神岡鉄道廃止後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 01:49 UTC 版)
「神岡鉄道KM-100形気動車」の記事における「神岡鉄道廃止後」の解説
エンブレム等が取り外され旧神岡鉱山前駅構内の車庫にて2両とも保存された。これは地元自治体である飛騨市が構想していた観光鉄道化に備えたものであったが、市長の交代等に伴って構想は撤回され、車庫内での留置が続いた。2010年6月の廃線ウォーキングの際にはKM-151がKMDD13形とともに公開された。 2016年12月、飛騨市は補正予算に、廃線跡を活用した「ロスト・ライン・パーク」構想のための費用を盛り込み、その一環として保存中の本形式1両(KM-101)を旧奥飛騨温泉口駅に移設する予定であると発表した。2017年4月8日の移設の際には廃止以来約10年ぶりに自力走行を実施することが告知され、実際に走行した。奥飛騨温泉口駅で展示され、冬に入る頃には再び自力走行により旧神岡鉱山前駅の車庫に戻る。KM-151は同年夏から運転体験が開始された。2018年からは枕木交換会の際にも運転体験が開始されている。
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