『ファブリカ』
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「アンドレアス・ヴェサリウス」の記事における「『ファブリカ』」の解説
1543年にヴェサリウスが出版を援助するようヨハネス・オポリヌス (Johannes Oporinus) に要求した、7巻から成る『ファブリカ』(“De humani corporis fabrica”、人体の構造)は、人体解剖の革新的な仕事でカール5世に捧げられ、その図版はティティアン (Titian) の弟子であるジャン・ステファン・ヴァン・カルカル (Jan Stephen van Calcar) によって描かれたと信じられている。数週間後には学生の為に要約版のエピトメ“Andrea Vesalii suorum de humani corporis fabrica librorum epitome”を出版し、それは皇帝の息子のスペインのフェリペ2世に捧げられた。 その仕事はまず解剖ありきという事と、後に体の「解剖学的な」視点と呼ばれるようになったものを強調した。すなわち、立体的に器官を配置して、本質的に物質的構造としての人間の内部構造を見せた。これは、以前に用いられた、占星術の原理と同様、強いガレノス、アリストテレス的原理に基づく解剖学のモデルと著しく対照的だった。現代的な解剖学教科書もモンディーノ (Mondino) とベレンガー (Berenger) によって出版されたが、彼らの仕事はずっとガレノスとアラビア学説に寄ったものだった。 蝶形骨の初の良い記載だけでなく、3つの部位から成る胸骨や5つか6つの仙椎から成る仙骨を見せ、また側頭骨の内側の前庭を正確に記載した。肝臓の血管の弁についてのエティエンヌ (Etienne) の観察を証明したのみでなく、奇静脈を記載し、そして胎児の中で臍静脈と大静脈の間に通過する、それ以降静脈管と命名された管を発見した。網は胃、脾臓そして結腸と繋がっているのを記載し、幽門の構造の正しい視点を始めて与え、ヒトの盲腸の虫垂の小ささに気付き、初の縦隔と胸膜の良い説明、そして今でも遜色の無い脳の解剖の豊富な記載をした。彼は下陥凹は理解しなかった。また、脳神経の数え方は視神経を第一の対とし、第三を第五と、第五を第七神経とみなすことで分かりにくいものとなっている。 この仕事の中で、ヴェサリウスはまた人工呼吸を記載した初めての人物となった。 ヴェサリウスの仕事は実際の検死に基づいた初めてのものではなく、この時代の初めての仕事でもなかったが、高精細で込み入った図版の作品価値、そしてそれを作った芸術家が彼ら自身の解剖ではっきりと提示するという事実があっという間に名著として作りかえたのである。海賊版がまもなく出版され、その事実をヴェサリウスは印刷者の記録から知った。『ファブリカ』の初版を出版したときヴェサリウスはまだ30歳であった。
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