明治時代から第二次世界大戦までとは? わかりやすく解説

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明治時代から第二次世界大戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:54 UTC 版)

横浜市の歴史」の記事における「明治時代から第二次世界大戦まで」の解説

1868年慶応4年/明治元年3月新政府神奈川奉行所接収し横浜裁判所(現在の裁判所とは異な行政機関)とする。横浜裁判総督外国事務総督東久世通禧副総督鍋島直正4月横浜裁判所を神奈川裁判所改称し神奈川運上所横浜裁判所、戸部役所戸部裁判所とする。6月神奈川裁判所神奈川府に改称する9月神奈川府を神奈川県改称する1868年慶応4年/明治元年新政府接収した際、横浜日本人町横浜町会所置かれる1868年明治元年横浜伊勢佐木町の「太田なわのれん」にて牛鍋スキヤキ)が出される1869年明治2年版籍奉還により、米倉領6ヶ六浦藩となる。藩知事旧藩主・米倉昌言1869年明治2年吉田橋鉄橋架設される。馬車道町田日本初アイスクリーム製造販売丸屋善七早矢仕有的)が丸屋商社現在の丸善)を開業東京築地)- 横浜間で電信テスト実施電信のはじめ)。 1870年明治3年横浜郊外北方村天沼(現・中区千代崎町)にてドイツ人技師コープランドビール醸造開始。(キリンホールディングス嚆矢1870年明治3年日本初日刊邦字新聞。『横浜毎日新聞創刊現在の毎日新聞』とは無関係)。外国人居留地日本人設計下水道設置下水管材質は瓦と同じ陶製管。 1870年明治3年高島嘉右衛門により、鉄道敷設のため神奈川横浜海面現・高島)の埋立事業開始1871年明治4年7月 廃藩置県により、横浜市域は神奈川県六浦県分かれる9月六浦県神奈川県合併する1871年明治4年伊勢山皇大神宮竣工する日清修好条規締結により中国との貿易盛んになり、さまざまな職業華人外国人居留地一角集中して居住するようになり、中華街南京町シナ町)が形成しはじめる。 1872年 新橋現在の汐留) - 横浜現在の桜木町駅)間に鉄道開通本町通り大江橋間にガス灯設置。(日本最初一般ガス事業1873年明治6年5月1日神奈川県全県20区分け区内幾つかの番組設置横浜町は第1区1番組編入される。「相生町大火発生し横浜市街地の3分の1焼失1874年明治7年6月14日大区小区制に基づき、区・番組大区小区改編旧来の横浜町は第1大区1小区となる。 1875年明治8年英仏軍隊が、山手居留地から撤退する1876年明治9年横浜公園竣工するサミュエル商会(現ロイヤルダッチシェル前身一つ創業1878年明治11年11月21日郡区町村編制法に基づき、第1大区区域をもって横浜区発足久良岐郡から分離する1878年明治11年横浜電話敷設される1880年明治13年横浜正金銀行開業1881年明治14年外国人居留地下水道設置され始める。 1882年明治15年横浜商法学校(後の横浜市立横浜商業高等学校Y校)が開校する1887年明治20年日本最初近代水道鉄管)が常時給水開始する1887年明治20年8月15日 横浜区役所本町一丁目4番地へ移転する1889年明治22年4月1日 市制施行により横浜市となる。初代市長増田知横浜港修築第1期工事始まり横浜船渠建設港内浚渫おこな われた1890年明治23年東京-横浜間電話交換開始1894年明治27年横浜港桟橋現在の大さん橋)が完成する1894年明治27年横浜蚕糸外四品取引所(後の横浜商品取引所2006年東京穀物商品取引所合併)が設立される1899年明治32年条約改正実施により、外国人居留地廃止される1899年明治32年蓬莱町中区)の秋元己之助が本格的な清涼飲料金線サイダー」を発売1901年明治34年第1次市域拡張1904年明治37年横浜電気鉄道市電前身)、神奈川 - 大江橋開業横浜正金銀行本店現在の神奈川県立歴史博物館竣工1905年明治38年京浜電気鉄道京浜急行電鉄前身)の神奈川 - 品川間が開通1908年明治41年横浜鉄道横浜線前身)の東神奈川 - 八王子間が開通1909年明治42年開港50年記念して横浜市章(ハマ)、横浜市歌作詞森鷗外)が制定される本牧に旧中澤竣工現存する横浜洋館で最も古い。移築され、現・山手資料館)。 1911年明治44年第2次市域拡張1911年明治44年横浜赤レンガ倉庫竣工2号館1号館1913年竣工)。日本最初全鉄コンクリート建築である三井物産ビル中区)が竣工1912年大正元年浅野総一郎等が鶴見埋立組合設立し翌年から鶴見川河口域埋め立て始める。 1913年大正2年蒔田地区現在の南区共進町周辺)にて、博覧会横浜勧業共進会開催1915年大正4年2代目横浜駅西区高島一丁目付近)が開業する1917年大正6年開港記念横浜会館現在の横浜市開港記念会館)が竣工横浜港第2期工事完了したことで船舶主な接岸場所は象の鼻波止場から桟橋埠頭へと移動し、これにより横浜港船舶停泊地150坪の巨大港へと成長した1923年大正12年9月1日 関東大震災が起こる。横浜市被害家屋は約94000戸にのぼり、罹災人口およそ33000人(死者行方不明者2万3000人以上)。震災乗じていわゆる乞食谷戸呼ばれた地域などで朝鮮人虐殺が行われる。9月3日から11月19日まで、神奈川県戒厳令施行される復興事業により、瓦礫埋め立て用いて山下公園中区)、野毛山公園西区)、神奈川公園神奈川区)が作られるまた、横浜生糸検査所1926年、現・横浜第二合同庁舎)、ホテルニューグランド1927年)、神奈川県庁舎1928年)、横浜税関1934年)などの横浜代表する建築現れる1925年大正14年いわゆる電力争覇に伴い鶴見騒擾事件が起こる。このころから、埋立地鉄道網電力供給整い京浜工業地帯形成される1927年昭和2年4月第3次市域拡張10月1日区制施行鶴見神奈川中・保土ケ谷磯子5区発足1928年昭和3年3代目横浜駅現在の横浜駅)が開業する1935年昭和10年横浜博覧会開催1936年昭和11年第4次市域拡張 1937年昭和12年第5次市域拡張 1939年昭和14年第6次市域拡張に伴い戸塚港北2区新設1942年昭和17年2月1日 味噌醤油配給制度が始まる(川崎市横須賀市藤沢市平塚市鎌倉市小田原市同日から開始)。同時に衣料品にも点数切符制が導入された。 4月18日初めての空襲以後終戦までに30数回空襲みまわれる10月1日東京大阪名古屋神戸次いで人口100万突破1943年昭和18年中区分割して南区新設1944年昭和19年中区分割して西区新設1944年昭和19年7月 学童集団疎開が始まる。 1945年昭和20年5月29日横浜大空襲

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明治時代から第二次世界大戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 02:23 UTC 版)

大友皇子即位説」の記事における「明治時代から第二次世界大戦まで」の解説

明治時代初め1870年明治3年7月23日に、政府大友帝、廃帝九条廃帝それぞれ弘文天皇淳仁天皇仲恭天皇追諡した。三人とも、天皇に対して諡を奉るという形式をとっており、諡をつけることで天皇列したのではない。淳仁仲恭天皇であったことは明白で、単に諡号がなかっただけであったから問題にはならなかったが、「大友帝」の存在学説拠るのだった政府内外から反対意見提出されたが、政府はその説を少数とみて採らなかった。 1904年明治37年)に喜田貞吉論文女帝皇位継承に関する先例論じて大日本史大友天皇本紀に及ぶ」を出して壬申年に女帝があった可能性示唆した喜田はこの論文『日本書紀』改刪説を批判して不必要な天武天皇2年太歳削り忘れ必要な太歳壬申誤って削るという二重の不手際ありえない論じた論争経て喜田倭姫王即位説にまで論を進め学界で倭姫王即位または称制説が優勢になった。しかし、1911年明治44年)に喜田南北朝正閏問題で職を失うと、同種の性格を持つこの論争冷水浴びせられた。喜田その後自論発展させて1922年大正11年)の論文「後淡海御宇天皇論」で区切りをつけた。これに対して1932年昭和7年)に黒板勝美が、大筋認めるが即位証拠はないとして称制推定した

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明治時代から第二次世界大戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:41 UTC 版)

大津市」の記事における「明治時代から第二次世界大戦まで」の解説

1868年明治元年) - 大津県置かれる1869年明治2年) - 大津海津間に汽船航路開通する1870年明治3年) - 膳所城取り壊し翌年膳所藩膳所県になる。 1872年明治5年) - 滋賀県成立して大津県庁所在地になる。 1880年明治13年) - 逢坂山トンネル開通京都鉄道が繋がる。 1889年明治22年7月1日 - 東海道本線開通大津長浜間の連絡汽船代わる輸送経路となる。 1890年明治23年) - 琵琶湖疏水完成琵琶湖沿岸から京都への水道通じる。 1891年明治24年5月11日 - 大津事件発生司法の独立維持し三権分立意識広めた近代日本法学史上重要な事件とされる1905年明治38年) - 南郷洗堰現在の瀬田川洗堰)が完成する1912年大正元年) - 京津電車が、三条辻間開通する1940年昭和15年) - 皇紀2600年記念して近江神宮創祀される。 1945年昭和20年) - 大津空襲発生する

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