三井物産ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/22 22:04 UTC 版)
三井物産ビル | |
---|---|
2012年3月撮影。手前の円筒形の塔は地域熱供給の排気塔
|
|
施設情報 | |
所在地 | 東京都千代田区大手町一丁目2番1号 |
座標 | 北緯35度41分16.1秒 東経139度45分44.1秒 / 北緯35.687806度 東経139.762250度座標: 北緯35度41分16.1秒 東経139度45分44.1秒 / 北緯35.687806度 東経139.762250度 |
状態 | 解体済 |
竣工 | 1976年10月25日 |
解体 | 2015年 |
用途 | オフィス |
地上高 | |
最頂部 | 100m |
各種諸元 | |
階数 | 地下4階、地上24階[1] |
敷地面積 | 12,714 m² [1] |
建築面積 | 5,663 m² [1] |
延床面積 | 124,577 m² [1] |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造(地下) 鉄骨造(地上)[1] |
エレベーター数 | 31基[1] |
関連企業 | |
設計 | 日建設計[1] |
構造エンジニア | 武藤構造力学研究所[1] |
施工 | 鹿島建設、三井建設、大成建設、竹中工務店[1] |
デベロッパー | 三井物産、物産不動産[1] |
所有者 | 三井物産 |
三井物産ビル(みついぶっさんビル)は東京都千代田区大手町に所在した高層ビルである。三井物産が本社機能を置いていた。
建築
三井物産創業100周年事業として建設され、日本で初めての自社専用ビルとして、1976年(昭和51年)10月に竣工した[1]。1978年(昭和53年)BCS賞を受賞[1]。
本館と東に隣接する別館からなり、両館をつなぐ渡り廊下の下が車寄せとなっている。建物は南北に長く、本館は皇居側からは高さ・幅とも100メートルの正方形の外観を持つ。12・13階は低層用と高層用のエレベーターの乗換階で、会議室や印刷室はこの階に集められている。他に、役員室のある23・24階直通のエレベーターもある[2]。
敷地西側は内堀通りに沿った「プラザ」と呼ばれる三角形の公開空地になっており、クスノキやモッコク、ヤマモモなどが植栽されている[2]。人工池「プラザ池」では1983年(昭和58年)5月に初めてカルガモが誕生し、内堀通りを渡って皇居の堀に引越するカルガモ親子の姿が毎年のように風物詩として親しまれた。ビルの管理業務を請け負う物産プロパティマネジメントでは女性社員が「カルガモレディー」として観察を続けてきたが、再開発のため2013年(平成25年)に池は閉鎖された[3]。また、地下には丸の内熱供給の地域熱供給プラントがあり、プラザ内に排気塔が設置された[4]。
建替え
本ビル、東側に隣接し三井不動産が保有する大手町一丁目三井ビルディング[5]、三井物産と三井不動産が所有する大手町パルビル、を3棟一体で再開発すると発表され[6]、建て替え後は三井物産ビル跡地に地下5階、地上30階、高さ155メートルのA棟、大手町一丁目三井ビルと大手町パルビルの跡地に地下5階、地上41階建、高さ200メートル、上層部にホテル入居予定のB棟が建ち[7]、同時に防災備蓄倉庫や2400人分の帰宅困難者一時滞在施設の整備と地域熱供給施設の更新も計画している[8]。このため、三井物産は本店を日本生命丸の内ガーデンタワー[9]とJAビルへ2014年(平成26年)11月25日に移転し、本ビルは翌年1月5日から鹿島建設によって解体が着手された。
2019年(令和元年)10月17日、三井物産と三井不動産は再開発街区の名称を『Otemachi One』、新本社ビルの名称を『三井物産ビル』とすると発表[10]。2020年(令和2年)5月7日から完成した新社屋で三井物産は業務を開始した[11]。2022年(令和4年)末には、今回のプロジェクトにおける前庭であるOtemachi One Gardenも完成し[12]、カルガモが棲息できる水辺空間が再び設けられる予定である[3]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l “三井物産ビル”. 日本建設業連合会. 2021年5月19日閲覧。
- ^ a b 『ビル紳士録』44-45頁
- ^ a b “都心でカルガモまた会える”. 東京新聞. (2015年1月12日). オリジナルの2015-0-18時点におけるアーカイブ。 2015年1月18日閲覧。
- ^ 「NIKKEN×OFFICE」展(日建設計)
- ^ 旧称は三井生命大手町ビルである。“【売買】三井生命大手町ビルを1175億円で取得、三井不動産が将来の建て替えを視野に”. ケンプラッツ. (2008年1月16日) 2015年1月18日閲覧。
- ^ 『「大手町一丁目2番街区」一体開発事業に係る基本合意、及び三井物産本社社屋建替え』(プレスリリース)三井物産、2013年8月8日 。2015年1月18日閲覧。
- ^ “三井物産、三井不/東京・大手町の3棟建替/超高層2棟に、15年度から解体”. 日刊建設工業新聞. (2014年7月23日) 2015年1月18日閲覧。
- ^ 『(仮称)大手町一丁目2地区計画」整備方針決定』(プレスリリース)三井物産、2014年12月11日 。2015年1月18日閲覧。
- ^ 本店登記所在地である。
- ^ 『大手町における大規模複合開発の街区名称を「Otemachi One」に決定』(プレスリリース)三井物産、三井不動産、2019年10月17日 。2019年10月19日閲覧。
- ^ 『本社移転に関するお知らせ』(プレスリリース)三井物産、2020年3月2日 。2021年5月19日閲覧。
- ^ 近代建築 2020, p. 85.
参考文献
- 森喜則、今吉賢一『ビル紳士録』毎日新聞社、1992年。ISBN 4-620-30885-4。
- 『近代建築』近代建築社、2020年10月。
三井物産ビル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 23:52 UTC 版)
「Otemachi One」の記事における「三井物産ビル」の解説
ほぼ三井物産の本社機能が入るが、内部に柱型が出ない10.8mという大スパンのアウトフレーム、眺望を活かす横連窓、西日対策のための透明感あるロールスクリーンなど、当時の最先端オフィスとして知られた旧本社ビルの設計思想が継承されている。 新社屋のオープンを機に、かつて見られた社外の人がふらっと立ち寄れる職場環境を取り戻せないか。という中堅社員の発想をもとに、20フロアを使い、このうち8フロアに社外の人を招く場が設けられた。広さは8フロア全体の約3割。ソファが並び意見交換ができる場や、案件ごとに中小規模の議論をする場、アートが配置されたデジタルビジネスを推進する場などがあり、取引先や投資先の人は、三井物産社員が同伴すれば利用できる。このスペースを確保するため、社員の席数(約3000席)は旧本社より3割減らされた。
※この「三井物産ビル」の解説は、「Otemachi One」の解説の一部です。
「三井物産ビル」を含む「Otemachi One」の記事については、「Otemachi One」の概要を参照ください。
- 三井物産ビルのページへのリンク