ひょうげん‐の‐じゆう〔ヘウゲン‐ジイウ〕【表現の自由】
表現の自由
【英】 freedom of expression
個人が自らの意思,思想,主張を外に向かって表すことの自由。精神的自由権のひとつ。世界人憲宣言19条は,表現の自由が意思等の送り手だけでなくそれらの受け手の自由をも意味するとしている。日本国憲法は,この自由を保障する(憲21条1項)とともに,表現が受け手に達する前に国家権力によって抑えられることを禁ずる趣旨で,検閲の禁止ないし事前抑制の禁止を定めている(憲21条2項)。憲法は,集会,結社,言論,出版を表現の形態として掲げるが,このほかにも映画,テレビ,ラジオ,演劇,舞踏,音楽,絵画,彫刻,写真等の様々なものがこれに含まれる。表現の自由を保障する根拠は,自由な表現によって真理が得られること,個人の人格形成,自己実現にとって不可欠であり,人間の尊厳を支えるものであること,民主主義社会において国民が自己の政治的判断能力を高め,政治過程に参加し,国政に批判を加えるという民主制を支える意義を持つことなどに求められる。こうした点から,表現の自由は人権のうちでも特に高い価値を有しているため,逆に,例えば個人の法益を侵害するような表現や,反倫理的な表現に対してどのような制約の基準を設けることができるかが問題とされている。
なお,ネット上で他人を罵るなど品位を欠く発言等をなすごとき行為は,単に「尊大」なだけであって,これが人間の「尊厳」を支える表現の自由(言論の自由)として保障されることなどあろうはずもない。
関連項目
(注:この情報は2007年11月現在のものです)
表現の自由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 07:51 UTC 版)
表現の自由(ひょうげんのじゆう、英: Freedom of expression[1])とは、司法判断も無しに検閲・自主規制・妨害されたりすることもなく表現出来る権利[2][3][4][5][6]。憲法で保証された範囲内で、外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表したりする自由[7][6]。個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の(組織による)自由などを含む[7]。
- 1 表現の自由とは
- 2 表現の自由の概要
表現の自由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:35 UTC 版)
「ポートランド (オレゴン州)」の記事における「表現の自由」の解説
オレゴン州憲法では表現の自由が固く守られており、この性質はオレゴン州最高裁判所の1987年ヘンリー対オレゴン州憲法裁判において、ストリップクラブにおけるフルヌードやラップダンスが表現の自由として認められた判決によっても確認されている。また、この判例によってポートランドにおける1人あたりストリップクラブの店舗数の多さは、ラスベガスやサンフランシスコを凌ぐと広く言われている。 また、州は2008年に全裸で自転車に乗った人に対する告発を斥ける決定を下し、ポートランドで毎年行われるワールド・ネイキッド・バイク・ライド(市内で全裸になって自転車に乗るイベント)を「もはやポートランドの伝統である」と述べた。2009年もネイキッド・バイク・ライドは開催され、大きな事件もなく無事閉幕した。市警察は道路交差点の管理を行い、その年の参加者は3000人〜5000人と推定されている。 さらに同年、州最高裁判所は公の場で暴力沙汰に発展しかねない表現により他人を侮辱することを禁止する法律を、満場一致で「表現の自由の侵害であり、非常に広義的で曖昧な法律だ」として同法を無効にする判決を下した。
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表現の自由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:05 UTC 版)
情報倫理と表現の自由は一体となって問題となる場合が多い。そこで表現の自由に制限があるものと、制限のない意見をあげてみた。・規制のあるもの「表現の自由は人間の基本的権利であり、新聞は報道・論評の完全な自由を有する。それだけに行使にあたっては重い責任を自覚し、公共の利益を害することのないよう、十分に配慮しなければならない。」と経済新聞社はしている。産経新聞社のこの倫理観は、日本新聞協会で2000(平成12)年6月21日制定された新聞倫理綱領をもとに作られている。・制限なし(他者からの制限という意味)青少年ネット規制法と表現の自由で書かれている「表現の自由は、言論活動による他者とのコミュニケーションを通じて自己の人格の再生産を可能にするという個人主義的な価値(自己実現の価値)、個人が言論活動を通じて民主的な政治過程に参加するという民主主義的な価値(自己統治の価値)、真理の最上のテストは言論市場に委ねるべきとする思想の自由市場論に支えられて、人権カタログの中でも強度の保護を受ける優越的人権であると言われている。そして、優越的人権である表現の自由に対して、曖昧不明確な法律によって法的規制を加えると、国民の側が「自己検閲」(self-censorship)をかけて適法な表現行為を控えるという「萎縮的効果」(chilling effect)が生じるので、法文上不明確な法律は原則として無効である(明確性の原則)」と書かれていて、表現の自由をこのように定義しているものもある。
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表現の自由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 17:39 UTC 版)
しかし、ロマンポルノには映画創作上のメリットもあった。予算も限られ、短納期の量産体制という厳しい環境ではあったが、後にある映画監督が「日活ロマンポルノでは、裸さえ出てくれば、どんなストーリーや演出でも、何も言われず自由に制作できた」と語った様に、「10分に1回の性行為シーンを作る」「上映時間は70分程度」「モザイク・ボカシは入らない様に対処する」など、所定のフォーマットだけ確実に押さえておけば、後は表現の自由を尊重した、自由度の高い映画作品作りを任された。 キャリアの浅い監督や脚本・演出の担当者にとっては、自身の作家性を遺憾なく発揮できる稀少な場であり、結果論ではあるが、日活にとっても斜陽期の日本映画界の中にあって、崩壊してゆくスタジオシステムを維持し続け、映画会社として、若手映画クリエイターの実践的な育成を手がけるための重要な場となった。
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表現の自由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:47 UTC 版)
ソフトパワーを盛り上げるために、漫画・アニメの表現の自由を守ることを主張している。
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「表現の自由」の例文・使い方・用例・文例
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