平安期の畿内官田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/07 17:15 UTC 版)
元慶3年(879年)に五畿内諸国に設置された官人給与に充てる計4000町の官田が設定された。これは元慶官田とも畿内官田とも呼ばれている。この官田は正長に請け負わせ、営料を与えて所定の穫稲を収取する直営的経営の方式と、地子制または賃租制による方式とがある。 元慶5年(881年)には、官田の一部を割いて、諸司要劇料(しょしようげきりょう、元は多忙な劇官のみに支給、後に一般化した)と番上粮料等に充てるよう、制度改正が為された。なお、この時に官司による諸司田の設置も認められるようになり、当該官司の職員の給与の一部にあてられた。
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