平安末期・鎌倉時代: 公家への広がり
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「日本における同性愛」の記事における「平安末期・鎌倉時代: 公家への広がり」の解説
平安時代末期には男色の流行が公家にも及び、その片鱗は、例えば複数の男色関係を明言している藤原頼長(平安時代末期)の日記『台記』に伺える。また源義経(平安時代末期 - 鎌倉時代初期)と、武蔵坊弁慶や佐藤継信・佐藤忠信兄弟との主従関係にも制度的な片鱗を見出す説がある。北畠親房(鎌倉時代後期 - 南北朝時代)は『神皇正統記』で男色の流行に言及しており、その頃にも流行していた証拠とされている。14世紀(鎌倉末期-室町初期)に成立したと推定されている『稚児観音縁起』には稚児と僧の関系が描かれている。
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