八箇所」「お四国さん」「本四国」などの呼称がある。四国八十八箇所を巡礼(巡拝)することを四国遍路遍路といい、また四国八十八ヶ所霊場会では「四国巡礼」といい、他に「四国巡拝」などともいう。俳句では春の季語となり、地元の人々は巡礼者を「お遍路さん」と呼ぶ。また、札所に参詣することを「打つ」、巡礼に親切にすることを「お接待」と表現する(「#四国遍路に因む文化」の項で後述)。


注釈

  1. ^ 行政機関などは「四国八十八箇所」を使用するが、霊場会は「四国八十八ヶ所」を公式に使用している。
  2. ^ 1996年に78件が選ばれ今回36件が追加選定され114件になった。
  3. ^ 本来は「徒遍路(かちへんろ)」と云う。
  4. ^ 下左の4番大日寺のように以前は墨書が版木の札所があったが、現在は全て手書きの墨書になっている。
  5. ^ 現代日本の暦では申年は閏年に当たる。
  6. ^ 杖杉庵縁起によると衛門三郎が弘法大師に出会えたのは天長8年10月20日とされているが、衛門三郎伝説の初見とされる石手寺刻版(1567年)で「天長八年辛亥載」と記されている通り、天長8年(831年)は申年ではない。また、831年はユリウス暦及び太陰太陽暦では閏年に当たらない。
  7. ^ 新型コロナウイルスの感染が拡大した際およびそれ以降、感染予防のために手水舎を廃止してアルコール消毒に切り替えた札所もある。
  8. ^ 「四国の辺地を通る僧が知らぬ所に来て、馬に打ちならさるはなし」で、四国を廻っている三人の僧が宿を所望した山中の家で次々と馬に変えられ最後の者が逃げ出した話。1200年頃。
  9. ^ 「我らが修業せし様は忍褥袈裟をば肩に掛け を負ひ衣はいつとなくしほたれて四国の辺地をぞ常に踏む」1180年
  10. ^ 影響を受けた寺を札所番号で表示すると、1,2,5,6,7,9,11,13,14,15,16,17,18,19,21,22,44,47,55,59,61,62,63,65,67,70,71,72(慶長の兵火),74,76,77,80,82,83,85,86,87,88[9]
  11. ^ 「辺」は正しくは「鳥にしんにょう」
  12. ^ 44番大宝寺をスタートし、68番琴弾と69番観音寺が逆転しているが、それ以外は現在と全く同じ順番で巡拝し43番明石寺で終了している。
  13. ^ 澄禅の巡拝順を札所番号で表すと、17-16-15-14-13-11-12-18-19〜59-62-61-60-63-64-65-66-67-69-68-70~88-10〜1の順である。
  14. ^ 澄禅の日記では『世間流布ノ日記』との表現であるが、初版は現存していない『辺路札所ノ日記』のこととされる。
  15. ^ その中に「札所八十八ヶ所 道488里…など」内容が一致している。
  16. ^ その後の改訂版では『四國徧禮道指南』と名称を変えているが、これは、寂本の意見もあり従来使われていた辺路ではなく、広くゆきわたりあまねくとの意味で「徧」を、単なる道ではなくて人として生きる道という意味を含む「禮」を使用して、人の道を求める修行者の意味を込めている。なお以下、一般的な『四国遍路道指南』 と表記する。
  17. ^ 24番から39番および番外札所月山
  18. ^ 高知県では明治5年2月の布達で遍路入国禁止[11]
  19. ^ 高知県では明治9年4月の布達により解除
  20. ^ 同書によると、現在のような四国霊場会は存在しなかったが、1910年頃に小林正盛という人物が組織化を模索した形跡があるとされる。
  21. ^ 阿弥陀如来、観音菩薩、不動明王、薬師如来、地蔵菩薩
  22. ^ 一か山 の「か」は王偏に「果」
  23. ^ 光明寺
  24. ^ 大瀧寺は「四国八十八ヶ所総奥ノ院」と、仙龍寺は「四國總奥之院」と、與田寺は「四國八十八ヶ所奥院」と各寺の入口の寺名の石板に表記されている。
  25. ^ ロードバイククロスバイクマウンテンバイクシクロクロスランドナーなど。
  26. ^ ケガや病気また故郷を追われた者など顔を晒したくない者でも受け入れたことに由来する。
  27. ^ 布団も基本的にはない。
  28. ^ 小屋やガレージなどを一時的に利用してもよいとする霊場を含む。
  29. ^ 三角寺本堂の前に掲示されている由緒書きに「…殊に四国霊場中當山を伊予の関所として尊信おかざるは偏に御本尊威徳力の如からしむ處と謂うべし。」とある。
  30. ^ 門脇画伯が4年間に亘り自ら各霊場を巡って制作したもので、昭和41年から44年まで4回に渡って東京三越本店で発表されたものである。
  31. ^ 第3弾では、鈴井貴之、大泉同じくTEAM NACS安田顕森崎博之が一部参加。
  32. ^ 本企画の前に、「試験に出るどうでしょうシリーズ」という、全国各地に直接赴いて社会科の勉強をする企画があり、その企画の最終日に行われる試験で受験者(第1弾では大泉、第2弾では安田、第3弾では鈴井・安田)が合格点を取れなかった際に、大泉が全責任を取って巡礼を命じられている。
  33. ^ ほとんどの寺院で先述の巡拝の手順を踏襲していないことが多く、夜間にも巡礼を続行することや短期間で制覇しなければならないという制約などから、寺院や山門を背景に撮影したことで「巡礼」と見なしている。

出典

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