神峰神社と日立市の名のおこり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 14:57 UTC 版)
「神峰山 (茨城県)」の記事における「神峰神社と日立市の名のおこり」の解説
神峰山はその山容から、沿岸海上からよく目立ち、山あての山となっていたと思われる。山頂のある旧宮田村、近隣の旧助川・会瀬村の漁民の信仰があつく、山頂に宮田・助川・会瀬の鎮守の神峯神社がある。 江戸時代の元禄年間、水戸藩第2代藩主徳川光圀公が、隠居後、神峰山に登り、神峰神社に詣でて、朝日が昇ってくるのを眺め、その光景は領内一だと言ったといわれ、のち、宮田村が日立村となったのは、この伝説によるという説がある。 1905年に、久原房之助が宮田川上流の赤沢銅山を再興するに当たり、村名を取って、日立鉱山と改称した。日立鉱山から、日立製作所がうまれ、1939年に成立した日立市の名前の元となった。
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