ジャングル大帝
(ジャングル大帝 進めレオ! から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/04 10:12 UTC 版)
『ジャングル大帝』(ジャングルたいてい)は、手塚治虫の漫画およびそれを原作とした一連のアニメ作品。
注釈
- ^ 当時平野は藤原歌劇団所属の俳優であり、契約関係上変名を使用した。
- ^ 再放送時では「バッタの襲撃」に改題されている。
- ^ 「大暴走の季節」に近年[いつ?]の放送タイトルでは変更。
- ^ 第五十章までは本編部分を分割し前後編に再編集。
- ^ しかしジャングル大帝の放送で用いた楽曲を基にして後に交響曲のLPアルバムを日本コロムビアから出すことになり、そのLPアルバムに同伴される楽曲の粗筋を絵本スタイルで描いた冊子の原稿を手塚治虫は自ら描き、それを受け取りに尋ねて来た冨田勲に渡している。放送前からスポンサーとテレビ局は冨田の高度な音楽に難色を示していたといわれる。[要出典]オンエア時には、オープニングのすぐ後のスポンサーのCM枠時間の一部を割いて三木鶏郎作曲のより平易な楽曲を付けた。この曲は、続編の「ジャングル大帝進めレオ!」では、冨田が編曲したものが番組のオープニングテーマに使われた。
出典
- ^ 手塚治虫『ぼくはマンガ家』大和書房、1979年、pp111-112.
- ^ 清水勲『漫画少年と赤本マンガ 戦後マンガの誕生』ゾーオン社、1989年、pp105-106.
- ^ 竹内 2021, pp. 42–54.
- ^ 手塚治虫『手塚治虫 ぼくのマンガ道』新日本出版社、2008年、pp.18-19。初出は手塚治虫『手塚漫画の主人公たち』 第4話「ジャングル大帝」(『赤旗』1974年1月12日付)
- ^ 手塚治虫『手塚治虫漫画全集399 手塚治虫のマンガの描き方』講談社、1997年、p228
- ^ 石上三登志「手塚少年と幻の戦前映画」『誕生!手塚治虫』霜月たかなか編、朝日ソノラマ、1998年。
- ^ 桜井哲夫『手塚治虫 時代と切り結ぶ表現者』講談社現代新書、1990年、p83。
- ^ 清水勲『「漫画少年」と赤本マンガ 戦後マンガの誕生』ゾーオン社、1989年、pp76-78.
- ^ 米沢嘉博『戦後野球マンガ史 手塚治虫のいない風景』平凡社新書、2002年、pp17-18
- ^ STVラジオ『島本和彦のマンガチックにいこう!』2001年12月22日放送 第12回ジャングル大帝
- ^ 夏目房之介『マンガの力 成熟する戦後マンガ』晶文社、1999年、p.174
- ^ 二階堂黎人『僕らが愛した手塚治虫2』小学館、2008年、p.297
- ^ 呉智英、藤田尚、米沢嘉博、村上知彦、喰始「座談会『手塚治虫』検証 戦後民主主義とヒューマニズムの人だったか」『COMIC BOX』1989年5月号、pp.77-78
- ^ 呉智英「手塚治虫の意味」『手塚治虫がいなくなった日』手塚プロダクション、村上知彦編、潮出版社、1995年、p.234
- ^ 手塚治虫「「ジャングル大帝」について」『手塚治虫漫画全集』387、講談社、1997年、p.26
- ^ 手塚治虫「失われたロマンを求めて」『手塚治虫漫画全集』400、講談社、1997年、p.38
- ^ 竹内 2021, pp. 268–269.
- ^ サラウンド寺子屋塾 5.1 Surround Terakoya Lab
- ^ 『手塚治虫漫画全集 ジャングル大帝(3)』講談社、1977年。あとがきより
- ^ 夏目房之介、竹内オサム編著『マンガ学入門』ミネルヴァ書房、2009年、p.204
- ^ 漫画少年版『ジャングル大帝』豪華限定版発売!! Tezuka Osamu official内 2009年12月18日
- ^ 手塚治虫『漫画少年版 ジャングル大帝 普及版1』小学館クリエイティブ、2010年、pp142.
- ^ リスト製作委員会編『アニメージュ アニメポケットデータ2000』徳間書店、2000年、p58.
- ^ 山口康男『日本のアニメ全史 世界を制した日本アニメの奇跡』テン・ブックス、2004年、p87。
- ^ 津堅信之『日本アニメーションの力 85年の歴史を貫く2つの軸』NTT出版、2004年、p138.
- ^ 山本 1989, p. 185.
- ^ 米沢嘉博「ジャングル大帝 あらゆる様相を閉じ込めた大河ロマン」『手塚治虫マンガ論』河出書房新社、2007年、p110。
- ^ 山本 1989, p. 156.
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P56
- ^ 山本 1989, p. 170.
- ^ 富野由悠季『増補改訂版 だから僕は…』徳間書店アニメージュ文庫、1983年、pp.131-132
- ^ 山本 1989, p. 198.
- ^ 山本 1989, pp. 156, 211.
- ^ 山本 1989, p. 173.
- ^ 秋山邦晴「日本映画音楽史を形作る人々50 アニメーション映画の系譜11 手塚治虫と虫プロの足跡」『キネマ旬報』1976年11月下旬号(『手塚治虫劇場 手塚アニメーションフィルモグラフィー』手塚プロダクション、1991年第2版、p.29)
- ^ 山口康男『日本のアニメ全史―世界を制した日本アニメの奇跡』(テンブックス、2004年、ISBN 4886960111)88頁。
- ^ 衛藤 邦夫(コロムビアME 担当ディレクター). “LPファクトリー / コラム 第16回:1965年の弘田三枝子を検証する”. コロムビア LPファクトリー. 日本コロムビア. 2008年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月29日閲覧。
- ^ 山本 1989, p. 207.
- ^ 実際には、前編後編の2話で完結のエピソードも2組(11話と12話、34話と35話)制作されている。
- ^ フレッド・ラッド、ハーヴィー・デネロフ著、久美薫訳『アニメが「ANIME」になるまで 鉄腕アトム、アメリカを行く』NTT出版、2010年、p.70
- ^ 山本 1989, p. 153.
- ^ 草薙聡志『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』徳間書店、2003年、pp.68-69
- ^ 『キネ旬ムック 富野由悠季 全仕事』、1999年6月9日発行、株式会社キネマ旬報社、P56
- ^ a b 『河北新報』1965年10月6日 - 1967年3月29日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b c 『福島民報』1965年10月6日 - 1967年3月29日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b 『北日本新聞』 1966年11月2日付朝刊テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1965年10月13日 - 1967年3月29日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『福島民報』1965年10月5日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『北國新聞』1965年10月6日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『徳島新聞』1965年12月29日、7ページ、テレビ欄。
- ^ 『北海道新聞(マイクロフィルム版)』1965年(昭和40年)10月 - 1966年(昭和41年)3月 テレビ欄
- ^ 『北海道新聞(マイクロフィルム版)』1966年(昭和41年)4 - 9月 テレビ欄
- ^ 『河北新報』1965年10月15日 - 1967年3月29日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 山本 1989, p. 206.
- ^ 『マーチャンダイジングライツレポート』1989年8月号
- ^ 『アニメディア 1990年10月号』 1990年、学研パブリッシング、テレビ局ネットワーク(91 - 93頁)。
- ^ 1989年10月22日、1990年10月14日 信濃毎日新聞 テレビ欄
- ^ 富山新聞 1990年5月25日付および1991年6月21日付各テレビ欄より
- ^ 水木悦子、赤塚りえ子、手塚るみ子『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』文藝春秋、2010年、p.200
- ^ 大高宏雄『日本映画への戦略』、希林館、2000年、p155.
- ^ 吉岡たかを「ジャングル大帝とライオン・キングの関係」『オタクになれないアニメ好きの本』キルタイムコミュニケーション、1997年。
- ^ 「1997年邦画作品配給収入」『キネマ旬報』1998年(平成10年)2月下旬号、キネマ旬報社、1998年、168頁。
- ^ a b “「フジテレビ開局50周年」「手塚治虫生誕80周年」記念アニメ『ジャングル大帝』2009年夏放送決定!”. フジテレビ (2009年1月27日). 2009年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月11日閲覧。
- ^ “手塚治虫原作アニメ『ジャングル大帝』、韓国初の劇場公開決定”. 財経新聞 (財経新聞社). (2012年2月8日) 2013年8月11日閲覧。
- ^ “鈴木おさむ氏オリジナル!ジャングル大帝20年ぶり復活”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2009年1月27日). オリジナルの2009年1月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “松嶋菜々子、子供気に入る…「ジャングル大帝」試写会”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2009年8月28日). オリジナルの2009年8月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “時任&松嶋:ジャングル大帝で声優デビュー(まんたんウェブ)”. 毎日jp (毎日新聞社). (2009年8月28日). オリジナルの2009年9月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “岡田ジャパン、サポーターも見放した?オランダ戦視聴率↓”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2009年9月7日). オリジナルの2009年9月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “ジャングル大帝”. フジテレビ (2009年6月23日). 2011年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月5日閲覧。
- ^ サイエンスアート社プラネタリウム番組ライブラリー ジャングル大帝レオ ~空を染める謎の星~ [サイエンスアート社公式サイト]内
- ^ 『京都新聞』 2003年5月8日記事[リンク切れ]
- ^ “夏休みはエンゲキ!舞台「ジャングル大帝」”. 荒川区芸術文化振興財団. 2023年10月19日閲覧。
- ^ “「ジャングル大帝」舞台化、小中高生がダンスや楽器演奏で魅せる”. ステージナタリー (2016年7月2日). 2023年10月19日閲覧。
- ^ a b “公演詳細|Stage Gate(ステージゲート)”. シーエイティプロデュース. 2023年10月19日閲覧。
- ^ “スタイリッシュジャングルへカモン!リーディング音楽劇「ジャングル大帝」開幕”. ステージナタリー (2023年6月5日). 2023年10月19日閲覧。
- ^ “わらび劇場開場50年記念作品 ミュージカル『ジャングル大帝レオ』2024年4月上演決定!”. あきた芸術村 (2024年1月1日). 2024年3月2日閲覧。
- ^ “2024年度 わらび座役者配属発表”. あきた芸術村 (2024年1月1日). 2024年3月2日閲覧。
- ^ “【W主演発表】「ジャングル大帝レオ」取材会を行いました[3/1チケットオンセール]”. あきた芸術村 (2024年2月26日). 2024年3月2日閲覧。
- ^ 司田 2004, p. [要ページ番号].
- ^ ショット 1998, p. 233.
- ^ 日経BP社技術研究部編「第二章 ビジネスの環境が変わる 三.限定的な海外市場への展開 ●米国ではマニアのためにANIME」『アニメ・ビジネスが変わる―アニメとキャラクター・ビジネスの真実』日経BP社、1999年6月17日、ISBN 4-8222-2550-X、71頁。
- ^ 手塚 2003, pp. 203–206.
- ^ 有馬哲夫『ディズニーとは何か』NTT出版、2001年、pp239-256.
- ^ ローランド・ケルツ『ジャパメリカ 日本発ポップカルチャー革命』ランダムハウス講談社、2007年、pp69-70.
- ^ 岡島正晃、あさのまさひこ、中島紳介『ボトムズ・アライヴ』太田出版、2000年、p237。
- ^ 渡辺繁「『ジャングル大帝』が『ライオン・キング』成功の鍵」『アニメへの変容 原作とアニメの微妙な関係』竹内オサム、小山昌幸編著、現代書館、2006年
- ^ 「『ライオン・キング』の独自性 漫画家ら疑問呈す 映画配給会社にメッセージ送付」『朝日新聞』1994年8月20日付夕刊
- ^ 「里中満智子さんら488人、ディズニー側へ抗議文」『読売新聞』1994年8月21日付
- ^ 一億人の手塚治虫編集委員会『一億人の手塚治虫』JICC出版局、1989年、p379.
- ^ Earth Dreaming~ガラスの地球を救え~ ABCラジオ 2003年2月15日
- ^ (4ページ目)「手塚先生が僕の描いた“吹雪”を気に入ってくれた。いまだに嬉しくてしょうがないんですよ」 藤子不二雄(A)が語る“兄弟のような”トキワ荘の漫画家たち | 文春オンライン
- ^ 藤子不二雄Aさん、手塚治虫さんとの“秘話”を紹介(2021年4月6日) - YouTube
- ^ 幻のソフト研究所(「たった一人のファミコン少年」内)[リンク切れ]
- ^ 手塚 2003, p. 191.
- ^ “MOTHER3 待っていてくださった皆さまへ”. ほぼ日. 2021年4月26日閲覧。
ジャングル大帝 進めレオ! (1966年のテレビアニメ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:05 UTC 版)
「ジャングル大帝」の記事における「ジャングル大帝 進めレオ! (1966年のテレビアニメ)」の解説
第1作と同じくフジテレビ系列で1966年(昭和41年)10月5日から1967年(昭和42年)3月29日まで放送。『ジャングル大帝』の視聴率は20%以上を獲得し、内容的にも各賞を受賞する好評を受け、子供時代編を描いた前作の続編として主人公レオが大人となり、家族を持った原作の後半部分をアニメ化。物語もスポンサーと対象年齢の兼ね合いから、レオもライヤも死んでしまう原作および劇場版とは違い、死なないで子どもたちと一緒になって走り去っていくハッピーエンドに変更された。第14話は1967年第6回日本テレフィルム技術賞を受賞している。しかし、レオが大人になった後のみを描いていた事と、ストーリーの大幅な改変が災いして視聴率は低迷し、15%を割ったことから半年で打ち切りになった。アメリカでもNBCが購入することはなく、1984年になって宗教チャンネルの Christian Broadcasting Network が『Leo the Lion』のタイトルで放送した。本作の後に作られたテレビシリーズの作品との混同を避けるためか、最近では原題の作品タイトルから「新」の字を除いて表記されることが多い。
※この「ジャングル大帝 進めレオ! (1966年のテレビアニメ)」の解説は、「ジャングル大帝」の解説の一部です。
「ジャングル大帝 進めレオ! (1966年のテレビアニメ)」を含む「ジャングル大帝」の記事については、「ジャングル大帝」の概要を参照ください。
- ジャングル大帝 進めレオ!のページへのリンク