宗教における同性愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 23:00 UTC 版)
同性愛に対する宗教上の解釈も人や宗派によりさまざまであるが、同性愛をさほどタブー視しない日本に比べ、概ね欧米の伝統的な文化では同性愛は否定的に評価されている。同性愛を表向き禁止している文化・宗教は幾つか存在し、例えば、アブラハムの宗教の中の少なからぬ宗派は同性愛を禁じている。欧米の否定的評価は、この宗教的倫理によるものである。[要検証 – ノート] キリスト教の中でも比較的保守的な宗派においては、『レビ記』で不倫や刺青を入れること、豚肉を食べること等と並んで男性間の性行為を死刑と定めている(20章13節)ことなどを根拠に同性愛を禁じている場合が多い。そのためカトリック教会では、ヨーロッパにおいて中世・近世を経て近代に至るまで、同性愛者に対する厳しい迫害が行われ、多数の者が処刑された。現代では、同性愛は異性愛と同様に神の意思に従った自然な存在であると考える進歩的な宗派もある。同性間の性的行為についても、容認している教派と許されないとする教派に分かれる。2020年10月21日、カトリック教会の最高位聖職者であるローマ教皇のフランシスコは、「彼らは神の子であり、家族になる権利がある」と、同性カップルの法的権利を認めるパートナーシップ制度「シビル・ユニオン」への支持を表明した。 また、イスラム教も教義上は同性愛については否定的な見解を示している信者が少なくない。『クルアーン』の7章80節~81節と26章162節~166節には、預言者ルート(聖書ではロト)が男性に性欲を抱く人々を非難する記述がある。これを受けてイスラム国家では同性愛が犯罪として処罰の対象となり、現在でもサウジアラビアやイランのように同性愛者を死刑に処する国や地域も存在する。その一方、前近代イスラームにおいて同性間性行為が許容された地域があり、同性間性行為を謡った詩なども多く詠まれている。現代では同性愛差別に反対しているムスリムも存在する。同性愛者やトランスジェンダーのムスリムの団体「アル=ファーティハ財団」がある。 仏教においては、『正法念処経』の十六小地獄で不倫をした者が落ちる地獄、女性の口を使ってみだらな行為をした者が落ちる地獄などと並んで、多苦悩処という男色者が落ちる地獄があると設定されている。迦才の『浄土論』、源信著『往生要集』でも、この多苦悩処について言及されている。 ヒンドゥー教においては、アイヤッパンやアルダーナリシュヴァラのように性の垣根を越えたような神格が登場するものの、地上世界における同性愛には否定的で法典類では罰金が定められている。ただし『マヌ法典』などではカーストからの追放といった厳罰を定めている。 日本の宗教である神道は、教祖・教典のない創唱宗教で、これといった戒律はないため、同性愛をタブー視していない。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}今日の日本で、一般に向けて強制的に行使すれば、人権侵害やテロ行為等の犯罪となるような宗教上の禁止事項に実質的な意味はまったくない[独自研究?]が、禁止や罪となる理由が「聖典に書かれているから」といったものである以上、これにより聖典の信頼性が問われる[誰によって?]ことはやむを得ないところがある。現時点では、聖典の作成者、及び作成経緯などを含め、その成立については、各宗派の信者からの推定のみに留まっており、諸説に実証があるというわけではない[要出典]。すなわち、「神」が判断したのではなく、「神」の判断と思い込んだ考え方の異なる複数の人間の判断である可能性が聖典には常に横たわっている。「神」と呼ばれる存在の解釈ひとつをとっても、あらゆる宗派や教義によって多少異なっており、一貫しているわけではない(参考:宗教戦争)。
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宗教における同性愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 07:34 UTC 版)
「日本における同性愛」の記事における「宗教における同性愛」の解説
仏門における男色関係は、若年側が未成年とされる年齢構造の典型的な少年愛の関係性であったとされる。年長側は「念者」とよばれる僧侶であり、若年側は稚児と呼ばれる思春期前後の少年であった。この関係性は稚児が成人となるか寺社を離れるまで続いた。両者には関係性の尊重が求められ、念者側には貞節の誓願が求められていた。一方で寺社外からは、僧侶は青少年に対する偏愛を持っているとの下品なユーモアの対象となっていた。 日本における神道では宗教的な同性愛に対する反発はない。江戸時代において八幡や妙心寺、神明、天神などは男色に関連した神とみられるようになっていた。この時代の作家井原西鶴は日本書紀における神々の初期3世代に女性が存在しないことを指摘して、本当の男色の起源であると冗談で主張したとされる。
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