カトリック教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/27 21:31 UTC 版)
概要
カトリック教会自身による「カトリック」の定義は、教会憲章(Lumen Gentium[2])にみられる「使徒の筆頭者ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる「唯一の、聖なる、公同(カトリック)の、使徒的な教会」(ニケア・コンスタンチノープル信条)という表現に最もよく表されている。1054年の大シスマによる東西教会の分裂以前の教会で、ニカイア信条・ニカイア・コンスタンティノポリス信条およびカルケドン信条を信仰する教会(アリウス派などの異端の対義語という意味。正統教義ともいう)を指してカトリックと呼ぶこともある[注 1]。
「カトリック」という名称

語源
「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー(καθολική:普遍的、世界的)」の形容詞「カトリコス(καθολικος)[注 2]」に由来し、ラテン語では「カトリクス(Catholicus)」と表記される[3]。この言葉は、成文化されて現在まで伝わるものとしては「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」および「使徒信条」に典拠があり、前者ではラテン語: unam, sanctam, catholicam et apostolicam Ecclesiam(英語: (In) one, holy, catholic and apostolic Church;唯一の、聖なる、普遍の、使徒的な教会〔を〕)[注 3]、後者ではラテン語: sanctam Ecclesiam catholicam(聖なる普遍の教会〔を〕)と記されている。
ただし「カトリック」(普遍的)を自認・自称するキリスト教の教派は他にもあり(後述)、「カトリック」の語彙は教派名にとどまらない概念を指すこともある。
カトリック教会の教えによれば、教会とは単なる人間的な組織ではなく、約2000年前にパレスチナで誕生した初代教会の伝統を継続する人々の集まりというだけでもなく、本質的には「神から来るもの」であるとする[4]。
「ローマ・カトリック」以外の「カトリック教会」
一般名詞としての「カトリック」
1054年の大シスマによる東西教会の分裂以前の教会で、ニカイア信条・ニカイア・コンスタンティノポリス信条およびカルケドン信条を信仰する教会を指して「カトリック」と呼ぶこともある。この場合は現在のカトリック教会と正教会(Orthodox Church)を含む。ただし、これはカトリック教会側の見方であって、正教会は東西教会分裂以前の教会を指して「正教会」と呼ぶ。
カトリック教会も東方正教会も、東西教会の分裂以前の教会の直接の正統な後継者を自認していること、そして「カトリック」(普遍性)も「オーソドックス」(正しい讃美)もいずれもが東西教会分裂以前の教会においても重要な概念であったためにいずれの見解も誤りではなく、自らの重視する概念に由来する教会名の方を過去の教会名にも当てはめるために、このような事象が必然的に生じている。
現在のカトリック教会・正教会のいずれもが自らの「カトリック」(普遍性)・「オーソドックス」(正しい讃美)を自覚しており、この2つは排他的概念ではないことには注意が必要である。
イングランド国教会の流れを汲むアングリカン・チャーチの東アジアでの名称「聖公会」は「聖なる公同の教会」(英: Holy Catholic Church)という意味であり[5]、その他の国々の聖公会も、公同(catholic)かつ使徒継承(apostolic)の教会を自認している。また、聖公会内部の一傾向を指す「ハイ・チャーチ」(高教会派)は、「アングロ・カトリック」(英: Anglo-Catholicism)とも呼ばれる。
さらに、ネストリウス派の流れを汲むアッシリア東方教会の正式名称は、「聖なる使徒継承・公同のアッシリア東方教会」(英: Holy Apostolic Catholic Assyrian Church of the East)である[6]。
東方典礼カトリック教会
東方教会の伝統的な独自の典礼様式や各地の典礼言語などの諸風習を維持し、総大司教(羅: Patriarcha)を首座として一定の自治権を認められつつ、ローマ教皇の首位権を認めて教皇庁の傘下に入り、教義としてはローマ・カトリック教会と同一となった教会である東方典礼カトリック教会の諸教会がある。
その中には、正教会(いわゆるギリシャ正教)から分離・帰一したウクライナ東方カトリック教会やメルキト・ギリシャ典礼カトリック教会など、非カルケドン派正教会の流れを汲むコプト典礼カトリック教会など、さらにレバノンを中心として信徒を有し単意論教会の流れを汲むマロン典礼カトリック教会(マロン派)や、ネストリウス派の流れを汲むカルデア典礼カトリック教会など、様々な東方教会を母体とした教会がある。
「ローマ・カトリック教会」と言った場合、これら東方典礼カトリック教会を含まない、ラテン典礼[注 4]を用いてローマ教皇庁の直属にある狭義のカトリック教会を指して用いられる。
独立カトリック教会
他にも、「カトリック」を自称・自認しながらローマ教皇の首位権に属しない教派は、復古カトリック教会、ポーランド・カトリック教会、リベラル・カトリック教会、中国天主教愛国会など独立カトリック教会の諸教会があり、これらと区別する意味でも「ローマ・カトリック教会」と呼ばれる。
日本語での名称
東方教会(正教会および東方諸教会)と区別するため、カトリック教会とプロテスタント教会を総称して西方教会と呼ぶ場合もある。その中で、最近はあまり見かけないが、日本語表記においてプロテスタント教会を「新教」とも呼ぶことがあるのに対してカトリック教会を「旧教」と呼ぶ例もあった。日本で出版された歴史の本などにも「旧教」という言葉が使われていたことがあるが、カトリック教会の側が「旧教」を自称したことはない。
別の名称としては、日本ではかつて天主公教会(てんしゅこうきょうかい)と称していた。これはかつて神のことを「天主」と呼んで教えていたためで、大浦天主堂・浦上天主堂などの名称はこれに由来するものである。また「公教」の使用例としては「公教要理」「長崎公教神学校(現・長崎カトリック神学院)」などがあったが、現在ではほとんどない。
なお、日本語でカソリックと表記されることもあるが、カトリックを表す、ギリシャ語のκαθολικοςのθとラテン語のCatholicusのthの部分の発音の表記の違い[7]でしかない。
現在ではカトリック中央協議会が公式表記としていないので、日本のカトリック教会側が「カソリック」という表記・呼称を使用することは通常はない。
歴史
第2バチカン公会議(1962年-1965年)は、カトリック教会に大きな転換をもたらした。従来、ローマ・カトリック教会(東方典礼カトリック教会を除く)では典礼言語としてラテン語(教会ラテン語)しか用いられなかったが、これ以降は各国語の典礼が認められるようになった。また、ミサの形式にも変革があり、一例としては、従来聖職者が祭壇に向かい会衆に背を向けて司式する「背面司式」であったのが、聖卓を挟んで会衆に向き合って司式する「対面司式」となった。これらの変革された典礼様式は、「新しいミサ(ノブス・オルド)」と呼ばれる。それ以前の典礼様式はトリエント・ミサと呼ばれ、聖ピオ十世会などはこれを堅持している。
注釈
- ^ この場合は現在のカトリック教会と正教会を含む。
- ^ 東方教会ではこの言葉に由来して、総主教や首座主教などが持つ「カトリコス(英: Catholicos)」という称号がある。
- ^ 原典は古代ギリシア語: Εἰς μίαν, ᾱ̔γίαν, καθολικὴν καὶ ἀποστολικὴν Ἐκκλησίαν, ラテン文字化: Eis mian, hagian, katholikēn kai apostolikēn Ekklēsian;現代ギリシア語: Εις μίαν, αγίαν, καθολικήν και αποστολικήν Εκκλησίαν, 発音 [is ˈmian aˈʝian kaθoliˈkin ce apostoliˈkin ekliˈsian]
- ^ 西方典礼とほぼ同義語。第2バチカン公会議後の1969年に発布された「新しいミサ」の導入まで、東方典礼カトリック教会を除くローマ・カトリック教会は、ミサなどの典礼を世界中で全てラテン語で行っていた。
- ^ 中世には「来世の裁き」の観念が発達し、最後の審判を描く図像には天国の場所に神が裁判官として座し、マリアや聖人たちが仲介者として周りを囲んでいた[8]。
- ^ 神の母という信仰は、3世紀初めからアレクサンドリアの教父によって行われている。428年、ネストリオスはこれに反対し「キリストの母」と呼ぶべきだと唱えて、激しい論争が起こった[9]。
- ^ 『マタイによる福音書』の第16章18-19節の箇所にのみ出てくる、ペトロはイエスより天国の管理人に任命されたとされる[10]。
- ^ これらの教義は1992年に『カトリック教会のカテキズム』(CCC) として教皇庁により編纂され、順次各国語に翻訳されている。これは、いわゆるローマ・カトリック教会だけでなく東方典礼カトリック教会の規範にもなっている。なお、イエズス会、フランシスコ会などはローマ・カトリック教会の組織内部の修道会であり、教義(カテキズム)については同じであるため、「イエズス会派」「フランシスコ教団」などと呼んだりプロテスタントの各教派と同列に扱うのは誤りである。
- ^ 教皇#地位と権威参照。
- ^ 中世には「来世の裁き」の観念が発達し、最後の審判を描く図像には天国の場所に神が裁判官として座し、マリアや聖人たちが仲介者として周りを囲んでいた[14]。
- ^ 『マタイによる福音書』の第16章18-19節にある「天国の鍵」の記述の中で、ペトロが天国の管理人をするところの教会を、イエスは「自分の教会」と言ったという記述がある[15]。
- ^ 主日のミサは、日曜日だけでなく前日の土曜日の夜のミサも含む。
- ^ カトリック教会では、聖母マリアや諸聖人を神として敬っているわけではないため、「マリア崇拝」等と称するのは誤りである。
- ^ ガリレオは、ニコラウス・コペルニクス、ヨハネス・ケプラー、アイザック・ニュートンと並び、科学革命の中心人物とされている。
出典
- ^ 八木谷涼子 『なんでもわかるキリスト教大事典』p.58、朝日新聞出版 ISBN 9784022617217
- ^ DOGMATIC CONSTITUTION ON THE CHURCH LUMEN GENTIUM The Holy See(バチカン公式サイト)
- ^ 小高毅 よくわかるカトリック-その信仰と魅力 教文館 2002.15.May p.10
- ^ “教会への愛、教会における責任” 2018年4月10日閲覧。
- ^ Paul Kwong; Philip L. Wickeri (2015), “Chapter18: Sheng Kung Hui - The Contextualization of Anglicanism in Hong Kong”, in Mark David Chapman; Sathianathan Clarke; Martyn Percy, The Oxford Handbook of Anglican Studies, Oxford University Press, ISBN 978-0198783022(英語)
- ^ An Introduction to the Christian Orthodox Churches, By John Binns, page 28 [1]
- ^ 小高毅『よくわかるカトリック-その信仰と魅力』(教文館 2002年(平成14年)5月15日)p.10
- ^ 岩波キリスト教辞典、P.779
- ^ 岩波キリスト教辞典、P.767
- ^ 岩波新約聖書2004年P131
- ^ “偶有性とは - コトバンク”. 2021年8月10日閲覧。
- ^ “全実体変化”. 護教の盾 (2014年5月2日). 2021年8月10日閲覧。
- ^ 『カトリック教会のカテキズム』194,195 (p65) ISBN 4877501010
- ^ 岩波キリスト教辞典P779 天国の項目 安發和彰
- ^ 岩波新約聖書2004年(平成16年)、P.131
- ^ 『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』175頁
- ^ “東京大司教区に補佐司教任命”. カトリック中央協議会 (2004年12月2日). 2005年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月17日閲覧。
- ^ 『カトリック教会の教え』251-254頁
- ^ “ANNUARIUM STATISTICUM ECCLESIAE: Published for 2000”. 2015年9月4日閲覧。
- ^ カトリック教会のカテキズムより。(『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』137頁、カトリック中央協議会 ISBN 978-4-87750-153-2)
- ^ “結婚の神秘” 2018年4月6日閲覧。
- ^ “オプス・デイへの召し出し” 2018年4月6日閲覧。
- ^ 『カトリック教会の教え』252頁
- ^ クリスチャン神父のQ&A - カトリック松原教会 - 2014年(平成26年)10月31日閲覧
- ^ COMMON CHRISTOLOGICAL DECLARATION BETWEEN THE CATHOLIC CHURCH AND THE ASSYRIAN CHURCH OF THE EAST The Holy See(バチカン公式サイト)
- ^ 教皇庁教理省 (2007年6月29日). “教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答”. カトリック中央協議会. 2013年4月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月17日閲覧。
- ^ “主の祈り 日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳”. カトリック中央協議会. 2012年7月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月17日閲覧。
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