丸屋商社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 06:23 UTC 版)
丸屋商社は元金社中(出資者)と働社中(従業員)の両者によって構成される近代的会社組織であった。福沢諭吉は早矢仕とともに店の名前を考え、世界を相手に商売する意味で「球屋」と書いて「たまや」と読ませたが、「まりや」と呼ばれることが多く、「丸屋」と改めた。また、福沢は当初から元金社中として多額の出資を行い、周囲にも出資を勧め、有望な人物を丸屋に紹介するなど深く関わった。明治5年(1872年)10月、後に横浜正金銀行頭取となる中村道太が入社し、共同経営者として西洋簿記法を導入することで合理的な経営をめざした。
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