ルネッサンス
英語:Renaissance
「ルネッサンス」とは・「ルネッサンス」の意味
ルネッサンス(Renaissance)とは、もともと「復活」や「再生」を表すフランス語であり、14世紀から16盛期頃にかけて西ヨーロッパ全体に広まっていった文化運動やその時代を指す言葉である。ルネッサンスの時代より前の中世ヨーロッパ文化は、キリスト教(ローマ・カトリック教会)の影響が非常に強かった。中世末期、それまで絶対的に君臨してきた教会の権威が衰えを見せ、それに伴い、キリスト教の神に仕える生き方や価値観も囚われすぎない気運が高まった。そんな風潮のもとで、人間の個性や自由な生き方を求める「ルネッサンス」の理念が生じたとされている。
ルネッサンスの思想の模範とされたのは古代ギリシア・ローマの文化である。古代に花開いた、すぐれて人間的な美を追い求める古典文化を「復興」させることで、自分たちの生き方に役立てようとしたのである。
ルネッサンス運動が生まれた背景としては、ローマ教皇による十字軍の遠征も要因に挙げられる。十字軍は、聖地エルサレムをイスラム勢力から奪回する目的で幾度も編成され、最終的には失敗に終わるが、この遠征が西欧と東方との積極的な交流を生むきっかけにもなったのである。イスラムの優れた文化は、翻訳活動などによってシチリア王国やスペインを経由してヨーロッパ全体にもたらされ、人々がギリシアの哲学や科学に触れることになったことが、のちにルネッサンス文化が花開く前準備になったと言われている。
ルネッサンス(文芸復興)の動向は、まずイタリアで始まった。イタリアはイスラム世界の影響を受けつつも古代の文化遺産が数多く保存されていて、当時のヨーロッパの中でひときわ経済的に反映していたためである。ただし、ルネッサンスの文化が開花したのはフィレンツェ、ミラノ、ローマ、ヴェネツィア、ナポリなどの大都市においてであり、イタリアの全都市で同様の動きがあったというわけではない。
その後、フィレンツェのメディチ家やミラノのスフォルツァ家をはじめとする大富豪たちがパトロンとして後押しをしたことで、芸術家たちは飛躍的な活躍を遂げる。そして、ルネッサンスの文化や理念は西ヨーロッパ諸国にも発展していきながら、16世紀に最盛期を迎える。
ルネッサンスの時代区分としては、ルネッサンス期に突入する前の「プロト・ルネッサンス」から「前期ルネッサンス(初期ルネッサンス)」「盛期ルネッサンス」「後期ルネッサンス」に分けられる。もちろんこれらの時代区分は明瞭に区切られているわけではない。
ルネッサンスの時代より前にも、「古典古代の文化の復興」というルネッサンスの機運は息づき始めていた、とする見解もある。ルネッサンスとは一線を画す時代とされている中世文化の中にすら、そのような動向が見いだせる。中世のルネッサンス的な動向は「カロリング期ルネッサンス」や「12世紀ルネッサンス」のように呼ばれることがある。
ルネッサンスの時代は、地中海交易がもたらした多くの冨やさまざまな産物によって、ヨーロッパに住む人々の生活にも大きな変化をもたらした。服装や髪型などで自由に表現をするファッションが登場したほか、文化面では現実世界をありのままに観察していくことが重んじられる。そのため、絵画や科学などをはじめ、生活文化に至る幅広い分野にわたって数多くの変化や新しい発見が見られた時代であると言える。
例えば、中世文化では禁欲や節制こそが神の意向に応えるための行為とされてきたが、都市や市民が繁栄したルネッサンスにおいては、美食の追求が認められるようになる。イタリアの裕福な市民たちは冨と名声を示すためにあらゆる機会に宴会を催し、美術品として価値の高い食器でテーブルを飾り、味付けを工夫した豚肉料理や高価な砂糖を用いた贅沢な菓子などが食卓に並んだ。ルネッサンス的イタリア料理や調理方法は、古代ローマの伝統を受け継ぎつつ、かつ地方色も豊かであった。これはヨーロッパ各国の料理にも影響を与えることになる。
ルネッサンスの代表的なイタリアの芸術家としては、14世紀に活躍したダンテやペトラルカなどのほか、16世紀に登場したレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどがあげられる。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は遠近法を高い完成度で用い、空間を立体的に描いている。「モナリザ」は輪郭を描くことなく陰影によって人物を描写しきった傑作であり、中世文化の平面的な絵画とは一線を画している。ミケランジェロの「最後の審判」は、システィナ礼拝堂の壁一面を覆う巨大な絵画であり、「ルネッサンス」を象徴する独創的な表現方法をとっている。
その他、ヨーロッパ諸国へ広がったルネッサンス作品としては、「ロミオとジュリエット」をはじめルネサンス期の典型的な人間像を描いてイギリス文学を最高の水準にまで高めたシェークスピアや、「ドン・キホーテ」において中世騎士道を風刺して人間性を賛美したスペインのセルバンテス、写実的画風で農民生活をいきいきと描いたフランドルの画家・ブリューゲルなどがよく知られている。
ルネッサンスの動向は、科学技術の進歩にも大いに貢献し、社会の変化に大きな影響をもたらした。特に羅針盤・火薬・活版印刷術のいわゆる「三大発明」は、その象徴として名高い。羅針盤はイスラムを経由してヨーロッパで改良されて使われるようになり、これまでの陸地に沿った航路から、後の大航海時代へとつながる海外進出を促した。火薬の発達は、険で闘う騎士たちの没落を生み、銃や大砲といった従来の戦術とは異なる大規模な戦争を可能にすることになる。活版印刷術は、ドイツのグーテンベルグによって改良され、それまでは手書きで複製されたいた聖書を印刷により大量生産できるようになった。このことはルターの宗教改革にも大きく寄与している。
「ルネッサンス」の語源・由来
「ルネッサンス」はフランス語に由来する語彙である。フランス語では「Renaissance」と表記される。英語でも仏語をそのまま用いて「Renaissance」という。いわゆる文芸復興を指す意味の「ルネッサンス」は固有名詞であるため、先頭大文字である。
フランス語の renaissance は、「re-(再-)」+「naitre(誕生)」+「-ance(〜すること)」という要素で構成される語である。
一般名詞としての「ルネッサンス」は、衰えたものが再び盛んになること、芸術などを蘇らせて勢いを取り戻すこと、および、その様子などを意味する語である。固有名詞としては、中世における文芸復興運動や時代の指す言葉として使われ、「ルネッサンス風」「ルネッサンス様式」「ルネッサンス建築」といった言い回しで活用されることも多い。
「ルネッサンス」に相当する言葉は、「ルネッサンス」が最盛期を迎えた16世紀頃から存在していて、イタリア語の「rinascita(リナシータ)」がそれにあたる。イタリアのマニエリスム期の画家であるジョルジョ・ヴァザーリが、1550年に出版した著書「美術家列伝」「の中で、古代ギリシアとローマ文化の再生という意味で使い始めたのが直接的な起源である。その後、1800年代半ばにフランス語で「ルネッサンス」と訳されて人々に用いられるようになったが、19世紀のフランスの歴史家であるミシュレが「フランス史」第7巻の表題として「Renaissance」を使用したことをきっかけに学問的にも認められる言葉へと発展する。さらに、スイスのヤーコブ・ブルクハルトによる「イタリア・ルネッサンスの文化」をはじめ、数多くの専門家たちが追従したことにより、「ルネッサンス」の概念が決定的に認知されるに至った。
「ルネッサンス」が、ギリシアやローマの古代文化を手本とした文化運動であったことから、日本では長らく「文芸復興」と訳されることが多かった。現在では文芸のみに留まらず、社会形態を含めた総体的な運動として広義で使われることから、「文芸復興」と訳されることは少ない。一方、「ルネッサンス」には美術用語としての側面もあり、15世紀から16世紀にかけてのヨーロッパ美術史における様式や時代区分を指して使われる。歴史学や美術史においては「ルネッサンス」よりも「ルネサンス」の表記が一般的である。
ルネッサンス【(フランス)Renaissance】
ルネッサンス
ルネッサンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 10:09 UTC 版)
1316年にモンディーノ・デ・ルッツィが著した『アナトミア』は、現代的な脳解剖研究の嚆矢となった。1536年にイタリアのニッコロ・マッサ(英語版)は、脳室が液体で満たされていることを発見した。ローマのアルカンジェロ・ピッコロミニ(英語版)は、大脳と大脳皮質の区別を初めて明らかにした。1543年にアンドレアス・ヴェサリウスは、7巻からなる『ファブリカ』(人体の構造)を著した。その第7巻では脳と目を扱い、脳室、脳神経、脳下垂体、髄膜、目の構造、脳と脊髄の血液供給に関する詳細な図面や、末梢神経の図面を載せている 。ヴェサリウスは、多くの動物がヒトと同様の脳室系を持ちながら真の知性を備えていないとして、脳室が人間としての脳機能に欠かせないという通説を退けた。 デカルトは、脳が精神にいかに関わっているかという問題に取り組み、実体二元論を唱えた。彼は、松果体こそ精神が肉体と相互作用する場であり、それは魂の座として、また動物としての霊魂が血液から脳へ伝えられる連結点として作用すると考えた。この二元論はおそらく後世の解剖学者らに刺激を与えたと思われ、脳の解剖学的側面と機能的側面の関係についてさらなる研究を促した。 トーマス・ウィリスは、神経学と脳科学研究の2人目の開拓者とみなされている。彼は1664年に『脳解剖学』(挿絵は建築家のクリストファー・レン)を、次いで1667年に『脳病理学』を著した。これらの著作で彼は、小脳、脳室、大脳半球、脳幹、脳神経の構造を説明し、その血液供給を精査した。そして脳のそれぞれの領域に関連付けられる機能について推測を立てた。ウィリス動脈輪は脳の血液供給に関する彼の研究から名付けられたもので、また彼は神経学 (neurology) という語を初めて使った。ウィリスは脳を調べる際にはそれを体から摘出し、皮質は血管のみで構成されているという当時の通説と、皮質は付随的な役割しか持たないとする2千年間続いていた説を、否定した。 19世紀半ばにエミール・デュ・ボア=レーモンとヘルマン・フォン・ヘルムホルツは、検流計を使って電気インパルスが神経を計測可能な速度で伝わることを示し、神経インパルスは計測不能な生体機能だとする師のヨハネス・ペーター・ミュラーの説を反証した。1875年にリチャード・ケートン(英語版)は、ウサギとサルを使って大脳半球の電気インパルスを検出した。1820年代にジャン・ピエール・フルーランス(英語版)は、動物の脳の特定部分に傷をつけて運動や行動に現われる影響を調べるという研究手法を開拓した。 アンドレアス・ヴェサリウスの『ファブリカ』(1543年)に収録された脳の底面図 レオナルド・ダ・ヴィンチによる頭蓋骨のスケッチの一つ
※この「ルネッサンス」の解説は、「ヒトの脳」の解説の一部です。
「ルネッサンス」を含む「ヒトの脳」の記事については、「ヒトの脳」の概要を参照ください。
ルネッサンス
「ルネッサンス」の例文・使い方・用例・文例
- イタリアルネッサンスの建築は荘厳である
- ルネッサンス時代、ベニスの芸術は全盛期を迎えていました。
- 現在は、イタリアルネッサンスに興味を持っています。
- イタリアンルネッサンスを開花させるきっかけを作ったのはジョットの功績だ。
- その建物はルネッサンス様式の建築である.
- 駅はルネッサンス風のりっぱな建物です.
- ルネッサンス建築の一階正面または内部
- ルネッサンス期のダブルリードの木管楽器で曲がった管がついている(曲がったホルン)
- 新プラトン主義は、初期のキリスト教の作家の、また、後の中世、およびルネッサンス主義、イスラム哲学に関する大きな影響であった
- ルネッサンス以降のラテン語
- ルネッサンスの文化運動
- イタリアのルネッサンスの始まり
- 13世紀、フェラーラはルネッサンスの学習および芸術の中心であった
- フィレンツェの建築家で、最初の偉大なイタリア・ルネッサンスの建築家(1377年−1446年)
- 主要なドイツのルネッサンスの画家で彫刻家(1471年−1528年)
- 北ヨーロッパの最高のルネッサンス期の学者であったオランダの人文学者で神学者
- ギリシアの解剖学者で、その理論がルネッサンスまでヨーロッパの薬の基礎を形成した(130年−200年頃)
- ルネッサンス後期まで当然とされた天文学の天動説を主張した、(2世紀の)アレクサンドリアの天文学者
- イタリアの画家で、彼のたくさんの絵画はルネッサンス最盛期の理想を体現する(1483年−1520年)
- ルネッサンス期イタリア美術と文学でいう15世紀
- ルネッサンスのページへのリンク