急行列車 列車種別と急行列車の呼称

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急行列車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 09:26 UTC 版)

列車種別と急行列車の呼称

急行列車の英語訳は一応"Express"であるが、これは日本語の「急行列車」とは一対一で対応するとは限らない。

そもそもExpress自体、イギリスでは各駅停車の列車(Stopping Train)に対し「途中駅通過をする(結果的に早くつく)」が割増料金を設けない列車として始まっている[1]ので、日本でいうと「快速列車」に近いものが起源だった。

日本の急行列車に相当する列車に与えられる列車種別としては、高速性が示せる言葉から自然発生した、"Flyer", "Mail Train", "Rapide(フランス語。英語の"Rapid"に相当)"、"Schnellzug(ドイツ語。"Schnell"は英語の"fast"に、"Zug"は英語の"Train"に相当)"といった用語と、事業者の創作・命名に由来するが、個別列車の愛称とははっきり区別できる"InterCity (IC) ", "InterRegio (IR) ", "EuroCity (EC) "などといった名称が存在する。また、日本語の「特別急行列車(特急)」「快速急行」と同様の、Expressという名称の変形として"Trans Europ Express (TEE) ", "InterCityExpress (ICE) ", "RegionalExpress (RE) "といったものが用いられることがある。一部の都市内路線や地下鉄では"Skip Stop","fast"という表現も用いられる。

欧米諸国の急行列車

急行列車の歴史については不明な点が多いが、最古の急行列車は"Mail Train"という名称を用い[注釈 2]、他の列車とは速度の面で特に区別されて運行された1830年代のイギリスの郵便と旅客の混合列車であると推定される[誰?]。19世紀のイギリスの鉄道は高速化に熱心で、"Express"、"Flyer"といった名称のついた列車が散見されるが、反面、需要の有無に関わらず、各駅停車に相当する列車の運行に極めて不熱心であった。イギリスの議会で低運賃の各駅停車の運行が義務づけられ、各駅停車の方が「議会列車"Parliament Train"」として認識されているほどであったことや、"Express"呼称と特別料金の有無が一致しなかったことから、こうした高速列車が優等列車として意識され、急行列車という名称が列車種別として意識されていたかどうかについては疑問の余地がある。 一応、時代が下ると各駅停車と途中駅通過の列車を信号所で見分ける必要が出たため、イギリスでは前面の標識灯の数で見分けられるように規定した(基本的に1つが各駅停車、2つがExpressになる)[2]

急行列車が発展した地域としては、他にアメリカ合衆国ヨーロッパなどを挙げることができる。長距離を走るアメリカの列車には速達性が求められ、19世紀末にはニューヨーク-シカゴ間の"Empire State Express"など、"Express"の呼称を用いた列車が多数存在した。ただし、20世紀以降は"Express"という名称は、フェデラルエクスプレスなど現在の宅配便に相当する小口荷物を輸送する「急行貨物列車」もしくは「急送便」といった意味合いで用いられることが多くなり、また、競合路線が多い中で旅客誘致をするためにも特別さをアピールできるものが相応しいことから、旅客列車には"Limited"という名称を用いることのほうが標準になった。現在のアムトラックの列車名を見ても、その路線の唯一の列車で、取り立てて高速でもない列車が" - Limited"を名乗るケースが多い。例外は、近郊鉄道や都市高速鉄道で、急行線を運行する電車を"Express"と名付ける習慣は現在のニューヨーク市地下鉄に残されている。アメリカにおいても"Express"呼称と特別料金の有無は現在でも一致していない。

ヨーロッパでは、1883年10月に国際寝台車会社 (Compagnie Internationale des Wagons-Lits) の寝台車によって国際急行列車"Orient-Expres"(オリエント急行)がパリストラスブール駅-コンスタンティノープル間で運行された[3]。国際寝台車会社の寝台車によって運行された国際急行列車「ヨーロッパ大急行」"Grands Express Europeens"は豪華さとともに、速達性によって第二次世界大戦前の花形列車としてヨーロッパで活躍した。ヨーロッパではこのほかにも座席車連結の国際急行や国内急行列車が存在した。これらは第二次世界大戦後に、国際特急TEE(のちにECとして発展的解消)やインターシティ(IC)サービスとして発展的解消を遂げたが、"Express"の名称自体はスペインイタリアの列車種別として残されている。大陸ヨーロッパの諸国では、かならずしも"Express"呼称の列車に対してではないものの列車種別によって特別料金を取る列車が多く、列車本数も多いことから、急行という名称は列車種別として定着している模様である。

国鉄・JRにおける急行列車

日本国有鉄道(国鉄)やそれを継承したJR各社の急行列車は、乗車のために急行券を必要とする。急行券のほか普通乗車券(Suica等交通系ICカードを含む)または回数乗車券が必要であり、定期乗車券による乗車はできないが、列車・区間を限定して乗車を認めている場合があった。

なおJR(国鉄)では、(規則上の)「急行列車」とは普通急行列車特別急行列車の総称であるが、一般に「急行」または「急行列車」といえば前者を指し、後者は「特急」または「特急列車」と呼ばれる。ただし現在、前者の急行は定期運行されておらず、臨時列車のみとなっている。このほか、かつては準急行列車(準急)も運行されていたが、普通急行列車に統合されて消滅した。

以下、この節において急行列車という場合は狭義の急行列車、つまり普通急行列車のことを指すものとする。

歴史

「急行列車」の登場

日本初の「急行列車」は、1894年明治27年)10月に山陽鉄道(現在の山陽本線)が神戸駅 - 広島駅間に運行したものである。3往復のうち1往復を主要駅のみ停車としたもので、両駅間を9時間弱で結んだ。これ以前にも、1882年(明治15年)3月1日新橋駅 - 横浜駅間で運転を開始した列車を始めとして、『官報』掲載の時刻表で「急行」と表記された列車は存在したが、それらは現在の快速列車に近い存在で、長距離旅客の利便性やサービス向上を本格的に意識した列車はこれが初めてであった。翌1895年(明治28年)10月20日には官設鉄道に乗り入れ、京都駅発着となった。官設鉄道では1896年(明治29年)9月1日に、新橋 - 神戸間での急行列車を登場させた。それまで約20時間かかっていた両駅間が、17時間強で結ばれることになった。その後1899年(明治32年)には食堂車が、1900年(明治33年)に寝台車がそれぞれ山陽鉄道の急行列車に日本で初めて連結された。

その後、急行列車の本数は増加して「最急行」「最大急行」といった急行より格上の列車も登場したが、日露戦争中は削減または廃止されスピードも大幅に低下した。

日露戦争の終結後は急行列車券規定が公布され、1906年(明治39年)4月16日に新橋駅 - 神戸駅間に設定された最急行列車の利用に、初めて急行料金が必要となった。急行料金を必要とする列車は徐々に増加していき、明治最後の年である1912年(明治45年)6月には、最初に急行料金が必要になった最急行列車が格上げされ、日本初の特別急行列車(特急列車)となった。

戦前の黄金期

大正から昭和時代初期にかけては第二次世界大戦前における急行列車の黄金時代で、日本の多くの幹線で急行列車が設定された。その頃の特急列車は東海道本線・山陽本線の「富士(ふじ)」「櫻(さくら)」「燕(つばめ)」「鴎(かもめ)」の4種類しかなかったので、東北本線をはじめとする東海道・山陽本線以外の幹線では急行列車は「最優等列車」として君臨し、特急列車にも引けを取らない設備を持つ急行列車も存在した。1934年(昭和9年)12月、丹那トンネルなどが開通した時に行われたダイヤ改正時、特に優れた設備を備えた急行列車には次のようなものがある。

7・8列車
(東海道本線・山陽本線・呉線東京駅 - 下関駅間運転。下関駅では関釜航路(下関 - 釜山間)と接続し、朝鮮満洲中国、さらにはシベリア鉄道を経由してモスクワロシア)やベルリンドイツ)、ロンドン(イギリス)などの欧州主要都市に向かう国際連絡運輸の一翼を担っていたほか、呉線全通後は同線を経由することで、呉鎮守府および呉在籍の艦船に赴任・出張する海軍士官の足となった。格別な列車として、一等二等三等の各等の座席車・寝台車を全て連結していた。また、食堂車は特急「櫻」を含む他の多くの列車が「和食堂車」である中、「洋食堂車」であった。当時、洋食堂車は和食堂車よりも高級感があるとされ、特急「富士」、「燕」と急行7・8列車、17・18列車(後述)の4本のみに連結される限られた車両であった。昼行区間(京都駅 - 下関駅間)では一等展望車も連結した。
17・18列車
(東海道本線)東京駅 - 神戸駅間運転。関東地方関西地方を結ぶ夜行列車で、神戸では基隆台湾)や上海中華民国)、大連関東州)などに向かう航路にも接続するなど、国際連絡の使命も帯びていた。一・二等寝台車、二等座席車と洋食堂車を連結していたが三等車は寝台車も座席車も連結されていなかった。寝台車は一等寝台車が3両、二等寝台車が5両もの多数が連結される一方、座席車は二等車1両のみであり、ある意味では「寝台列車」の走りともいえるような列車であった。その格の高さから政・官・財界の要人や高級将校、著名人が多く乗車し、「名士列車」とも呼ばれた。
201・202列車
常磐線・東北本線)上野駅 - 青森駅間運転。常磐線経由。東北方面の列車には、北海道樺太連絡の使命も与えられていたが、この列車はそれらのなかでも最も重要な位置付けをされていた。二・三等座席車と二・三等寝台車のみで一等車は連結されず、食堂車も和食堂車であったが(1934年以降、一等車および洋食堂車の連結は東海道・山陽本線のみとなった)、二等寝台車には一等寝台並みの設備を持つ「特別室」が設けられていたほか、和食堂車でありながら洋食堂車用のメニューも提供されていた。またこの改正時に大幅な速度向上が行われており、上野駅 - 青森駅間を下りが12時間45分、上りにいたっては12時間25分で走破し、上り列車の表定速度は時速60.47kmにも達していた。この記録は1958年(昭和33年)10月に、東北初の特急列車「はつかり」が登場(上野駅 - 青森駅間を上下列車とも12時間で運転)するまでの18年間も破られなかった。
201・202列車
函館本線室蘭本線宗谷本線函館駅 - 稚内港駅間運転。時間短縮のため、札幌駅を通らずに室蘭本線経由で運転された。函館駅 - 長万部駅間で函館本線経由札幌駅発着編成(急行1・2列車)を併結する。函館駅では青函連絡船をはさんで上述した東北本線・常磐線の201・202列車と接続し、稚内港駅では当時は日本領だった南樺太大泊(現在のコルサコフ)へ向かう稚泊連絡船に接続することで東京 - 樺太間連絡ルートの一翼を担っていた。樺太に向かう要人の利用を想定し、この列車にも「特別室」を持つ二等寝台車が連結されていた。

日中戦争に突入した後も戦争の影響を受けて満洲や樺太などへの需要が増したことから、急行列車は各地で増発が続けられるが、太平洋戦争の戦況が悪化してきた1943年(昭和18年)2月頃から削減されるようになった。 1944年(昭和19年)3月14日には、決戦非常措置要綱に基づく旅客の輸送制限に関する件が閣議決定され、特急および急行列車などの全廃が決定[4]1944年(昭和19年)4月に特急列車が全廃(同時に一等車展望車・寝台車・食堂車の連結は全て中止)された。急行は全廃こそ逃れたが1945年(昭和20年)3月の時点では、全国でも東京駅 - 下関駅間(6月から東京駅 - 門司駅間)1・2列車の1往復を残すのみとなってしまう。

復興と特急への置き換え

戦後は蒸気機関車の燃料である石炭や車両・整備の事情が戦時中以上に悪化し、1947年(昭和22年)1月 - 4月にはついに急行列車が消滅するという事態も迎えている。しかし同年6月頃からは、日本全国に準急列車とともに増発・新設されていくことになる。戦後はいわゆるローカル線などにも広く設定されていった。しかし準急列車は急行列車に統合される形で1966年(昭和41年)3月に100km以上を走行する本来の意味での「準急列車」は消滅、残りも1968年(昭和43年)10月に姿を消す。

かつては、首都圏中央線や関西地区の東海道本線・山陽本線、阪和線といった路線では、急行料金不要の列車として、急行“列車”ではなく「急行“電車”(急電)」という列車が運行されていた。しかし、同様の種別名称で料金が必要なものとそうでないものが混在するのは、旅客案内上好ましくないことから、電車や気動車を使用した有料準急の新設をきっかけとして、1958年(昭和33年)10月に「急行電車」は「快速電車」に改称された(後述の「急行電車(急電)」も参照)。

戦時買収私鉄であった阪和線では「特急電車」「準急電車」も存在したが、この時に「特急電車」を「快速電車」に、「急行電車」と「準急電車」は「直行電車」(のちに「区間快速」)とした。

急行列車の最盛期となる昭和40年代には数多くの列車が設定されたが、その中には非常な長距離を走るもの、運行区間が独特なもの、分割・併結を繰り返すものなど、様々な特徴を持った列車も多く存在することとなった。1968年(昭和43年)10月改正(通称「ヨン・サン・トオ」)時の、それらの一例には下記のような列車がある。

高千穂
(東海道本線・山陽本線・日豊本線)東京駅 - 西鹿児島駅(現在の鹿児島中央駅)間運転。日豊本線周りで東京駅から西鹿児島駅までの1574.2kmを、この当時は28時間15分もかけて走破するという、屈指の長距離列車であった。なお、1965年(昭和40年)10月 - 1980年(昭和55年)10月の寝台特急列車(いわゆるブルートレイン)「富士」も同区間を運行していたが、「急行列車」の中では最長であった。なお、1968年10月のいわゆる「ヨンサントオ改正」より東京駅から門司駅までは鹿児島本線経由の「霧島」(のちに「桜島」と変更)と併結して運転し、またこの当時の東海道本線では唯一の昼行客車列車であった。この時点で既に座席車のみの編成となっていたが、併結相手の「霧島」には食堂車も連結され、東海道急行全盛期の名残をとどめていた。
さんべ
山陰本線美祢線山口線・山陽本線・鹿児島本線)米子駅 - 小郡駅(現在の新山口駅)・小倉駅博多駅熊本駅間運転。この当時は昼行2往復、夜行1往復の計3往復が設定されていたが、下りの「さんべ2号」と上りの「さんべ1号」は運行経路が複雑であった。下りの「さんべ2号」の場合、米子駅を発車して益田駅で山口線経由小郡駅行きの列車をまず分割するが、長門市駅でも山陰本線経由と美祢線・山陽本線経由の列車を分割して、その分割した編成を再び下関駅で併結するという運用を行っていたのである。この後もこの列車は昭和50年代末まで運行され、西村京太郎の作品の影響からか、いつしか「再婚列車」と呼ばれるようにもなっていた。
陸中
(東北本線・釜石線山田線花輪線奥羽本線仙台駅 - 秋田駅間運転。当時、仙台駅と秋田駅を最短経路の北上線経由で結ぶ急行「きたかみ」が同区間を4時間半で運転する一方、「陸中」は釜石線・山田線・花輪線を経由し13時間半もかけて運転するという奇妙な運行経路をとっていた。さらに、「陸中」は複数の急行列車と複雑な分割・併合を繰り返しながら運転されており、複雑な多層建て列車が多く存在した東北地区を象徴するような列車でもあった(詳しくは「はまゆり (列車)」参照)。

特別急行列車が文字どおりの「特別」な列車であった時代は、急行列車は庶民の足として日本全国津々浦々で運転されていたが、1964年(昭和39年)10月に新幹線が、そして1972年(昭和47年)10月にエル特急が登場すると特急の大衆化が進む。高度経済成長に伴う鉄道輸送の飽和から列車運行速度の異なる急行形車両(運転最高速度95km/h - 110km/h)がダイヤ上のネックとなった。中長距離は特急列車に格上げし、近距離や一部の中距離列車(元準急列車が中心)を快速に格下げすることにより、列車速度の単純化と優等列車の車種統一による車両運用の合理化、さらには陳腐化していた急行列車のサービス向上などを図った。こういった施策は航空機や自動車、高速バスの普及したこの時期においては不可避だったとはいえ、特急格上げの際に車内設備の改善はともかく、所要時間短縮が少なかったことから、国鉄の増収手段の一つという批判も強かった。

この時期には、いわゆる新性能電車との置き換えなどにより、臨時列車(「はりま」など)や大都市圏(とりわけ首都圏の「かいじ」など)では、所定の車両が揃わない等の理由で、一般形車両により運行される急行列車もあった。それらの列車は「遜色急行」(そんしょくきゅうこう)と一部の鉄道ファンから揶揄された。これはかつての準急行列車が速度を第一とし、その対価として急行料金に比べ安価な準急行料金を徴したのだが、その準急以下と見られたからである。一方で西日本を中心に急行形車両への冷房取り付けも進み、一等車は1968年までに、関東以西の普通車(旧二等車)も1970年代後半までには完了したが、東北以北では気動車の普通車への冷房設置は遅々として進まなかった[注釈 3]

急行全盛期の列車編成に欠かすことのできない車両として、特別二等車二等車(ともにのちの一等車・グリーン車)、食堂車(ないしは、ビュッフェ)・荷物車が挙げられたことから、ダイヤグラム作成に際して速度を含めて優等車両を備えた列車のことを、略して「優等列車」と呼ぶようになったともいわれている。

こういう経過の中でも存置された急行列車は、次第に特急と快速・普通列車に挟まれた中途半端な存在として利用客が減少していった。

衰退から消滅へ

1980年代以降の新幹線延伸により、在来線特急列車で使用されていた特急形車両が余剰になり、時を同じくして急行列車に使用していた車両の老朽化が進んだ。それに加え、航空機やマイカー、高速バスといった他の交通手段が台頭し、固定式ボックスクロスシートの普通車や3段式のB寝台車といった、旧態依然の設備そのものが利用客のニーズに合わなくなっていた。そのため急行列車は特急列車へ格上げ、快速列車・普通列車へ格下げ、または廃止され、大きく数を減らしていった。

1982年11月15日の国鉄ダイヤ改正を皮切りに、JR発足後もその流れは止まらず、ほぼ毎年のように急行列車が廃止された。JR四国1999年3月、JR九州2004年3月、JR東海2008年3月、JR西日本2012年3月の各改正をもって、それぞれの管内から定期急行列車が消滅している。

JR最後の急行「はまなす」

昼行急行列車は2009年3月改正で「つやま」が廃止されたことで全廃となった。その結果、定期運転の急行列車は夜行の「きたぐに」および「はまなす」のみとなったが、「きたぐに」は2012年3月改正で臨時列車に格下げされた後、翌年1月に廃止となった。最後に残った「はまなす」についても、2016年3月26日の北海道新幹線開業に伴い廃止された[5]。これにより、国鉄時代から続いたJRグループの定期急行列車は消滅した[6]

グリーン車の連結は、定期昼行列車については、半室グリーン車キロハ28形を連結していた「つやま」が2003年9月30日に車両変更のため編成から外されたことで消滅した。グリーン車を連結する定期急行列車は、2012年3月改正において「きたぐに」の臨時格下げにより消滅した。なお、臨時列車化以降の「きたぐに」が廃止される2013年1月以降は、グリーン車を連結する列車は、使用車両の一部に設置ないしは、いわゆるジョイフルトレインを使用した列車に限られている。

1998年に廃止された周遊券のうち、均一周遊乗車券(ワイド周遊券・ミニ周遊券)では、出発地から自由周遊区間までの経路を含めて急行列車の自由席利用が可能となっていた。

急行列車の車両

急行形車両の例:475系

急行列車は、153系165系直流電車455系・475系交直流電車キハ28系・58系気動車、12系客車などの急行形車両や、旧型客車によって運行された。

列車によっては485系583系電車や20系14系客車、キハ181系気動車などの特急形車両や、113系401・403/421・423系電車やキハ40系気動車などの一般形車両が使用された。後者については、通常の急行形車両よりサービス設備が見劣りすることから、“遜色急行”と呼ばれることがある。

JR化後、急行専用車両は開発されていない[注釈 4]。なお、JRが急行列車に使用する前提で製造した車両としてキハ110系0番台があげられ、実際に「陸中」で使用されたが、2002年に快速列車「はまゆり」に格下げされ、快速列車運用のみとなっている。そのため、JR化以降で新設列車として急行列車を運行する場合、特急形車両ないしは近郊形車両を充当せざるを得なかった。そのため、「つやま」は(2009年3月廃止)はキハ47・48形へ、「かすが」(2006年3月廃止)がキハ75形を使用した。

また、寝台車の場合、1980年代中葉までにいわゆる急行形車両は定期列車では運用しなかったこともあり、夜行列車では座席車では12系客車を使用し、寝台車については14系ないしは24系を連結するケースがあったが、客車による運用から電車・気動車へ移行する際にやむなく特急形車両に変更する事例もあった。この事例では、「ちくま」(2003年10月1日臨時列車化、2005年10月8日廃止)が383系381系電車に、「だいせん」(2004年10月廃止)では、特急仕様に改修されたキハ65形「エーデル」に変更した。

そうした事情から夜行列車ではすでに国鉄時代に一部特急形車両の使用が行われていたが、その初例は寝台列車であった「銀河」[注釈 5]であり、寝台電車である583系電車で定期急行列車として唯一した例が「きたぐに」となる。[注釈 6]

なお、JR化以降であるが「はまなす」は運行に車両を供したJR北海道が所有する優等座席客車は14系のみという事情も考慮されたい。

臨時急行列車

既述のとおり定期急行列車は全廃されたが、制度上急行の列車種別は廃止されていない。JR東海[7][8][9]JR北海道[10]のように、多客期や観光向けに臨時列車などを急行列車として運行する場合があるため、これらの列車には急行券が発売される。これらの列車には特急形車両のほか、一般形車両の改造車が使われている。車両だけなら特急列車でもおかしくないが、定期列車のダイヤを優先したり、ビューポイントで徐行運転や停車をしたりするなど、速達性の面で特急とは言い難い性格を持つ臨時列車の種別として実質的に用いられている。

なお、かつてはJR東日本水戸支社[11]においても臨時急行列車を運行していたが、2017年11月を最後に運行は行われておらず、快速列車に格下げまたは特急「ときわ」に格上げされている。ちなみに常磐線では、2015年3月のダイヤ改正で全車指定席とする新特急料金を導入した結果、座席指定料金を含めた急行料金が新特急料金よりも高いという逆転現象が発生している[注釈 7]

また、リバイバルトレイン(復活運転)としてかつての急行列車を急行種別の臨時列車・団体列車として走らせることがある。こちらはリバイバルトレインの性格上、車両も急行形を使うが[12]、他の国鉄車両が充てられる列車もある[13]

例外

常磐緩行線上り電車にはJR東日本の公式サイトの時刻表上にのみ急行の列車種別が設定されているが、これはJR線内(綾瀬駅まで)において「各駅停車」として走る電車が直通先の小田急電鉄小田原線内において後述の料金不要の「急行」として走る(JR線の「快速列車」に相当する)ことを意味しており[注釈 8]、本節で述べた「急行列車」とは全く性質の異なるものである。


注釈

  1. ^ 日本国有鉄道(国鉄)・JRの旅客営業規則に照らし合わせれば普通列車に含まれる列車
  2. ^ なお、"Mail Train"はイギリスの植民地であったインドの鉄道の列車種別として現在でも用いられている。
  3. ^ キハ58系を中心に冷房準備工事車が多く配置されていたが、東北以北では猛暑期間が短く、冷房化の需要はなかった。
  4. ^ 国鉄・JRにおける急行専用車両は、電車が1971年の457系を最後に、気動車が1972年のキハ65形を最後に、客車が1978年の12系を最後に製造中止となっていて、それ以後は国鉄・JRにおいては新製されていない。
  5. ^ 銀河 (列車)の項目を参照されたいが、充当当初は特急専用であった20系客車が使用されたが、国鉄時代中に14系から二段式B寝台である24系25形とブルートレイン寝台特急列車並の車両の変遷がされていた。
  6. ^ きたぐに (列車)の項目も参照されたいが、電車化以前も14系座席客車+14系寝台客車による編成であった。
  7. ^ 通常期の座席指定を含めた急行料金は50kmまで1,050円、100kmまで1,290円、150kmまで1,530円、200kmまで1,630円に対し、ひたち・ときわの特急料金(事前料金)は、50kmまで760円、100kmまで1,020円、150kmまで1,580円、200kmまで2,240円であり、100km以下であれば特急の方が安い。
  8. ^ 相模鉄道本線相鉄新横浜線内で「特急」運転を行う埼京線川越線相鉄線直通列車にも同様の記載があるが、小田急線内準急となる電車には記載がない。
  9. ^ 当時の国鉄の電車は大都市近郊の近距離区間のみの運行となっており、急行料金を徴収する中長距離の急行列車への使用は全く想定されていなかったので、「急行電車」と呼ぶことで、機関車牽引の客車による急行列車と区別することができた。
  10. ^ このことからも「急行電車」の語については、153系以降のような「電車を使用した急行列車」とは異概念である場合が多い。
  11. ^ 2021年9月25日のダイヤ改正で運行を休止したが公式時刻表には掲載されていた。2023年8月26日のダイヤ改正で公式時刻表から削除されて正式廃止となった。

出典

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