神岡鉱山の自家発電
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 15:23 UTC 版)
岐阜県北部の飛騨地方に位置する神岡鉱山は、2001年(平成13年)に採掘が中止されるまで亜鉛・鉛鉱山として栄えた鉱山である。三井グループに属する三井金属鉱業(三井金属鉱業神岡鉱業所)が操業していたが、1986年(昭和61年)に子会社神岡鉱業が設立されて鉱山経営に当たるようになり、採掘終了後も同地で引き続き亜鉛の製錬所を操業している。 三井グループ(三井財閥)による神岡鉱山の経営は、1873年(明治6年)に当時の三井組が一部鉱区を取得したことに端を発する。以降、三井組は順次買収などにより鉱区を拡大し、1889年(明治22年)に神岡鉱山全体を掌中に収めた。1892年(明治25年)には三井鉱山合資会社、後の三井鉱山株式会社(2009年より日本コークス工業)が設立され、鉱山経営は三井組から同社に移る。三井金属鉱業による経営となったのは1950年(昭和25年)に石炭・金属両部門の分割により三井金属鉱業が成立して以降のことであり、従って明治から大正、昭和戦前期を通じて神岡鉱山を経営したのは三井鉱山株式会社であった。 三井鉱山の経営となった神岡鉱山では、1894年(明治27年)3月に初めて発電設備が設置され、夜間の工場照明が石油ランプから電灯に切り替えられた。この電灯点灯は神岡鉱山のみならず、岐阜県全体で見ても初めての電灯導入事例であった。これが神岡鉱山における電気利用の第一歩であるが、この時点ではまだ電気は動力としては使用されず、1897年(明治30年)の導入成功以降ペルトン水車が明治の末期まで選鉱・製錬などの動力源として用いられた。次いで1905年(明治38年)、製錬所の移転にあわせて出力5キロワット(後に30キロワットへ増強)の小型水力発電所が設置された。 やがて鉱山の外、船津の町においても、民間の船津電灯という会社の手によって1910年(明治43年)から電気の供給が始まる。同社は供給に余力があったことから神岡鉱山はここから26キロワットの電力を受電することになり、機械動力の電化が始まった。生産の増加に呼応して1917年(大正6年)には出力240キロワットの割石発電所が完成。同発電所の完成により、導入がすでに始まっていた空気削岩機に電動空気圧縮機が使用できるようになり、機械による鉱山採掘が本格化した。1919年(大正8年)には出力800キロワットの土(第一)発電所も建設されている。
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