宗教によるイメージ説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 02:19 UTC 版)
臨死体験の内容には共通性があるが、欧米とアジア文化圏では内容に違いも見られる事から、宗教による脳内イメージによるものとする解釈がある。アメリカとインドでの比較研究では、その体験内容の違いが一部は宗教に、一部は国民性に起因していた。 ただし、宗教的な臨死体験者をした者が、後に既成の宗教を離れる傾向がある事、キリスト教文化圏で神の審判、地獄や煉獄などのイメージが殆ど現れない事などは説明が難しい。レイモンド・ムーディは最初の著書の中で「宗教的教育の中で期待するように導かれてきたものと、実際の臨死体験がいかに違っていたかを、多くの人達は強調していた」と記している。自らの信仰に反する体験を報告した者も少なくなく、無信仰である共産主義国で宗教的な体験が報告された例もある。文化・宗教的にはこの世とあの世の仲介に立つはずの牧師やバラモン、ラビ等が頻繁に現れてもおかしくないはずであるが、そうした例はほぼ無い。日本文化においては、共に衰退したはずの「閻魔大王」と「三途の川」のイメージが、後者だけ現れるのは何故かという謎が残る。 臨終時のビジョンが、仮に宗教による迷信に基づく現象であるとすると、高等教育を受けている者ほど死者や宗教的人物の姿を見なくなる事が予想されるが、実際にはそうした関連性は見られなかった。セイボムやリングによるアメリカ国内における調査では、宗教的信念と臨死体験の間に相関関係は見られなかった。宗教性は、臨死体験そのものではなく、「体験の解釈」に影響があるとされた。
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