神峯神社とは? わかりやすく解説

神峯神社

読み方:コウノミネジンジャ(kounominejinja)

教団 神社本庁

所在 高知県安芸郡安田町

祭神 大山祇大神 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

神峯神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/09 18:18 UTC 版)

神峯神社

本殿
所在地 高知県安芸郡安田町唐浜
位置 北緯33度28分7.64秒 東経133度58分30.65秒 / 北緯33.4687889度 東経133.9751806度 / 33.4687889; 133.9751806 (神峯神社)座標: 北緯33度28分7.64秒 東経133度58分30.65秒 / 北緯33.4687889度 東経133.9751806度 / 33.4687889; 133.9751806 (神峯神社)
主祭神 大山祇命
社格 県社
創建 (伝)神武天皇時代
本殿の様式 入母屋造
札所等 四国八十八箇所27番奥の院
例祭 秋季大祭(10月28日)
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神峯寺山門横に並ぶ神峯神社鳥居
神輿が下ろされる
燈明岩

神峯神社(こうのみねじんじゃ)は、高知県安芸郡安田町にある神社。祭神は大山祇命、配神は天照大神、春日大神(天児屋根命)、八幡大神(応神天皇)。社格は県社。四国八十八箇所二十七番札所神峯寺の奥の院であるが、もとは札所であった。

概要

神峯山(標高569.9m)の山頂近くの標高500m付近にあり、神峯寺の約250m[1]上った所に位置する。神峯寺の前身である観音堂との神仏習合の宗教施設であったが、明治初期の神仏分離令により仏教施設が廃され神社のみが残った。明治20年(1887年)に神峯寺が再興され、現在は神峯寺の奥の院という位置づけとなっている。

神峯神社日記によれば、神武天皇が東征の際、この山を神の峯とし石を積み神籬を立てて祀ったことが起源と伝えられている。

本殿の向かって右奥上方には燈明巌(とうみょういわ)と呼ばれる岩がある。この岩は太古から夜が更けると青白く光っていたと言われている。天変地異などの異変が起こる前兆として光ると言われており、日清戦争日露戦争関東大震災太平洋戦争南海地震の前に光ったと伝えられている。

秋季大祭

毎年10月28日に行われる。標高450m[2]の神社から、4km離れた海岸の御旅所まで成人男性が神輿を担いで駆け下りる。神楽太鼓が奉納される。かつては奉納相撲も行われていたが少子高齢化により平成18年(2006年)を最後に途絶えていた。平成28年(2016年)10月28日に唐浜の松林にある土俵で町立安田小学校の児童ら約40人が参加して奉納相撲が9年ぶりに開かれた。[1]

境内

  • 一の鳥居:はるか下の麓の上り口の車道脇にある。
  • 二の鳥居:神峯寺の仁王門の横に立つ。
  • 三の鳥居:境内前の駐車場からの入口に木製の簡素な鳥居
  • 本殿:拝殿と本殿が一体になっている。
  • 摂社・龍田神社:本殿の向かって右の祠
  • 摂社・豊受神社:さらに上にある祠
  • 摂社・岩屋神社:本殿に向かって左を進み回り込んだ浅い洞窟に祀られる。
  • 灯明岩:本殿の右上方の岩壁にあり。

文化財

大樟
高知県保護文化財
  • 神峯神社本殿 - 江戸時代中期の享保3年(1718年)建立。桁行三間、梁間五間、枌葺三面入母屋造り[3]、千鳥破風一間向拝付き、縫破風軒、唐破風付きこけら葺屋根。本来、観音寺であった頃は観音堂となっており拝殿と本殿が一体化した造りとなっている。昭和30年(1955年)8月19日指定。
高知県天然記念物
  • 神峯神社の大樟 - 推定樹齢約900年のクスノキである。樹高約150m、直径約3.6m。根元には神経痛に利益があると言われる樟神社が祀られている。明治7年(1874年)に土砂崩落により根元から6mほど埋まったが、昭和28年(1953年)に3mほど掘り出した。昭和30年(1955年)8月19日指定。

注釈

  1. ^ 神峯寺本堂から大師堂の段に上がる直前に上り口があり、そこから250mで神社に至る遊歩道がある。仁王門のすぐ上の鳥居からのコースだと約400m
  2. ^ 祭りのポスターでは600m
  3. ^ まんま vol.4”. 安田町. p. 9. 2024年12月9日閲覧。

参考文献

  • 高知県高等学校教育研究会歴史部会 編『高知県の歴史散歩』山川出版、2006年、173-174頁。 

外部リンク


神峯神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 15:39 UTC 版)

神峯寺」の記事における「神峯神社」の解説

かつては札所で、本殿下の社務所が元の寺で、社寺が一体であった

※この「神峯神社」の解説は、「神峯寺」の解説の一部です。
「神峯神社」を含む「神峯寺」の記事については、「神峯寺」の概要を参照ください。

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