日本における同性愛
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年表
2010年代以降については、Portal:LGBT/最近の出来事も参照。
古代 - 江戸時代
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- 720年(養老4年) - 『日本書紀』
- 759年(天平宝字3年)以後 - 『万葉集』(大伴家持の歌に男性に宛てたものあり)
- 797年(延暦16年) - 『続日本紀』
- 1136年(保延2年)- 1155年(久寿2年)- 『台記』に男色に関する記述。
- 1321年(元享元年) - 『稚児之草紙絵巻』(寺院内の男色)
- 1339年(延元4年/暦応2年)- 北畠親房が『神皇正統記』で男色の流行に言及。
- 14世紀(推定) - 鎌倉末期-室町初期の成立と推定される『稚児観音縁起』に稚児と僧の関系描かれる。
- 1675年(延宝三年) - 菱川師宣による男色画のみで構成された春本『若衆遊伽羅之縁』刊行、その他[33]。
- 1682年(天和2年) - 井原西鶴『好色一代男』に男色に関する記述。他に『男色大鑑』『武道伝来記』(各1687年)も。
- 1716年(正徳6年/享保元年)頃 - 『葉隠』に衆道の心得を説く一章。
- 1733年(享保18年) - 西川祐信『男色山路露』
- 1763年(宝暦13年)- 平賀源内『根無草』刊行。他にも『菊の園』(1764年)、『男色細見』(1775年)、『乱菊穴捜』など男色関係著書多数。
- 1765年(明和2年) - 月岡雪鼎『尻穴重莖記大成』
- 1768年(明和5年) - 上田秋成『雨月物語』(1768年序)に男色作2編。
- 1802年(享和2年)〜 - 十返舎一九『東海道中膝栗毛』で喜多八は弥次郎兵衛の馴染の陰間と言及。
- 1817年(文化14年)〜歌舞伎の『桜姫東文章』初上演。修行僧清玄が、稚児白菊丸と心中をはかるが白菊丸のみ死に桜姫として転生。
幕末・明治時代以降
明治期〜昭和初期にかけての同性愛に関する文献一覧は詳細欄参照。
- 1858年(安政五年)11月16日 - 西郷吉之助(西郷隆盛)と僧・月照が、日向国にむかう途中に錦江湾に入水し、同性心中を図る。西郷のみ一命を取り留める。
- 1864年(元治元年)5月20日 - 近藤勇の中島次郎兵衛に宛てた書簡に新選組内で「しきりに男色が流行している」と記される。
- 1880年 - 1872年の「鶏姦律条例」及び、翌年の「改定律例」では男性同士の肛門性交(鶏姦)が犯罪とされたが(後者の第266条では懲役刑)、1880年制定の旧刑法には引き継がれず、1882年1月1日の同法施行で鶏姦罪は消滅した。
- 1884年 - 18世紀前半成立の若衆物語『賤のおだまき』が、新聞『自由燈』に掲載される。学生を中心に全国的に普及する。
- 1892年 - 『明教新誌』(1月6日)に「変成男子」掲載。
- 1893年 - 『風俗画報』(9月,10月,11月,12月号など)に「男色-笹の屋」連載。
- 大正年間・昭和太平洋戦争前期 - 東京に発展場ができていたとみられ、江戸川乱歩『一寸法師』(1927年/昭和2年)には深夜の浅草公園に屯すゲイの描写が生々しく描かれている[4]。
- 1913年
- 1914年4月 - 『同性の愛』(野元一二)文明社
- 1914年7月 - 『中央公論』に「男優の女と女優の男」など女装などに関する記事掲載。
- 1920年 - 『日本及日本人』(9月20日)「男性間に於ける同性愛」(田中香涯)掲載。
- 1921年 -『婦人公論』「女が手術を受けて男になった話」(10月8日)掲載。
- 1923年4月 -『性』「性感と異性化」(同性愛、異性装)、「ウールニングとウラニスムス」(同性愛)。
- 1925年4月8日 - 菊池寛が古今東西の男色に関する博識を披露した手紙を坂田行雄宛に送る[50]。
- 昭和初年 - ゲイバー、ゲイクラブが出現[4]。
- 1930年 - 『犯罪科学』に岩田準一が「本朝男色考」(昭和5-6年)連載。南方熊楠、江戸川乱歩、稲垣足穂らと共に男色研究に足跡。
- 1931年 - 『同性愛の研究』(守田有秋、人生創造社)。
1945年-1960年代
- 1945年
- 1946年
- 9月『三田文学』に女性同性愛作品「レスボス」が載る。同年10月20日『赤と黒』に「男娼秘話 男を女にする支那風俗物語」掲載。
- 1947年 -『奇譚クラブ』(12月号)に「僕の男妾の告白」が載る。(太平洋戦争後直後の同性愛を取り上げた雑誌記事一覧も参照)。
- 1949年 - 7月、三島由紀夫が同性愛を告白した『仮面の告白』上梓。
- 1950年代頃? - 東京に旅館「砂川屋」、大阪・新世界に同「竹の家」(1953年頃)開店。
- 1946年-1950年頃 - ゲイバー「ブランスウィック」(銀座)、「市蝶」(上野)、「夜曲」(新宿初)開店。
- 1951年
- 新宿2丁目(現3丁目)初のゲイバー「イプセン」開店。
- 11月、昭和20年代の日本の同性愛世界を描いた三島由紀夫「禁色」(単行本)発行。
- 1952年
- 1954年 - 蘭屋が銀座から新宿2丁目千鳥街に移転。翌1955年、新宿2丁目(当時)要町に移転。
- 1956年 - 一高時代の下級生の美少年との淡い恋と失恋が綴られた福永武彦『草の花』刊行。
- 1958年 - 東京・南池袋に旅館「西武園」(後西武苑)開店[106]。
- 1959年
- 1950年代-1960年代半ば?頃 - 今の新宿2丁目ゲイタウン形成前で、新宿2丁目要町(現・3丁目)、新宿2丁目千鳥街(新宿御苑近く)、花園街(現・新宿ゴールデン街。区役所通り・三光町など含む)にゲイバーがいくらか集まる飲み屋街形成[58]。
- 1960年
- 1月、男性同性愛専用ページが常設された『風俗奇譚』創刊。
- 11月(?)、『風俗奇譚』が1961年1月号から女装専用ページ「女装愛好の部屋」常設。
- 1963年
- 1964年- 司馬遼太郎の衆道を取り上げた「前髪の惣三郎」が収録された短編小説集「新選組血風録」(中央公論社)刊行(後、大島渚監督により映画化)。
- 1965年 - 『平凡パンチ』(2月15日)に「クールなセックスの時代 同性愛-なぜホモにあこがれるか」掲載。これ以降同誌で同性愛関連記事が増える(平凡パンチタイトル一覧:詳細欄参照)。平凡パンチ以外の太平洋戦争後の一般誌の同性愛記事については[詳細 5]参照。「日本におけるLGBTの権利#メディア」も参照。
- 1960年代中後半頃か - 新宿御苑近くの「千鳥街」が新宿2丁目仲通り沿いの「新千鳥街」に移転[107]。この頃から現在の2丁目ゲイタウンがスタート。(「新宿二丁目#ゲイ・タウンの歴史」も参照)。
- 1966年 - 矢頭保のゲイ写真集『体道・日本のボディビルダーたち』(ウエザヒル出版社)発売。
- 1967年 - カルーセル麻紀『愛して横浜』で歌手デビュー。
- 1968年
- 1969年 - ピーターが映画『薔薇の葬列』で俳優デビュー。同年『夜と朝のあいだに』で第11回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。
1970年-1980年代
- 1971年
- 1972年 - 新宿地区で最初のゲイショップ「パラダイス北欧」(西口甲州街道沿い)開店。同年ヘテロ男性向けポルノがメインの「カバリエ」新宿3丁目店も開店(どちらの開店月が早いかは未検証)。
- 1973年- 東京・池袋に「陣屋(JIN-YA)」(旧泉)開店[108]。
- 1974年
- 1975年
- 1970年代半ば頃 - 東京新宿5丁目にゲイディスコの走り「ブラックボックス」開店、同じ頃大阪・堂山町にも「ウォーム・ガン」開店。
- 1976年
- 新宿五丁目Qフラットに美輪明宏が「クラブ巴里」出店。同年5月同じビルに薔薇族編集長が「談話室 祭」出店。
- 11月、ゲイ団体「日本同性愛者解放連合」結成、10人近くで数年間活動。
- 1977年
- 1978年
- ゲイ雑誌『The Ken』創刊(1981年に『The Gay』に改名)。
- ゲイ写真集メーカー「ストームプランニング」設立。
- TBSラジオ『スネークマンショー』の「ウェンズデースペシャル」というコーナーをゲイのタック(TAQ)が担当。カミングアウトし、ニュースレターが出され、OWCというゲイグループも後に生まれた。
- 1979年
- 1970年代後半頃か?、ゲイショップ「エレクト」開店。
- 1970年代後半頃、新宿二丁目にゲイディスコ「MAKO」開店。同じ頃、大阪堂山町に「パイプライン」開店。
- 1970年代後半~80年代前半頃、大阪堂山町にゲイディスコ「クリストファー」開店。
- 1981年
- 1982年
- 1983年
- ティーン中心のゲイサークル「CLⒶSS」(本部:東京赤羽,大阪《所在地尼崎》、正確な表記はAの外側に◯)結成(それまでも別会名で活動)[4]。
- 赤塚不二夫「ニャロメのおもしろ性教育」(西武タイム)発売。同書7章で同性愛などが肯定的に取り上げられる。
- 沖雅也が「おやじ、涅槃でまってる」という遺書を置いて、投身自死。
- ゲイ写真集メーカー「Y・B・SPORTS」 大阪で設立(後にゲイビデオも出す)。
- 1984年
- 1985年 - 東大阪市長瀬に「上方DJ倶楽部」発足。
- 1986年
- 3月、「OCCUR」結成、のち「動くゲイとレズビアンの会」(通称OCCUR)と名乗る。
- 5月1日〜3日まで、IGA(現ILGA)日本(代表・南定四郎)が「第一回アジアゲイ会議」開催。
- 初のゲイハンドブック『オトコノコのためのボーイフレンド』(少年社)発刊。
- 天才たけしの元気が出るテレビでゲイのセリーヌ・カンが人気に。
- ゲイショップ「ルミエール」がエレクトの謎の火災で焼失後に後継店として開店。
- 1987年 - 8月、『別冊宝島』(JICC出版局)「女を愛する女たちの物語」。
- 1988年
- 88年10月-89年9月まで、フジテレビ系『笑っていいとも』でニューハーフブームの引き金になった「Mr.レディ & Mrタモ金の輪」放送。
- 12月、ホモセクハラを告発した北小路氏の『光GENJIへ』(データハウス)発刊。
- 1989年(昭和64年:1月1日 - 1月7日/平成元年:1月8日 - 12月31日)
1990年-2000年代
- 1990年
- 1991年
- 2月、東京都府中青年の家裁判が起こされる。
- 4月、『SPA!』「ゲイの聖地・新宿二丁目ヌーベルバーグ体験ルポ」(4月24日号)掲載。
- 5月、『DIME』「仕事ができる女はゲイが好き」(5月16日号)掲載。
- 6月1日、「プライベート・ゲイ・ライフ―ポスト恋愛論」(学陽書房,伏見憲明)発刊。
- 6月22日、日本初の一般向けドッキュメンタリーゲイ映画『らせんの素描』(小島康史監督)公開。
- 6月、『IMAGO』(8月号 青土社)で「レズビアン」特集。
- 7月20日、リヴァー・フェニックスとキアヌ・リーブスがゲイの男娼役で主演した「マイ・プライベート・アイダホ」公開。
- 8月、『インパクション』(インパクト出版会)71号で「ゲイリベレーション」特集。
- テレビ朝日系『こだわりTV PRE☆STAGE』で同性愛が特集された。伏見憲明が企画にも参加。同性愛が専門的、多角的に取り上げられたテレビ番組としては日本初。
- 東京都港区・芝浦「GOLD」でゲイナイト「THE PRIVATE PARTY」開催。同時期、大阪「ゲネシス」(心斎橋ビブレ)でも開催。
- 1992年
- 3月6日~8日、第1回「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」中野サンプラザにて開催。
- 7月、『別冊宝島』「ゲイの贈り物」。
- 8月、フジテレビ系『NONFIX』でゲイ団体の活動をドキュメントした「ピンクトライアングル 素顔の同性愛者たち」放送。
- 10月24日、豊川悦司と筒井道隆がゲイを演じた映画「きらきらひかる」公開。
- 朝日放送系「My Teacher's Love ゲイ先生の日常風景」放送。
- 1993年
- 1月、『別冊宝島』「ゲイのおもちゃ箱」。
- 7月8日、テレビ東京系『TVチャンピオン』で「ニューハーフ料理名人選手権」放送(翌年3月3日も第2回放送)。
- 8月、西野浩司『新宿二丁目で君に逢ったら』刊行。
- 9月、オープンリーゲイの橋口亮輔監督の映画作品で袴田吉彦が主演した『二十才の微熱』公開。一般向けの本格的ゲイ映画としては日本初。
- 10月9日、奥田瑛二演じるゲイが登場した、滝田洋二郎監督の映画作品『眠らない街 新宿鮫』公開。
- 10月18日、『アエラ』「当世大学生事情 キャンパスに咲く“ゲイ・ルネサンス”」(1993年10月25日号)掲載。
- 10月20日、同性愛について本格的に取り上げた日本テレビ系連続テレビドラマ『同窓会』放送。
- 12月、『マルコポーロ』(1994年2月号)「普段着のゲイ」掲載。
- 1994年
- 厚生省(現在の厚生労働省)が同性愛を治療の対象から除外した世界保健機関(WHO)などの見解を踏襲。
- 文部省(現在の文部科学省)が児童生徒指導書の「性非行」の項目から同性愛を削除。
- 2月17日、『別冊宝島』「ゲイの学園天国」。
- 3月24日、TBS系『上岡龍太郎がズバリ!』で「ゲイ50人集合」放送。その後「サラリーマンのゲイ」、「ミス・ダンディ」も取り上げられる。
- 3月31日、TBS系『上岡龍太郎スペシャル』「ミスターレディー全国大会・第1回」放送。
- 4月、「GAY-FRONT関西」(現G-FRONT関西)が「ぷあぷあ」など既存3団体を統合して発足)。
- 8月28日、ゲイ・パレード(ILGA日本が中心の実行委員主催)が日本で初開催される。各種ニュースや9月放送TBS系『ドキュメントDashDash』などで取り上げられる。
- 9月29日、TBS系『上岡龍太郎スペシャル』「ミスターレディー全国大会・第2回」放送。
- 11月、ゲイ雑誌『Badi』(95年1月号)創刊。
- 1995年
- 1996年
- 1997年
- 1999年- 12月18日、新撰組における男色を描いた映画『御法度』公開。
- 1990年代終わり-2000年頃 - ゲイ向け携帯サイト「ゲイモード」開設。
- 2003年
- 2004年
- 性同一性障害者特例法成立。
- 11月、京都府初の「レインボーパレード」開催。
- 2005年
- 2006年
- 2007年
2010年代
- 2011年 - ゲイの石川大我(現:参議院議員)が東京都豊島区議会議員に、石坂わたるが同中野区議会議員に当選。
- 2012年
- 2013年
- 3月-8月、フジテレビ系テレビ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(2014年放送終了)で「オネメン・コンテスト」開催。非女装、非オネエのゲイも出場するようになる。
- 5月、民主党参議院議員の室井邦彦(比例区)が辞職したため、公職選挙法の規定により尾辻かな子元大阪府議会議員(レズビアン)が参議院議員に繰り上げ当選した[110][111](同年7月の参議院選挙には出馬せず、任期満了)。同性愛者(LGBT)であることを公表した初めての国会議員の誕生。
- 8月、ゲイビデオ会社ゲームスが、出演モデル(ゲイポルノ男優)を勧誘した際に「顔は映さない」「一般には出回らない」などと約束したにも拘わらず、実際は顔を映して制作しインターネット配信で発売していたことが発覚。出演者は特定され個人情報も流出し、メディアでも大きく報じられたことで出演者はバッシングを受けることになった。またモデルが一度出演した後に「(顔が映った)映像をばらすぞ」と脅し、2回目の出演を強要していたことも発覚した[112]。
- 2015年
- 2月、東京都渋谷区議会が同性カップルに対して「結婚に相当する関係」と認める証明書を発行するという条例案をまとめ、3月に提出することを発表する。日本の地方自治議会では初の試み[113]。
- 3月31日、同性カップルを結婚に相当する関係と認め、「パートナー」として婚姻届と同等として証明する東京都渋谷区の『渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例』が、渋谷区議会本会議で、賛成多数で可決、成立[114][115][116]。採決結果は、定数34のうち自由民主党区議ら計11人が反対した[114][115][116]。同条例は、男女平等や多様性の尊重をうたった上で、「パートナーシップ証明」を実施する条項を明記[114][115][116]。パートナーシップを「男女の婚姻関係と異ならない程度の実質を備える関係」と定義[114][115][116]。同性カップルがアパートの入居や病院での面会を断られるケースなどに配慮し、不動産業者や病院に、証明書を持つ同性カップルを夫婦と同等に扱うよう求めている[114][115][116]。条例の趣旨に反する行為があり、是正勧告などに従わない場合は、事業者の名前を公表する規定も盛り込まれている[114][115][116]。
- 4月1日、東京都渋谷区がパートナーシップ宣誓制度を開始。全国で初[114][115][116]。
- 8月24日、一橋大学法科大学院の男子学生が同性愛者であることを暴露されたことに苦しみ、パニック障害の発作を起こして大学の建物6階ベランダから転落して死亡した。(一橋大学アウティング事件)
- 2017年
- 2019年(平成31年:1月1日 - 4月30日/令和元年:5月1日 - 12月31日)
2020年代
- 2021年
- 3月17日、2019年2月に北海道内のカップル3組6人が同性同士の法律婚を認めないのは憲法違反として慰謝料の支払いを国に要求した訴訟の判決で、札幌地方裁判所(武部知子裁判長)は原告の請求を棄却するも、法の下の平等を定めた憲法14条に照らし、「同性婚禁止は違憲」との判断を下した[124]。これに対し、加藤勝信内閣官房長官(菅義偉内閣)は同日午後の定例記者会見で、「現段階では確定前の判決であり、また他の裁判所に継続中の同種訴訟もある。そうした訴訟の判断も注視していきたい」「政府としては、婚姻に関する民法の規定が憲法に反するものとは考えていない」と述べた。一方、税制や相続面での不利益の是正に関しては「判決の詳細について承知していないと申し上げたが、今後、法務省などで精査することになる」とも述べた[125]。なお、裁判所の下級裁判所裁判例速報によると、違憲とされたのは、同性愛者に対して婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないことである[126][127]。
- 3月19日、同性カップルにおける不貞行為をめぐる慰謝料請求訴訟において、請求を認容した第一審(宇都宮地方裁判所真岡支部(中畑洋輔裁判官))[128]、控訴審(東京高等裁判所(秋吉仁美裁判長))[129]に続き、最高裁判所が上告を棄却したことで、「同性カップル間でも内縁関係が成立する」との司法判断が確定した[130]。
注釈
- ^ 武田信玄と源助の衆道関係を示す証拠として一次史料である書状が現存している。ただし源助は「春日源助」とされ、信玄・勝頼期の譜代家老・春日虎綱(高坂昌信)に比定されるものと考えられていたが、近年は「春日」姓が後筆である可能性が指摘され、「春日源助」の人物比定については再検討が望まれている(柴辻俊六「戦国期信濃海津城代春日虎綱の考察」)。
- ^ 天保13年(1842年)に陰間茶屋が禁止されるなど風俗は取り締まられるが、風紀を乱すものという理由のほか、性病の蔓延なども背景にあった。当時抗生物質は発見されておらず、梅毒は不治の病であり、しかも劇症性で朽ち果てて死んでいった。
- ^ 大正より前の明治・江戸期に発展場に類するような場所があったかについては検証が待たれるが、明治期に刊行されたグラフ誌「風俗画報」に「男色 笹の屋」(明治26年9月など)という記事があり、これが今でいう発展場の様なものだったのか、男娼を置いた陰間茶屋だったのかは検証されていない。因みに「風俗画報」原本は明治大学駿河台キャンパス図書館(4冊欠本)に、CD-ROM版(完全版)は同和泉キャンパス図書館にそれぞれ所蔵されている
- ^ 国際的同性愛組織ILGAの日本支部、ILGA日本は1996年の第3回東京レズビアン・ゲイ・パレードを最後に目立った活動が見られなくなった。同年はアドンが廃刊になった年でもあった。
- ^ なお休刊後の「G-men」はオンラインでの情報発信に移行した。
出典
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- ^ Leupp, Gary P. (1999). Male Colors:The Construction of Homosexuality in Tokugawa Japan. University of California Press. pp. 26. ISBN 0-520-20909-5
- ^ 難波, 美緒「「阿豆那比の罪」に関する一考察」(PDF)『早稲田大学大学院文学研究科紀要. 第4分冊』第59巻第6号、早稲田大学大学院文学研究科、日本、2014年2月26日、145-161頁、ISSN 1341-7541、NAID 120005430678、2017年11月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as 「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社・発売雪淫社)
- ^ a b c 「江戸男色考・悪所篇」(柴山肇、批評社)
- ^ 信長と森乱丸(蘭丸)の関係については異説ならびに異論もある。詳細は森成利参照。
- ^ a b c d 『男色の日本史』(作品社)ゲイリー・P・リュープ。
- ^ 景勝と長範について記す史書は江戸時代になって成立したもので二次史料ではあるが、当時の長範の知行等の待遇や逸話などから考えると、景勝と長範が実際に男色関係にあった可能性もあると推論されている。
- ^ 政宗と作十郎(勝吉)の衆道関係を示す一次史料の書状が現存している。
- ^ 佐藤憲一著「伊達政宗の手紙」(新潮選書)
- ^ 『日本巡察記』(平凡社 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ著)
- ^ 『日本大王国志』(平凡社 フランソア・カロン著)
- ^ 「『葉隠』における武士の衆道と忠義―『命を捨てる』ことを中心に―」(頼鈺菁)より。
- ^ 五代将軍綱吉が美少年を住まわせた「桐御殿」は柳沢吉保の邸内に設けられた。
- ^ 綱吉の下で権勢を振るった柳沢吉保も少年時代に綱吉の寵童だったことが知られている(「オトコノコのためのボーイフレンド」1986年,少年社)が、一方、綱吉の館林藩士時代からの家臣である吉保は、綱吉の学問上の弟子でもあり、後に綱吉が将軍となると吉保は大老格・国持大名となっている。そのことから、少年時代に綱吉の寵童だったとする俗説が唱えられるようになったとする見方がある。[要出典]
- ^ 『「土芥寇讎記」の基礎的研究』所収『「土芥寇讎記」における男色・女色・少年愛』P6
- ^ “Japanese Hall”. 2016年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月10日閲覧。
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- ^ Leupp, Gary P. (1997). Male Colors:The Construction of Homosexuality in Tokugawa Japan. University of California Press. pp. 34–37. ISBN 0-520-20900-1
- ^ Leupp, Gary P. (1997). Male Colors:The Construction of Homosexuality in Tokugawa Japan. University of California Press. p. 132. ISBN 0-520-20900-1
- ^ a b 「図像の数量分析からみる春画表現の多様性と特色—江戸春画には何が描かれてきたのか—」総合研究大学院大学 鈴木 堅弘
- ^ a b Mostow, Joshua S. (2003), “The gender of wakashu and the grammar of desire”, in Joshua S. Mostow, Norman Bryson, Maribeth Graybill, Gender and power in the Japanese visual field, University of Hawaii Press, pp. 49–70, ISBN 0-8248-2572-1
- ^ Leupp, Gary P. (1997). Male Colors:The Construction of Homosexuality in Tokugawa Japan. University of California Press. pp. 95–97. ISBN 0-520-20900-1
- ^ Leupp, Gary P. (1997). Male Colors:The Construction of Homosexuality in Tokugawa Japan. University of California Press. pp. 241, 280, 438, 447, 502, 723
- ^ 元治元年(1864年)5月20日付近藤勇の中島次郎兵衛宛書簡「局中頻ニ男色流行仕候」。
- ^ 旧約聖書『レビ記』第22章に「汝女と寝るように男と寝ることなかれ是は憎むべきことなり」とある。米国の一部の州における同性結婚の合法化などの動きにも地元キリスト教組織は反対勢力となる例が多い。また英語圏で男色行為を指す「Sodomy/ ソドミー」は旧約聖書の『創世記』に記述された、住民の悪徳により神に滅ぼされた都市「ソドム」を語源とする。
- ^ Hepburn, James C. (1894). A Japanese-English & English-Japanese Dictionary. Z.P. Maruya and Company. pp. 241, 280, 438, 447, 502, 723
- ^ 「同性愛と異性愛」p216,風間孝, 河口和也
- ^ a b c d e 「改正犯姦律 犯姦條例 第二百六十六條」(JPEG) 『改定律例』 卷二、司法省〈刑法 (日本)〉、1873年6月13日。NDLJP:794279 。2012年10月10日閲覧。"凡鷄姦スル者ハ。各懲役九十日。華士族ハ。破廉耻甚ヲ以テ諭ス。其姦セラルヽノ幼童。十五歳以下ノ者ハ。坐セス。若シ強姦スル者ハ。懲役十年。未タ成ラサル者ハ。一等ヲ減ス。"。
- ^ a b 『矩を踰えて 明治法制史断章』(霞信彦、慶は大出版会)「鶏姦罪―施行八年半の軌跡」より。
- ^ 三橋順子『女装と日本人』p.138
- ^ 鶏姦罪が廃止された背景には他に、この期間も男色が盛んだった薩長など九州諸藩の政治的影響もあった可能性があるが未検証である。
- ^ a b c d e f 『ゲイという「経験」』伏見憲明 ポット出版 (2002/03) ISBN 4939015416
- ^ 『同性愛と同性心中』小峰茂之・南孝夫 小峰研究所(1985)
- ^ 昭和6年(1931年)『エロ・グロ男娼日記』「銀座街頭へ進出」(流山竜之助、三興社)。
- ^ 『南方熊楠男色談義・岩田準一往復書簡』八坂書房
- ^ 岩田準一は戦時下で「男色文献書志」の出版を試みるが叶わず、2002年に「本朝男色考」との合本で出版。
- ^ a b 四国新聞「男色の博識披露 菊池寛の手紙見つかる」(2008年8月31日)。
- ^ a b c d 『ゲイの民俗学』磯川全次 批評社(2006/01)ISBN 978-4826504355
- ^ 現代詩手帖 塚本邦雄追悼号
- ^ 2007年11月29日伊藤文学のひとりごと「古いゲイ雑誌『同好』を読んで思うこと」。
- ^ 『都会ロマン』「旭町の男娼・大阪男娼の森を訪ねて」(平尾伸吉、1949年)。
- ^ 『風俗クラブ』(1954年5月号)P92「男娼の異常性愛調査」(三橋順子「昭和29年(1954)の東京における男娼の概況」より)[1]。
- ^ この頃、男娼が米兵から強奪被害に遭遇(読売新聞「米兵 男娼から強奪」1953年7月2日)、16歳の少年に男娼が殺される(読売新聞「十六少年の凶刃 "夜の男"を殺して高校生自首」1951年1月6日)、米兵が男娼に切り付けられ傷害に遭遇する(「米軍属 男娼に切らる」読売新聞1953年11月12日)といったことも起きていた。
- ^ 1945年、新橋の烏森神社参道の飲み屋街にゲイバー「やなぎ」が開店。
- ^ a b 三橋順子「新宿 千鳥街 を探して(その1)」[2]。
- ^ 女装家・性社会史研究家 三橋順子「日本女装昔話」第3回「1960年代の女装世界を語る雑誌『風俗奇譚』」。
- ^ 『愛と哀しみの街新宿2丁目』原吾一 鹿砦社 (1997/06) ISBN 978-4846302214。原氏はこの著書で「1958年に2丁目にゲイバー1号店ができた」と書いているが、1951年に要町(当時2丁目)にイプセンが先にできており、その1号店とは赤線廃止後の“今の”2丁目ゲイタウンのエリアにできたゲイバーという意味の可能性がある。
- ^ a b c d e f 『聞きたい知りたい「性的マイノリティ」―つながりあえる社会のために』杉山 貴士 日本機関紙出版センター (2008/08) ISBN 978-4889008517
- ^ 東郷健がゲイの存在をアピールした功績は大きかったが、オカマ蔑称やステレオタイプな同性愛者像も同時に広めた。
- ^ 2012年2月27日伊藤文学のひとりごと「上京してきた寺山修司君との、最初の出会い」。
- ^ 「ホモ界の大新聞『薔薇族』100号記念までの悪戦苦闘」(1981年4月16日号)
- ^ レズビアン& ゲイブックガイド●レズビアン&ゲイ・ライフ
- ^ 『Badi』1997年4月号「伏見憲明のゲイ考古学 X氏の回想」によると、アドニス会の元会員の声として「アドニス会にはそういう(ゲイの解放という)志向はなかった」とある。
- ^ 『岩波講座 現代社会学〈10〉セクシュアリティの社会学』岩波書店 (1996/2/9) ISBN 978-4000107006
- ^ 文部省『生徒の問題行動に関する基礎資料』(1979年/昭和54年1月)IV性非行,④倒錯型性非行,オ同性愛では、「同性愛は一般的に言って健全な異性愛の発達を阻害する恐れがあり、また社会的にも、健全な社会道徳に反し、性の秩序を乱す行為と成り得るもので、現在社会であっても是認されるものではないであろう。」(抜粋)としていた。
- ^ 上野は1986年に出版された自著『女という快楽』で同性愛への差別意識を公言していた。
- ^ バディ1997年4月号「WALKIN BADI 26 名古屋 PART2」
- ^ HIVの多剤併用(カクテル)療法の確立には1996年まで待たねばならなかったが、この年(=1996年)を境にHIVに手も足も出せない時代は終わったといわれた。またアフリカでHIVに耐性をもった人がいると報告されていた他、血液を体外の機械を通す温熱療法でHIVが消えたという報道(米CNNニュース)もあり、死亡率は100%ではなかった。
- ^ a b 2012年9月22日伊藤文学のひとりごと「エイズ患者、第1号を同性愛者に」
- ^ 同性愛について取り上げたフジテレビ系の昼前の情報番組で「同性愛は尊重されるべきだ」と発言した。
- ^ 1992年8月フジテレビ系「ピンクトライアングル - 素顔の同性愛者たち」、1992年朝日放送系「My Teacher's Love ゲイ先生の日常風景」。
- ^ a b メイゴグ「コイトゥス再考#20越えがたきジェンダーという背理」(伏見憲明)[3]
- ^ 笑っていいとも Mr.レディー & Mr.タモキン
- ^ パフ・スクール「のんけ女性に消費されたゲイ、検証・90年代ゲイブーム」パフスクール アーカイブ 2011年11月17日 - ウェイバックマシン
- ^ 別冊宝島(JICC出版局)「女を愛する女たちの物語」(1987)、『ゲイの贈り物』(92)、「ゲイのおもちゃ箱」 (93)、『ゲイの学園天国』(94)
- ^ テレビ朝日で放送されていた深夜の情報番組「プレステージ」(91年)ではゲイが特集された。司会は蓮舫や飯星景子、ゲストには伊藤文学、伏見憲明、アキ企画系パラダイスビデオの制作スタッフ、映画「らせんの素描」に出演したゲイの青年らが出演した。そしてPARADISE VIDEOのゲイビデオが視聴者プレゼントされた。伊藤氏は同番組のゲイに特化した回ではない時も何度か出演している。その他、1990年前後のテレ朝系「2時のワイドショー」(中島梓がVTR出演)、1991年9月「美しきホモに酔う女たち」(「森田健作の熱血テレビ」テレビ朝日より)など、多くの情報番組でゲイが取り上げられた。
- ^ 新聞やニュースのほか関東ローカルのテレ朝系「プレステージ」では司会ラサール石井、パネラー竹中労らでこのトピックが討論された。
- ^ 1994年2月マルコポーロ「普段着のゲイ〜ゲイの楽園新宿二丁目ボクたちの愉しみ方〜」
- ^ Badi1998年5月号P52「同じゲイなら踊らにゃソンソン」。日本でのドラァグクイーン文化は自体はミス・ユニバースコンテストから始まった。
- ^ 「よくわかるゲイ・ライフハンドブック」(宝島books)。因みに、二丁目にはゲイにファンが多い中島みゆきの愛好家が集まるゲイバー(みゆきバー)が3軒あった。「36.5℃」「西海岸」「碧珊瑚」のうち「西海岸」は90年代終盤に閉店し、36.5℃も2010年前後に閉店した。代わって2010年前後に新しいみゆきバー「毒をんな」がオープンした。また現在でも二丁目クラブでは、ユーミンナイト、みゆきナイトが定期的に開かれている。
- ^ 一例として1991年9月テレビ朝日系「森田健作の熱血テレビ」の「美しきホモに酔う女たち」、朝日ジャーナル「ゲイに恋する女たち」(91年7月12日号)など。
- ^ 男性同性愛者を対象としたHIV抗体検査普及の取り組み-「エイズ予防のための戦略研究」後のエイズ発生動向の考察(IASR Vol. 33 p. 231-232:2012年9月号
- ^ 2014.10.24 中日新聞「HIV感染者に居場所を、浜松発・東海4県で支援」
- ^ 動くゲイとレズビアンの会「バック・トゥー・ザ 新木場事件」新木場事件」[リンク切れ]
- ^ 人権擁護推進審議会2001年答申「人権救済制度の在り方について」で同性愛に言及。
- ^ 『カミングアウト―自分らしさを見つける旅 尾辻かな子 講談社 (2005/08) ISBN 978-4062130905 』
- ^ 日本初のゲイ議員誕生 石川大我氏、石坂わたる氏が初当選
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- ^ ピュー・リサーチ・センターの同性愛に関するグローバル調査(2013年)詳細[4]
- ^ 『消える「新宿二丁目」―異端文化の花園の命脈を断つのは誰だ?』(彩流社、2009年)
- ^ a b BSジャパン『大竹まことの金曜オトナイト』「新宿2丁目に異変が!?ゲイコネクション最前線!」収録現場にテレビドガッチが潜入(2013年6月26日)
- ^ ”G-men休刊 デジタルコンテンツ特化へ ” - Badi.jp
- ^ ”「月刊誌バディ」休刊のお知らせ” - sbadi.jp
- ^ Badi 14 (3): 098-099. (2019).
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- ^ 「両性具有の美」(1997年新潮社)
- ^ 1986年刊行のゲイハンドブック「オトコノコのためのボーイフレンド」(少年社)も男性同性愛者をゲイで統一して呼んでいる。
- ^ Badi1998年3月号の西武苑の広告に「当館は40周年を迎える事に成りました。」とある。
- ^ 三橋順子「新宿 千鳥街を探して(その2)」より[5]。
- ^ 薔薇族2000年1月号広告より。
- ^ 「週刊文春」「ホモ界の大新聞『薔薇族』百号記念までの悪戦苦闘」(1981年4月16日号)
- ^ 総務省|参議院議員選挙にかかる繰上補充 2013年5月23日中央選挙管理会告示第8号「平成十九年七月二十九日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における名簿届出政党等に係る欠員による繰上補充による当選人の住所及び氏名に関する件」
- ^ 参院比例、民主の尾辻氏が繰り上げ当選 日本経済新聞 2013年5月22日
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- ^ 桑原利佳 (2019年3月13日). “ニッポンのLGBTはいま(4)「スケープゴートを作っても問題は解決しない」:尾辻かな子議員に聞く”. ニッポンドットコム 2019年7月24日閲覧。
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- ^ 一例としてテレビ朝日で放送されていた深夜の情報番組「プレステージ」(1991年)がありゲイが特集された。司会は蓮舫や飯星景子、ゲストには伊藤文学、伏見憲明、アキ企画系パラダイスビデオの制作スタッフ、映画「らせんの素描」に出演したゲイの青年らが出演した。そしてPARADISE VIDEOのゲイビデオが視聴者プレゼントされた。伊藤氏は同番組のゲイに特化した回ではない時も何度か出演している。
- ^ 1970年代にはフジテレビ系「3時のあなた」に薔薇族の伊藤文学が出演していた(2012年10月1日「伊藤文学のひとりごと」より)。
- ^ 1960年創刊の風俗奇譚にもゲイの文通欄はあった。
- ^ リンク切れゲイ専用TWO SHOTダイヤル
- ^ ゲイ専用TWO SHOTダイヤルの画像
- ^ テレビ出演ランキング エンターテイメントニュース「新宿2丁目に異変が!?ゲイコネクション最前線!BSジャパン『大竹まことの金曜オトナイト』収録現場にテレビドガッチが潜入」(6月26日)
- ^ 2011年11月7日伊藤文学のひとりごと「だまされる方が幸せなのかも」。
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