日本における同性愛 年表

日本における同性愛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/14 14:35 UTC 版)

年表

2010年代以降については、Portal:LGBT/最近の出来事も参照。

古代 - 江戸時代

  • 720年(養老4年) - 『日本書紀
  • 759年(天平宝字3年)以後 - 『万葉集』(大伴家持の歌に男性に宛てたものあり)
  • 797年(延暦16年) - 『続日本紀
  • 1136年(保延2年)- 1155年(久寿2年)- 『台記』に男色に関する記述。
  • 1321年(元享元年) - 『稚児之草紙絵巻』(寺院内の男色)
  • 1339年(延元4年/暦応2年)- 北畠親房が『神皇正統記』で男色の流行に言及。
  • 14世紀(推定) - 鎌倉末期-室町初期の成立と推定される『稚児観音縁起』に稚児と僧の関系描かれる。
  • 1675年(延宝三年) - 菱川師宣による男色画のみで構成された春本『若衆遊伽羅之縁』刊行、その他[33]
  • 1682年(天和2年) - 井原西鶴好色一代男』に男色に関する記述。他に『男色大鑑』『武道伝来記』(各1687年)も。
  • 1716年(正徳6年/享保元年)頃 - 『葉隠』に衆道の心得を説く一章。
  • 1733年(享保18年) - 西川祐信『男色山路露』
  • 1763年(宝暦13年)- 平賀源内『根無草』刊行。他にも『菊の園』(1764年)、『男色細見』(1775年)、『乱菊穴捜』など男色関係著書多数。
  • 1765年(明和2年) - 月岡雪鼎『尻穴重莖記大成』
  • 1768年(明和5年) - 上田秋成雨月物語』(1768年序)に男色作2編。
  • 1802年(享和2年)〜 - 十返舎一九『東海道中膝栗毛』で喜多八は弥次郎兵衛の馴染の陰間と言及。
  • 1817年(文化14年)〜歌舞伎の『桜姫東文章』初上演。修行僧清玄が、稚児白菊丸と心中をはかるが白菊丸のみ死に桜姫として転生。

幕末・明治時代以降

明治期〜昭和初期にかけての同性愛に関する文献一覧は詳細欄参照。

  • 1858年(安政五年)11月16日 - 西郷吉之助(西郷隆盛)と僧・月照が、日向国にむかう途中に錦江湾に入水し、同性心中を図る。西郷のみ一命を取り留める。
  • 1864年(元治元年)5月20日 - 近藤勇の中島次郎兵衛に宛てた書簡に新選組内で「しきりに男色が流行している」と記される。
  • 1880年 - 1872年の「鶏姦律条例」及び、翌年の「改定律例」では男性同士の肛門性交(鶏姦)が犯罪とされたが(後者の第266条では懲役刑)、1880年制定の旧刑法には引き継がれず、1882年1月1日の同法施行で鶏姦罪は消滅した。
  • 1884年 - 18世紀前半成立の若衆物語『賤のおだまき』が、新聞『自由燈』に掲載される。学生を中心に全国的に普及する。
  • 1892年 - 『明教新誌』(1月6日)に「変成男子」掲載。
  • 1893年 - 『風俗画報』(9月,10月,11月,12月号など)に「男色-笹の屋」連載。
  • 大正年間昭和太平洋戦争前期 - 東京に発展場ができていたとみられ、江戸川乱歩一寸法師』(1927年/昭和2年)には深夜の浅草公園に屯すゲイの描写が生々しく描かれている[4]
  • 1913年
    • 中央公論』(286号,1月1日発売)に田村俊子「同性の恋」(女性同性愛)掲載。
    • クラフト・エビング『性の精神病理』(1886年)が、日本で『変態性欲心理』というタイトルで出版。同性愛について異常と見なさない立場から最初に医学的に言及。乱歩などの日本の同性愛研究に影響。
  • 1914年4月 - 『同性の愛』(野元一二)文明社
  • 1914年7月 - 『中央公論』に「男優の女と女優の男」など女装などに関する記事掲載。
  • 1920年 - 『日本及日本人』(9月20日)「男性間に於ける同性愛」(田中香涯)掲載。
  • 1921年 -『婦人公論』「女が手術を受けて男になった話」(10月8日)掲載。
  • 1923年4月 -『性』「性感と異性化」(同性愛、異性装)、「ウールニングとウラニスムス」(同性愛)。
  • 1925年4月8日 - 菊池寛が古今東西の男色に関する博識を披露した手紙を坂田行雄宛に送る[50]
  • 昭和初年 - ゲイバー、ゲイクラブが出現[4]
  • 1930年 - 『犯罪科学』に岩田準一が「本朝男色考」(昭和5-6年)連載。南方熊楠江戸川乱歩稲垣足穂らと共に男色研究に足跡。
  • 1931年 - 『同性愛の研究』(守田有秋、人生創造社)。

1945年-1960年代

  • 1945年
  • 1946年
    • 9月『三田文学』に女性同性愛作品「レスボス」が載る。同年10月20日『赤と黒』に「男娼秘話 男を女にする支那風俗物語」掲載。
  • 1947年 -『奇譚クラブ』(12月号)に「僕の男妾の告白」が載る。(太平洋戦争後直後の同性愛を取り上げた雑誌記事一覧も参照)。
  • 1949年 - 7月、三島由紀夫が同性愛を告白した『仮面の告白』上梓。
  • 1950年代頃? - 東京に旅館「砂川屋」、大阪・新世界に同「竹の家」(1953年頃)開店。
  • 1946年-1950年頃 - ゲイバー「ブランスウィック」(銀座)、「市蝶」(上野)、「夜曲」(新宿初)開店。
  • 1951年
    • 新宿2丁目(現3丁目)初のゲイバー「イプセン」開店。
    • 11月、昭和20年代の日本の同性愛世界を描いた三島由紀夫「禁色」(単行本)発行。
  • 1952年
  • 1954年 - 蘭屋が銀座から新宿2丁目千鳥街に移転。翌1955年、新宿2丁目(当時)要町に移転。
  • 1956年 - 一高時代の下級生の美少年との淡い恋と失恋が綴られた福永武彦草の花』刊行。
  • 1958年 - 東京・南池袋に旅館「西武園」(後西武苑)開店[106]
  • 1959年
    • 日本のメジャー映画初のゲイフィルムと呼ばれる木下恵介監督の『惜春鳥』公開。
    • 大阪で会員制ゲイ雑誌『同好』(編集長・毛利晴一)創刊。
    • 高橋睦郎が『ミノ・あたしの雄牛』で詩人としてデビュー。高橋氏は同性愛や少年愛について幅広く執筆している。
  • 1950年代-1960年代半ば?頃 - 今の新宿2丁目ゲイタウン形成前で、新宿2丁目要町(現・3丁目)、新宿2丁目千鳥街(新宿御苑近く)、花園街(現・新宿ゴールデン街。区役所通り・三光町など含む)にゲイバーがいくらか集まる飲み屋街形成[58]
  • 1960年
    • 1月、男性同性愛専用ページが常設された『風俗奇譚』創刊。
    • 11月(?)、『風俗奇譚』が1961年1月号から女装専用ページ「女装愛好の部屋」常設。
  • 1963年
    • 太平洋戦争後初のゲイ写真集で三島由紀夫を撮った『薔薇刑』(細江英公、集英社)発売。
    • 東京・六本木に吉野ママこと吉野寿雄がゲイバー「吉野」を開店(2000年に六本木ヒルズ建設に伴い閉店)。
  • 1964年- 司馬遼太郎の衆道を取り上げた「前髪の惣三郎」が収録された短編小説集「新選組血風録」(中央公論社)刊行(後、大島渚監督により映画化)。
  • 1965年 - 『平凡パンチ』(2月15日)に「クールなセックスの時代 同性愛-なぜホモにあこがれるか」掲載。これ以降同誌で同性愛関連記事が増える(平凡パンチタイトル一覧:詳細欄参照)。平凡パンチ以外の太平洋戦争後の一般誌の同性愛記事については[詳細 5]参照。日本におけるLGBTの権利#メディアも参照。
  • 1960年代中後半頃か - 新宿御苑近くの「千鳥街」が新宿2丁目仲通り沿いの「新千鳥街」に移転[107]。この頃から現在の2丁目ゲイタウンがスタート。(「新宿二丁目#ゲイ・タウンの歴史」も参照)。
  • 1966年 - 矢頭保のゲイ写真集『体道・日本のボディビルダーたち』(ウエザヒル出版社)発売。
  • 1967年 - カルーセル麻紀『愛して横浜』で歌手デビュー。
  • 1968年
  • 1969年 - ピーターが映画『薔薇の葬列』で俳優デビュー。同年『夜と朝のあいだに』で第11回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞。

1970年-1980年代

  • 1971年
  • 1972年 - 新宿地区で最初のゲイショップ「パラダイス北欧」(西口甲州街道沿い)開店。同年ヘテロ男性向けポルノがメインの「カバリエ」新宿3丁目店も開店(どちらの開店月が早いかは未検証)。
  • 1973年- 東京・池袋に「陣屋(JIN-YA)」(旧泉)開店[108]
  • 1974年
    • ゲイ雑誌『アドン』(5月号)創刊。
    • 11月、ゲイ雑誌『さぶ』(11月)創刊。
  • 1975年
    • ゲイ写真集専業メーカー「梵アソシエーション」(後「梵アートハウス」に変更)設立。
    • 東京渋谷円山町に旅館「千雅」開店。
  • 1970年代半ば頃 - 東京新宿5丁目にゲイディスコの走り「ブラックボックス」開店、同じ頃大阪・堂山町にも「ウォーム・ガン」開店。
  • 1976年
    • 新宿五丁目Qフラットに美輪明宏が「クラブ巴里」出店。同年5月同じビルに薔薇族編集長が「談話室 祭」出店。
    • 11月、ゲイ団体「日本同性愛者解放連合」結成、10人近くで数年間活動。
  • 1977年
    • 1月、薔薇族50号記念号(3月号)に詩人、寺山修司が『世界はおとうとのために』寄稿。
    • 3月、ゲイ団体「フロントランナーズ」結成、6人前後で数年間活動。
    • 5月、ゲイマガジン『プラトニカ』発刊。後『プラトニカ・クラブ』結成も79年解散[4]
  • 1978年
    • ゲイ雑誌『The Ken』創刊(1981年に『The Gay』に改名)。
    • ゲイ写真集メーカー「ストームプランニング」設立。
    • TBSラジオ『スネークマンショー』の「ウェンズデースペシャル」というコーナーをゲイのタック(TAQ)が担当。カミングアウトし、ニュースレターが出され、OWCというゲイグループも後に生まれた。
  • 1979年
    • 東郷健が「雑民党」の前身の「雑民の会」を設立。
    • 3月、プラトニカクラブから数人が参加してJGC(ジャパン・ゲイ・センター)結成。機関誌『GAY』,『CHANGE』を出して82年解散[4]
  • 1970年代後半頃か?、ゲイショップ「エレクト」開店。
  • 1970年代後半頃、新宿二丁目にゲイディスコ「MAKO」開店。同じ頃、大阪堂山町に「パイプライン」開店。
  • 1970年代後半~80年代前半頃、大阪堂山町にゲイディスコ「クリストファー」開店。
  • 1981年
    • 日本在住の外国人ゲイによる「イングリッシュ・スピーキング・オルタネート・ライフスタイル サポートグループ」結成。途中で「東京ゲイサポートグループ」に改名[4]
    • 8月22日、日本初と思われるゲイビデオ『青春体験シリーズ 少年・純の夏』(フェスター・エンタプライズ)発売。
    • 薔薇族10周年、100号記念号刊行[109]
  • 1982年
    • 日本初の薔薇族映画『白い牡鹿たち』など3本、東京・大阪の成人館で上映。
    • 7月、ゲイ雑誌『サムソン』創刊。
    • ゲイタレント、KINYAが「よめきんトリオ」で人気に。
    • 1982年頃、大阪・堂山町に北欧館開店。
  • 1983年
    • ティーン中心のゲイサークル「CLⒶSS」(本部:東京赤羽,大阪《所在地尼崎》、正確な表記はAの外側に◯)結成(それまでも別会名で活動)[4]
    • 赤塚不二夫「ニャロメのおもしろ性教育」(西武タイム)発売。同書7章で同性愛などが肯定的に取り上げられる。
    • 沖雅也が「おやじ、涅槃でまってる」という遺書を置いて、投身自死。
    • ゲイ写真集メーカー「Y・B・SPORTS」 大阪で設立(後にゲイビデオも出す)。
  • 1984年
    • 2月、読売テレビ系『魔性』(レズビアンが主人公)が木曜ゴールデンドラマ枠で放送。
    • IGA(国際ゲイ連盟,現ILGA)日本支部発足。アドン編集長南定四郎氏がIGA(欧州に本部を置くゲイの国際団体)から依頼を受け、日本支部として活動開始。
    • 9月、IGA大阪発足、のちOGC(大阪ゲイ・コミュニティ)に改称。
    • 日本初のゲイ専門映画館「東梅田ローズ劇場」開館。
    • 野性時代』でゲイ小説「きれいな病気」(マガジンハウス今野雄二)連載開始。
  • 1985年 - 東大阪市長瀬に「上方DJ倶楽部」発足。
  • 1986年
    • 3月、「OCCUR」結成、のち「動くゲイとレズビアンの会」(通称OCCUR)と名乗る。
    • 5月1日〜3日まで、IGA(現ILGA)日本(代表・南定四郎)が「第一回アジアゲイ会議」開催。
    • 初のゲイハンドブック『オトコノコのためのボーイフレンド』(少年社)発刊。
    • 天才たけしの元気が出るテレビでゲイのセリーヌ・カンが人気に。
    • ゲイショップ「ルミエール」がエレクトの謎の火災で焼失後に後継店として開店。
  • 1987年 - 8月、『別冊宝島』(JICC出版局)「女を愛する女たちの物語」。
  • 1988年
    • 88年10月-89年9月まで、フジテレビ系『笑っていいとも』でニューハーフブームの引き金になった「Mr.レディ & Mrタモ金の輪」放送。
    • 12月、ホモセクハラを告発した北小路氏の『光GENJIへ』(データハウス)発刊。
  • 1989年(昭和64年:1月1日 - 1月7日/平成元年:1月8日 - 12月31日)
    • 5月13日、東京新宿・花園神社裏のディスコ「ミロス・ガレージ」にて一般向けクラブとしては初の「ゲイナイト」開催(合計106回)。
    • 売り専模様を描いた比留間久夫『YES・YES・YES』が文藝賞受賞。

1990年-2000年代

  • 1990年
  • 1991年
    • 2月、東京都府中青年の家裁判が起こされる。
    • 4月、『SPA!』「ゲイの聖地・新宿二丁目ヌーベルバーグ体験ルポ」(4月24日号)掲載。
    • 5月、『DIME』「仕事ができる女はゲイが好き」(5月16日号)掲載。
    • 6月1日、「プライベート・ゲイ・ライフ―ポスト恋愛論」(学陽書房,伏見憲明)発刊。
    • 6月22日、日本初の一般向けドッキュメンタリーゲイ映画『らせんの素描』(小島康史監督)公開。
    • 6月、『IMAGO』(8月号 青土社)で「レズビアン」特集。
    • 7月20日、リヴァー・フェニックスキアヌ・リーブスがゲイの男娼役で主演した「マイ・プライベート・アイダホ」公開。
    • 8月、『インパクション』(インパクト出版会)71号で「ゲイリベレーション」特集。
    • テレビ朝日系『こだわりTV PRE☆STAGE』で同性愛が特集された。伏見憲明が企画にも参加。同性愛が専門的、多角的に取り上げられたテレビ番組としては日本初。
    • 東京都港区芝浦「GOLD」でゲイナイト「THE PRIVATE PARTY」開催。同時期、大阪「ゲネシス」(心斎橋ビブレ)でも開催。
  • 1992年
  • 1993年
    • 1月、『別冊宝島』「ゲイのおもちゃ箱」。
    • 7月8日、テレビ東京系『TVチャンピオン』で「ニューハーフ料理名人選手権」放送(翌年3月3日も第2回放送)。
    • 8月、西野浩司『新宿二丁目で君に逢ったら』刊行。
    • 9月、オープンリーゲイの橋口亮輔監督の映画作品で袴田吉彦が主演した『二十才の微熱』公開。一般向けの本格的ゲイ映画としては日本初。
    • 10月9日、奥田瑛二演じるゲイが登場した、滝田洋二郎監督の映画作品『眠らない街 新宿鮫』公開。
    • 10月18日、『アエラ』「当世大学生事情 キャンパスに咲く“ゲイ・ルネサンス”」(1993年10月25日号)掲載。
    • 10月20日、同性愛について本格的に取り上げた日本テレビ系連続テレビドラマ『同窓会』放送。
    • 12月、『マルコポーロ』(1994年2月号)「普段着のゲイ」掲載。
  • 1994年
    • 厚生省(現在の厚生労働省)が同性愛を治療の対象から除外した世界保健機関(WHO)などの見解を踏襲。
    • 文部省(現在の文部科学省)が児童生徒指導書の「性非行」の項目から同性愛を削除。
    • 2月17日、『別冊宝島』「ゲイの学園天国」。
    • 3月24日、TBS系『上岡龍太郎がズバリ!』で「ゲイ50人集合」放送。その後「サラリーマンのゲイ」、「ミス・ダンディ」も取り上げられる。
    • 3月31日、TBS系『上岡龍太郎スペシャル』「ミスターレディー全国大会・第1回」放送。
    • 4月、「GAY-FRONT関西」(現G-FRONT関西)が「ぷあぷあ」など既存3団体を統合して発足)。
    • 8月28日、ゲイ・パレードILGA日本が中心の実行委員主催)が日本で初開催される。各種ニュースや9月放送TBS系『ドキュメントDashDash』などで取り上げられる。
    • 9月29日、TBS系『上岡龍太郎スペシャル』「ミスターレディー全国大会・第2回」放送。
    • 11月、ゲイ雑誌『Badi』(95年1月号)創刊。
  • 1995年
    • 日本精神神経学会が同性愛を治療対象から除外したWHOの見解を尊重すると発表。
    • 2月、『SPA!』ゲイ特集「ゲイたちの素顔が知りたい」掲載。
    • 3月、ゲイ雑誌『G-men』創刊。
    • 8月、西野浩司のゲイ短編小説集「ティッシュ」刊行。
    • 9月、『IMAGO』(11月号 青土社)で「ゲイ・リベレーション」特集。
    • 12月16日、橋口亮輔監督の2作目で、岡田義徳主演「渚のシンドバッド」公開。
    • 12月27日、日テレ系『日本全国ニューハーフ100人・美と根性の祭典・第1回』放送。
  • 1996年
    • 3月26日、日テレ系『日本全国ニューハーフ100人・美と根性の祭典・第2回』放送。
    • 6月、北海道札幌市で国内で2番目に早いLGBTパレード「第1回レズ・ビ・ゲイ・プライドマーチ札幌」(99年以降レインボーマーチ札幌)初開催。
    • ゲイ専用出会い系サイト「MEN'S NET JAPAN」開設。
    • 高校の男性教師と男子生徒との同性愛関係を描いた福島次郎『バスタオル』が第115回芥川賞候補に。
  • 1997年
    • 5月、『現代思想』「総特集レズビアン/ゲイ・スタディーズ」。
    • 9月、府中青年の家裁判で控訴審判決。動くゲイとレズビアンの会の訴えが認められ結審。
    • 4月12日、刑務所内での看守による少年への性的虐待を告発した映画「スリーパーズ」公開。
    • 12月、西野浩司のゲイ短編小説集としては2作目の「森の息子」刊行。
  • 1999年- 12月18日、新撰組における男色を描いた映画『御法度』公開。
  • 1990年代終わり-2000年頃 - ゲイ向け携帯サイト「ゲイモード」開設。
  • 2003年
  • 2004年
  • 2005年
  • 2006年
    • 5月13日、兵庫県神戸市で同市初のLGBTパレード「神戸ゲイパレード」開催。
    • 9月22日、宮崎県都城市が新市移行に伴い旧共同参画条例から「性的指向」を削除し可決(同年10月1日施行)。
    • 10月22日、大阪府初のLGBTパレード「関西レインボーパレード」開催。
  • 2007年

2010年代

  • 2011年 - ゲイの石川大我(現:参議院議員)が東京都豊島区議会議員に、石坂わたるが同中野区議会議員に当選。
  • 2012年
  • 2013年
    • 3月-8月、フジテレビ系テレビ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(2014年放送終了)で「オネメン・コンテスト」開催。非女装、非オネエのゲイも出場するようになる。
    • 5月、民主党参議院議員の室井邦彦比例区)が辞職したため、公職選挙法の規定により尾辻かな子元大阪府議会議員(レズビアン)が参議院議員に繰り上げ当選した[110][111](同年7月の参議院選挙には出馬せず、任期満了)。同性愛者(LGBT)であることを公表した初めての国会議員の誕生。
    • 8月、ゲイビデオ会社ゲームスが、出演モデル(ゲイポルノ男優)を勧誘した際に「顔は映さない」「一般には出回らない」などと約束したにも拘わらず、実際は顔を映して制作しインターネット配信で発売していたことが発覚。出演者は特定され個人情報も流出し、メディアでも大きく報じられたことで出演者はバッシングを受けることになった。またモデルが一度出演した後に「(顔が映った)映像をばらすぞ」と脅し、2回目の出演を強要していたことも発覚した[112]
  • 2015年
    • 2月、東京都渋谷区議会が同性カップルに対して「結婚に相当する関係」と認める証明書を発行するという条例案をまとめ、3月に提出することを発表する。日本の地方自治議会では初の試み[113]
    • 3月31日、同性カップルを結婚に相当する関係と認め、「パートナー」として婚姻届と同等として証明する東京都渋谷区の『渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例』が、渋谷区議会本会議で、賛成多数で可決、成立[114][115][116]。採決結果は、定数34のうち自由民主党区議ら計11人が反対した[114][115][116]。同条例は、男女平等や多様性の尊重をうたった上で、「パートナーシップ証明」を実施する条項を明記[114][115][116]。パートナーシップを「男女の婚姻関係と異ならない程度の実質を備える関係」と定義[114][115][116]。同性カップルがアパートの入居や病院での面会を断られるケースなどに配慮し、不動産業者や病院に、証明書を持つ同性カップルを夫婦と同等に扱うよう求めている[114][115][116]。条例の趣旨に反する行為があり、是正勧告などに従わない場合は、事業者の名前を公表する規定も盛り込まれている[114][115][116]
    • 4月1日、東京都渋谷区がパートナーシップ宣誓制度を開始。全国で[114][115][116]
    • 8月24日、一橋大学法科大学院の男子学生が同性愛者であることを暴露されたことに苦しみ、パニック障害の発作を起こして大学の建物6階ベランダから転落して死亡した。(一橋大学アウティング事件
  • 2017年
  • 2019年(平成31年:1月1日 - 4月30日/令和元年:5月1日 - 12月31日)

2020年代

  • 2021年
    • 3月17日、2019年2月に北海道内のカップル3組6人が同性同士の法律婚を認めないのは憲法違反として慰謝料の支払いを国に要求した訴訟の判決で、札幌地方裁判所(武部知子裁判長)は原告の請求を棄却するも、法の下の平等を定めた憲法14条に照らし、「同性婚禁止は違憲」との判断を下した[124]。これに対し、加藤勝信内閣官房長官菅義偉内閣)は同日午後の定例記者会見で、「現段階では確定前の判決であり、また他の裁判所に継続中の同種訴訟もある。そうした訴訟の判断も注視していきたい」「政府としては、婚姻に関する民法の規定が憲法に反するものとは考えていない」と述べた。一方、税制や相続面での不利益の是正に関しては「判決の詳細について承知していないと申し上げたが、今後、法務省などで精査することになる」とも述べた[125]。なお、裁判所の下級裁判所裁判例速報によると、違憲とされたのは、同性愛者に対して婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないことである[126][127]
    • 3月19日、同性カップルにおける不貞行為をめぐる慰謝料請求訴訟において、請求を認容した第一審(宇都宮地方裁判所真岡支部(中畑洋輔裁判官))[128]、控訴審(東京高等裁判所(秋吉仁美裁判長))[129]に続き、最高裁判所が上告を棄却したことで、「同性カップル間でも内縁関係が成立する」との司法判断が確定した[130]

注釈

  1. ^ 武田信玄と源助の衆道関係を示す証拠として一次史料である書状が現存している。ただし源助は「春日源助」とされ、信玄・勝頼期の譜代家老・春日虎綱(高坂昌信)に比定されるものと考えられていたが、近年は「春日」姓が後筆である可能性が指摘され、「春日源助」の人物比定については再検討が望まれている(柴辻俊六「戦国期信濃海津城代春日虎綱の考察」)。
  2. ^ 天保13年(1842年)に陰間茶屋が禁止されるなど風俗は取り締まられるが、風紀を乱すものという理由のほか、性病の蔓延なども背景にあった。当時抗生物質は発見されておらず、梅毒は不治の病であり、しかも劇症性で朽ち果てて死んでいった。
  3. ^ 大正より前の明治・江戸期に発展場に類するような場所があったかについては検証が待たれるが、明治期に刊行されたグラフ誌「風俗画報」に「男色 笹の屋」(明治26年9月など)という記事があり、これが今でいう発展場の様なものだったのか、男娼を置いた陰間茶屋だったのかは検証されていない。因みに「風俗画報」原本は明治大学駿河台キャンパス図書館(4冊欠本)に、CD-ROM版(完全版)は同和泉キャンパス図書館にそれぞれ所蔵されている
  4. ^ 国際的同性愛組織ILGAの日本支部、ILGA日本は1996年の第3回東京レズビアン・ゲイ・パレードを最後に目立った活動が見られなくなった。同年はアドンが廃刊になった年でもあった。
  5. ^ なお休刊後の「G-men」はオンラインでの情報発信に移行した。

出典

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  14. ^ 五代将軍綱吉が美少年を住まわせた「桐御殿」は柳沢吉保の邸内に設けられた。
  15. ^ 綱吉の下で権勢を振るった柳沢吉保も少年時代に綱吉の寵童だったことが知られている(「オトコノコのためのボーイフレンド」1986年,少年社)が、一方、綱吉の館林藩士時代からの家臣である吉保は、綱吉の学問上の弟子でもあり、後に綱吉が将軍となると吉保は大老格・国持大名となっている。そのことから、少年時代に綱吉の寵童だったとする俗説が唱えられるようになったとする見方がある。[要出典]
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  80. ^ 新聞やニュースのほか関東ローカルのテレ朝系「プレステージ」では司会ラサール石井、パネラー竹中労らでこのトピックが討論された。
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  84. ^ 一例として1991年9月テレビ朝日系「森田健作の熱血テレビ」の「美しきホモに酔う女たち」、朝日ジャーナル「ゲイに恋する女たち」(91年7月12日号)など。
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  133. ^ 1960年創刊の風俗奇譚にもゲイの文通欄はあった。
  134. ^ リンク切れゲイ専用TWO SHOTダイヤル
  135. ^ ゲイ専用TWO SHOTダイヤルの画像
  136. ^ テレビ出演ランキング エンターテイメントニュース「新宿2丁目に異変が!?ゲイコネクション最前線!BSジャパン『大竹まことの金曜オトナイト』収録現場にテレビドガッチが潜入」(6月26日)
  137. ^ 2011年11月7日伊藤文学のひとりごと「だまされる方が幸せなのかも」。





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ゲイディスコ ウィキペディア小見出し辞書
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