F-2
日米の先進の技術を結集して生まれました
F-2は、米国のF-16を、日本の運用の考え方や地理的な特性に合わせ、日米の優れた技術を結集し日米共同で改造開発した戦闘機です。昭和63年にFS-Xとして開発に着手し、平成7年に初飛行、12年度に開発は完了しました。F-16からの主な改造点は、旋回性能の向上のため主翼面積を増やし、軽量化のため先進材料や先進構造を取り入れたこと。また離陸性を高めるためエンジンを推力向上型に変え、さらに最新レーダーなど、先進の電子機器を採用しています。
分類 | 戦闘機 |
乗員 | 1~2(教育訓練用)人 |
全幅 | 11.1m |
全長 | 15.5m |
前高 | 5.0m |
エンジン | |
名称 | F110-GE-129(ゼネラル・エレクトリック社) |
推力 | 13.4t(地上静止時) |
型式 | ターボファン・エンジン |
最大全備重量 | 約22t |
性能 | |
最大速度 | マッハ約2.0 |
武装 | 20mm機関砲、空対艦ミサイル、空対空赤外線ミサイル、 空対空レーダーミサイル |
【F-2】(えふに)
- McDonnel F-2(F2H) "Banshee(バンシー)"
アメリカのマクダネル社が開発した艦上戦闘機。
アメリカ海軍初のジェット戦闘機FD(FH-1)「ファントム」と平行して、第二次世界大戦中からFDの発展型として開発が進められた。
量産は1948年に始まり、1953年の生産終了までに800機以上が生産され、カナダ海軍でも運用された。
初期型はコルトMk.16 20mm機関砲を4門搭載した昼間戦闘機であったが、まもなく夜間戦闘機型と写真偵察機型が開発され、その他にも核攻撃機型など多数の派生型が生まれた。
朝鮮戦争では海兵隊の偵察機や戦闘爆撃機として活躍し、停戦後に実戦配備されたC型は対空レーダーを装備しAIM-9ミサイルの発射能力も持っていた。
しかし、より高性能な後継機が間もなく登場し、1959年に姿を消した。
直線翼の根元に推力1,430kgの1.5トン級ターボジェットエンジンである「J34-WE-34」を双発で搭載するなど、外観は平凡で際立った性能もなかったが、視界の良い涙滴型風防を持ち操縦性もよかったため操縦士には好まれていた。
【スペックデータ(F2H-3)】
乗員 1名 全長 14.68m 全高 4.42m 翼幅 12.73m 翼面積 27.3㎡ 空虚重量 5,980kg 全備重量 9,531kg 最大離陸重量 11,437kg エンジン ウェスチングハウスJ34-WE-34ターボジェット(推力14.5kN(3,250lbf))×2基 最大速度 933km/h(580mph/504kn) 海面上昇率 30m/s 実用上昇限度 14,205m 航続距離 2,760km 兵装 コルトMk.16 20mm機関砲×4門(搭載弾数:220発(上段)/250発(下段))
最大910kgの兵装を搭載可能。
60ポンドロケット弾×8発
500lb爆弾×6発(60ポンドロケット弾×2発時)
AIM-9×2発
【バリエーション】
・XF2H-1:試作機、当初名称XF2D-1。
・F2H-1:量産型。
・F2H-2:エンジンを強化した型。
・F2H-2B:主翼を強化し、ハードポントを追加した戦闘爆撃機型。
・F2H-2N:AN/APS-6レーダーを搭載した夜間戦闘機型。
・F2H-2P:2型の写真偵察機型。90機製造。
・F2H-3:レーダーを搭載した全天候戦闘機型。カナダ海軍でも60機使用。
米軍の航空機呼称変更後はF-2Cと呼ばれた。
・F2H-3P:3型の写真偵察機型。計画のみ。
・F2H-4:最終生産型。150機製造。
米軍の航空機呼称変更後はF-2Dと呼ばれた。
- 三菱F-2。
F-1の後継機である航空自衛隊の支援戦闘機。
1980年代に始まった次期支援戦闘機(FSX)計画によって誕生した機体で、当初F404級エンジンを双発で搭載する国産機が予定されていたが、アメリカの政治的圧力によって既存の機体からの改造機を日米両国で共同開発・生産することになり、F-15・F/A-18との比較の結果、改造のベースはF-16となった。
開発当時のわが国の防衛戦略上、4発の空対艦ミサイルを搭載して東北地方と宗谷海峡を往復できる能力を求められたため、ペイロードと航続距離の強化が図られた。
そのため、胴体の延長やCFRPを利用しての主翼大型化など、機体の大型化がなされ、またアクティブフェイズドアレイレーダーの導入やCCV技術の導入など、日本の最新電子技術も盛り込まれた。このCCV技術は米国がソースコードの提供を断ったため、F-16CCVで研究されたものではなく、T-2CCVなどで独自に研究していたものが採用されている。
以上の理由により、F-16との共通部分はほとんどない。
試作機XF-2は1995年に初飛行し、その際判明したレーダーや主翼の強度不足等の不具合を改修した量産型が、2004年8月の段階では三沢の第3航空団、築城の第8航空団に実戦機として配備が進みつつあるほか、松島の第4航空団にも教育目的で配備されている。
本機の生産は三菱重工業のほか、ロッキード・マーティン、川崎重工業、富士重工業、IHI等の各企業が分担して機体の各ブロックや部品を生産し、それを三菱の小牧工場にて組み立てるという形で行っている。
なお、初期に不具合が多発したことから、その性能について疑問視されていたが、2004年6月に三沢基地の米軍のF-16と行われたF-2初のDACTにおいて、期待通りの結果が得られたとの情報が伝えられており、模擬戦で一定の勝利を収めたと見るべきである。
しかし、どのような状況下で行われたかは不明であり、訓練での勝敗は場合によって大きく変わってしまう。
同世代機に比較し搭載するFCSレーダー「J/APG-1」の視程が極めて短く(探知範囲が20nm程度しかなく設計の1/3程度)、撃ちっ放し能力を持った99式空対空誘導弾(AAM-4)やAIM-120の運用も不可能(ただし、AAM-4は2010年中に運用能力を獲得する予定)。
さらには「ターゲットをロックオンした後に急激な機動をするとロックオンが外れてしまう」「探知したターゲットがいきなりレーダーから消える(この2つは現生産機では解決済みだが初期生産機は改修の必要有り)」と言われ、空対空戦闘機としてみた場合、F-16はもとより、同世代機に比べて大きく劣っているとされる。
支援戦闘機(FS)として設計されたのだから、これらは劣って当然という見方もあるが、世界の趨勢はマルチロールファイターであり、旧態依然とした攻撃機であることに疑問の声も強く、2004年現在、自衛隊を囲む環境の急激な変化による戦闘機定数の削減圧力と、本機のコストパフォーマンスや装備としての優先順位が(FIであるF-15Jと比べて)相対的に低いという2点の理由から、生産を当初計画の130機より20~30機程度が削減されることが決定された。
もっとも、F-2はF-1(生産数77機)の後継機であり、F-1の後継分を超える機はT-2(高等練習機)の後継機として使用される計画であった事から、生産機数の削減が直ちに戦力の低下に結びつくかどうかは一概に判断できない(しかし、およそ半数が高等練習機として生産済みである)。
上記理由により調達中止になったという背景を鑑みたのか、ロッキードマーチンは F-2 SUPER KAI というアップバージョンをジャパンエアロスペース2004にて大々的に発表した。
しかし、今のところ防衛省がこのプランを採用する予定は無く、またロッキード・マーチン社もこれ以後、特に具体的な続報は発表していない。
また、開発段階では基本性能向上型、FS性能向上型、F-4EJ改の後継としてFI型が構想されていた。
【スペックデータ】
全幅 10.80m/11.13m(翼端ランチャー含む) 全長 15.52m 全高 4.96m 主翼面積 34.84㎡ 空虚重量 9,527kg(F-2A)/9,663kg(F-2B) 最大離陸重量 22,100kg 最大兵装搭載量 8,085kg エンジン GE製F110-IHI-129ターボファン(推力75.62kN/131.23kN(A/B使用時))1基 最大速度 マッハ2.0(高々度)/マッハ1.1(低高度) 海面上昇率 不明 実用上昇限度 18,288m 荷重制限 +9G/-3G 航続距離 2,160nm 戦闘行動半径 450nm(対艦攻撃ミッション時) 乗員 1名(F-2A)/2名(F-2B) 武装 固定武装
・JM61A120mmバルカン砲(装弾数512発)1門
空対空兵装
・AIM-9L
・AIM-7F/M
・90式短距離空対空誘導弾 (AAM-3、赤外線誘導)
・99式中射程空対空誘導弾(AAM-4、アクティブレーダー誘導(指令・慣性誘導併用))
※2010年度から搭載改修予定
空対艦兵装
・80式空対艦誘導弾(ASM-1、アクティブレーダー誘導)
・93式空対艦誘導弾(ASM-2、画像赤外線誘導)
爆弾類
・Mk.82
・91式赤外線誘導方式爆弾用誘導装置(GCS-1)装備型Mk.82
・CBU-87/Bクラスター爆弾
・JDAM
その他兵装/装備
・J/LAU-3 70mmロケット弾ポッド
・RL-4 127mmロケット弾ポッド
・300ガロン(1136L)増槽(胴体下兵装ステーション用)
・600ガロン(2271L)増槽(主翼下兵装ステーション用)
【バリエーション】
・XF-2A:単座型試作原型機。原型1~2号機
・XF-2B:複座型試作原型機。原型3~4号機
・F-2A:単座型の生産モデル
・F-2B:複座型の生産モデル
Photo:MASDFPhoto:MASDF
F2
F1のすぐ下に属する、F1へのステップアップを狙うカテゴリーのレースカー。戦後、1940年代から84年までヨーロッパを中心にレース・シリーズを開催。85年からはF3000と名前を変え、現在に至っている。日本では、F2000として日本独特の規格で行われていたレースからFIA規格のF2へと名前を変え、1978年から86年まで開催された。87年からは日本でもF3000へ移行した。
参照 F2000、F3000ゼアラレノン
分子式: | C18H22O5 |
その他の名称: | ゼアラレノン、Zearalenone、(S,E)-3,4,5,6,9,10-Hexahydro-14,16-dihydroxy-3-methyl-1H-2-benzoxacyclotetradecin-1,7(8H)-dione、マイコトキシンF-2、トキシンF2、trans-ゼアラレノン、Mycotoxin F-2、(-)-Zearalenone、(-)-ゼアラレノン、ゼノン、Toxin F2、Zenone、trans-Zearalenone、FES、(S)-Zearalenone、NCI-C-50226、Toxin F2、F-2、トキシンF2、ミコトキシンF2、マイコトキシンF2、(S)-ゼアラレノン、(3S,11E)-3,4,5,6,9,10-Hexahydro-14,16-dihydroxy-3-methyl-1H-2-benzoxacyclotetradecin-1,7(8H)-dione、F-2 Toxin、F2 Toxin、F2-トキシン、F2トキシン、(3S,11E)-3β-Methyl-14,16-dihydroxy-3,4,5,6,7,8,9,10-octahydro-1H-2-benzooxacyclotetradecin-1,7-dione、(S)-(-)-ゼアラレノン、(S)-(-)-Zearalenone、F2-Toxin |
体系名: | (S,E)-3,4,5,6,9,10-ヘキサヒドロ-14,16-ジヒドロキシ-3-メチル-1H-2-ベンゾオキサシクロテトラデシン-1,7(8H)-ジオン、(3S,11E)-3,4,5,6,9,10-ヘキサヒドロ-14,16-ジヒドロキシ-3-メチル-1H-2-ベンゾオキサシクロテトラデシン-1,7(8H)-ジオン、(3S,11E)-3β-メチル-14,16-ジヒドロキシ-3,4,5,6,7,8,9,10-オクタヒドロ-1H-2-ベンゾオキサシクロテトラデシン-1,7-ジオン |
フルオリン
雑種第二代
フォーミュラ2
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カテゴリ | シングルシーター |
---|---|
国・地域 | 国際 |
開始年 | 2017年 |
ドライバー | 22 |
チーム | 11 |
コンストラクター | ダラーラ |
エンジン サプライヤー | メカクローム |
タイヤ サプライヤー | ピレリ |
ドライバーズ チャンピオン |
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チーム チャンピオン |
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公式サイト | fiaformula2.com |
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フォーミュラ2(Formula 2、F2)は、自動車レースの1カテゴリー。FIAが定義するフォーミュラカーレースのうち、F1の直下に位置する。
「ヨーロッパ・F2選手権」がフォーミュラ3000(F3000)への移行により1984年に廃止 (2005年にF3000からGP2に移行) 、2009年からGP2より安価なカテゴリーとして「FIA F2選手権」が行われたが2012年シーズンで廃止、2017年にGP2から改名される形で本選手権が復活した。
規定の変遷
F2規定は1948年に創設された。第二次世界大戦前にボワチュレット(フランス語で「小型車」の意味)と呼ばれたカテゴリーをベースに、当初は2,000cc以下の自然吸気 (NA) エンジン、もしくは500cc以下のスーパーチャージャー付きエンジンを使用することとされていた。1952年と1953年にはF1マシンが不足していたため、F2規定により世界選手権が行われた。この2年間はフェラーリが17戦中14勝という成績を収めた。
1957年にはエンジン規定が1,500cc以下のNAエンジンとされ、フェラーリは有名なディーノV6エンジンを開発した。
1961年にはF1のエンジンが1,500ccにスケールダウンされたのに伴い、F2が一旦廃止された。1964年より1,000cc以下のNAエンジンで復活し、1966年にはホンダエンジンを搭載したブラバムチームが開幕11連勝を成し遂げた。
ヨーロッパF2選手権
1967年からはF2カテゴリーに対し、FIAがヨーロッパ選手権のシリーズタイトルを創設した。エンジン規定は1967年 - 1971年までが1,300 - 1,600cc・最大6気筒のNAエンジン、1972年以降は2,000cc以下・最大6気筒のNAエンジンとしていた。また、量販エンジンがベースになるよう1975年まではエンジンの最低生産台数規定が存在したが、1976年以降は純レーシングエンジンの使用が認められるようになった。
発足当時はドライバーの契約金が高額では無かったため、収入を増やす方法として複数のカテゴリを掛け持ち参戦するドライバーが多かった。ヨーロッパF2選手権では高額のスターティングマネー[1]が支払われていたことから、現役F1ドライバーが数多く参戦した[2]。ただし、F1でチャンピオン経験などの十分な実績を持ったドライバーは得点対象外の「グレーデッド・ドライバー」に指定され、F1予備軍もしくはF1キャリアの浅いドライバー達がシリーズチャンピオンを争う形式とされた。若手選手がビッグネームを破ることで名を挙げ、飛躍のきっかけとするケースが多かった。しかし、1970年代中盤よりF1グランプリの開催数が増加したことにより、F1ドライバーの参戦は減少した。
一時は40台を越える参加台数があったものの、ヨーロッパF2選手権は次第に参加台数が減少していく。1970年代初頭まではF3→F2→F1という「順当な」ステップアップが多数派だったが、次第にF3で秀でた結果を出した有望株がF2を経ずにF1へと抜擢される例も増え、参戦エントラントやエンジン供給メーカーからF2の存在意義が問われた。F3はF1の前座(サポートレース)として開催される例も多いが、F2はF1の前座としては格が高く、それでいて単独開催ではF1ほどの集客力は望めない事実もあった。
また、1980年にホンダがF2にエンジン供給を再開したが、供給の対象はごく少数のチーム(ドライバー)に限定されており、ホンダエンジン搭載車が連勝を続ける状況が生まれてしまった。1984年には、それまで長年にわたり高性能なF2用エンジンを安定供給していたBMWが同カテゴリーからの撤退を表明[3]。これらの要因が重なり、1984年限りでヨーロッパF2選手権は廃止され、翌1985年よりF3000規格の新カテゴリー、国際F3000選手権に移行した。
結果的にヨーロッパF2選手権のチャンピオン獲得者からF1ワールドチャンピオンは誕生しなかった。このジンクスは国際F3000選手権時代でも続くことになる。
ヨーロッパF2選手権の歴代チャンピオン
年 | チャンピオン | 国籍 |
---|---|---|
1967年 | ジャッキー・イクス | ![]() |
1968年 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | ![]() |
1969年 | ジョニー・セルヴォ=ギャバン | ![]() |
1970年 | クレイ・レガツォーニ | ![]() |
1971年 | ロニー・ピーターソン | ![]() |
1972年 | マイク・ヘイルウッド | ![]() |
1973年 | ジャン=ピエール・ジャリエ | ![]() |
1974年 | パトリック・デパイユ | ![]() |
1975年 | ジャック・ラフィット | ![]() |
1976年 | ジャン=ピエール・ジャブイーユ | ![]() |
1977年 | ルネ・アルヌー | ![]() |
1978年 | ブルーノ・ジャコメリ | ![]() |
1979年 | マルク・スレール | ![]() |
1980年 | ブライアン・ヘントン | ![]() |
1981年 | ジェフ・リース | ![]() |
1982年 | コラード・ファビ | ![]() |
1983年 | ジョナサン・パーマー | ![]() |
1984年 | マイク・サックウェル | ![]() |
FIA F2選手権

2008年6月25日にパリで開催された世界モータースポーツ評議会にて、若手ドライバーのF1へのステップアップを支援するカテゴリーとしてF2の名称復活が提唱され、発表された。F1直下シリーズとして現在機能しているGP2よりも大幅に安い「1台・1シーズン・20万ユーロ」で参戦可能としている[4]。
2008年9月4日、元F1ドライバーのジョナサン・パーマーが経営するモータースポーツ・ビジョン (MotorSport Vision) がFIAが公募した入札に応札したと発表し[5]、2008年9月15日、FIAはモータースポーツ・ビジョンがプロモーターとしてシャシー及びエンジンを供給する事が決定したことを発表した。シャーシはF1チームのウィリアムズの協力を得て設計され、エンジンはアウディ1.8リットル直4ターボエンジンが採用される。また、同時に年間ランキング上位3名はスーパーライセンスの発給資格を得ることが発表された[6]。さらにシリーズチャンピオンにはウィリアムズのF1マシンをテストドライブする機会も与えられる[7]。
2009年3月2日にF2用マシン、ウィリアムズ・JPH01が発表、その場でシェイクダウンされた。
一部F2単独の開催もあるが、主に同じFIAが所管する世界ツーリングカー選手権 (WTCC) のサポートレースとして開催されており、年間8~9イベント程度が行われていた。
評判
GP2よりも低コストで参戦可能なF1へのステップアップカテゴリーとして設立された本シリーズだが、GP2からは毎年数人のドライバーがF1へステップアップしているのに対し、本シリーズからF1に昇格したドライバーはジョリオン・パーマーのみである。
ヘンリー・サーティースの死亡事故や、前述のステップアップ実績も相まって、シリーズの評判は落下の一途を辿った。
2012年12月6日、エントリー数の減少などを理由に2012年シーズンをもってFIA F2選手権の終了が発表された[8]。
FIA F2選手権の歴代チャンピオン
年 | チャンピオン | 国籍 |
---|---|---|
2009年 | アンディ・ソウセック | ![]() |
2010年 | ディーン・ストーンマン | ![]() |
2011年 | ミルコ・ボルトロッティ | ![]() |
2012年 | ルチアーノ・バシェタ | ![]() |
FIA フォーミュラ2選手権(旧GP2)
2017年にジュネーブで開催された世界モータースポーツ協議会にて、GP2が「FIA フォーミュラ2選手権」に改称されることが決定した[9]。これにより、F2が再びFIAが定義するフォーミュラカーレースのうち、F1の直下に位置するカテゴリーに復活することになり、またカートからF4、F3、F2、F1を頂点としたピラミッドが形成されることになる。
マシンは初年度のみ、旧GP2で使用された「GP2/11」が継続使用されたが、2018年よりダラーラ製の新車「F2 2018」が導入された。エンジンがメカクローム製の3.4L V6シングルターボエンジンに変更されるほか、2018年からF1でも導入されるコックピット保護システム「Halo」が装着される[10]。F2 2018の使用は2023年シーズンで終了し、2024年からは同じくダラーラ製の新型シャシーに切り替わる予定である。
歴代ドライバーズ・チャンピオン
年 | チャンピオン | 国籍 |
---|---|---|
2017年 | シャルル・ルクレール | ![]() |
2018年 | ジョージ・ラッセル | ![]() |
2019年 | ニック・デ・フリース | ![]() |
2020年 | ミック・シューマッハ | ![]() |
2021年 | オスカー・ピアストリ | ![]() |
2022年 | フェリペ・ドルゴヴィッチ | ![]() |
2023年 | テオ・プルシェール | ![]() |
2024年 | ガブリエル・ボルトレト | ![]() |
歴代チームズ・チャンピオン
年 | チャンピオン | 国籍 |
---|---|---|
2017年 | ロシアン・タイム | ![]() |
2018年 | カーリン | ![]() |
2019年 | DAMS | ![]() |
2020年 | プレマ・レーシング | ![]() |
2021年 | プレマ・レーシング | ![]() |
2022年 | MPモータースポーツ | ![]() |
2023年 | ARTグランプリ | ![]() |
2024年 | インビクタ・レーシング | ![]() |
アントワーヌ・ユベール賞
アントワーヌ・ユベール賞は、2019年のスパ・フランコルシャンでのレース中に事故により亡くなり[11]、この年に2度勝利した唯一の新人だったアントワーヌ・ユベールを記念して命名された。この賞は、フォーミュラ2のルーキーシーズンで最高位のドライバーに与えられる。他のスポーツでの「ルーキー、新人、今年の新人賞」に相当する[12]。
年 | チャンピオン | 国籍 |
---|---|---|
2019年 | 周冠宇 | ![]() |
2020年 | 角田裕毅 | ![]() |
2021年 | オスカー・ピアストリ | ![]() |
2022年 | 岩佐歩夢 | ![]() |
2023年 | ビクター・マルタンス | ![]() |
日本のF2
日本においては、1973年に全日本F2000選手権としてF2規定[13]によるシリーズがスタート。1978年にF2規定が改訂され、全日本F2選手権に改称された。ヨーロッパF2選手権にもエンジンを供給していたBMWとホンダに加え、1985年よりヤマハが参戦してエンジンメーカー3社による激しい争いが繰り広げられた。1984年にはこのシリーズを舞台にした映画『F2グランプリ』(東宝作品)が製作・公開された。
1980年代半ばには、日本でも限定供給のホンダエンジン搭載車ばかりが勝つ状況になり、観客のレースに対する関心が失われていた時期があった。1986年まで日本のトップカテゴリーとして開催されてきたが、ヨーロッパの動きに合わせて1987年より全日本F3000選手権に移行した。
主な死亡事故
- マルコ・カンポス - 1995年10月31日、マニクール・サーキットにおける事故により死去。
- ヘンリー・サーティース - 2009年7月19日、ブランズ・ハッチにおける事故により死去。
- アントワーヌ・ユベール - 2019年8月31日、スパ・フランコルシャンにおける事故により死去。
脚注
- ^ 賞金とは別に、レースへのエントリーに対して支払われる「出走約束料」。人気ドライバーの参戦は観客動員を左右するため、ネームバリューのある選手ほど好待遇になる。
- ^ 1968年にはジム・クラークがF2出場中に事故死している。
- ^ BMWはホンダと異なり、代金さえ払えばどのチームにもエンジンを供給していた
- ^ GP2シリーズにフル参戦するためには、年間数億円の予算が必要と言われている。
- ^ Palmer submits F2 tender - autosport.com
- ^ FIA Formula Two Championship - FIAプレスリリース
- ^ Soucek: Williams test a dream chance - autosport.com
- ^ MSV and FIA agree not to run F2 in 2013
- ^ FIA ANNOUNCES FIA FORMULA 2 CHAMPIONSHIP
- ^ FIA F2、2018年から導入の新型マシンを初公開。V6ターボエンジン&ハロ採用 - オートスポーツ・2017年8月31日
- ^ “【訃報】F2ドライバーのアントワーヌ・ユベール、スパのクラッシュで他界”. jp.motorsport.com (2019年9月1日). 2022年12月14日閲覧。
- ^ “F2、故アントワーヌ・ユベールの名を冠した新人賞を創設。周冠宇が初代受賞者に”. jp.motorsport.com (2019年12月13日). 2022年12月14日閲覧。
- ^ ただし、エンジンの最低生産台数規定は適用されなかった。
関連項目
外部リンク
1940年代 | 1950年代 | 1960年代 | 1970年代 | 1980年代 | 1990年代 | 2000年代 | 2010年代 | 2020年代 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 0 | 1 | 2 | 3 |
F1 | IF | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
F2 | F1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
F5000 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
GP2 | F2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
F2 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
F3000 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
GP3 | F3 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジュニア | F2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
F3 | FR | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アトランティック | FM | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
FP | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
F3 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
F4 |
「F-2」の例文・使い方・用例・文例
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株式の投資基準とされる売上高伸び率とは、企業の予想売上高が最新の売上高の何パーセント増加しているかを表したものです。予想売上高が伸びればその分、株価も上昇するのが一般的とされています。売上高伸び率は、...
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FX(外国為替証拠金取引)を始めるための最低資金は、FX業者により異なります。例えば、最低取引単位が1万通貨でレバレッジが25倍のFX業者の場合、為替レートが80円のUSD/JPYの買いポジションを持...
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