明治時代から現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 16:59 UTC 版)
明治時代に人身売買禁止法が制定された後も、貧困家庭では女衒により女子の人身売買が続行され、娼婦として売り飛ばされていった(からゆきさん参照)。 大正15年(1926年)に日本は国際連盟の「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」を批准しているが、大正、昭和戦前期の日本では内地(本土)の女性以外にも、日本領だった朝鮮や台湾出身の女性を、女衒の仲介を経て慰安婦にしたり、遊廓に売ったりした。 1950年、18歳未満の未成年者を前借金で拘束、事実上の人身売買を行い検挙された仲介者は377人(男性256人、女性121人)。仲介者の全てが女衒と言えるものではないが、未成年者の送り先の55%は売春婦として計上されている。 このような行為は高度成長期初頭まで続くが、昭和34年(1959年)に政府が売春防止法を施行して公娼制度を廃止すると、それと同時に女衒も自然消滅したが、現代でも特定のイベントや映像・写真撮影会等で女性が必要な時、風営法による飲食店・ホテル・テーマパーク、パーティー業者が行う派遣要員による酒席における接待行為等は、一部で芸能事務所(プロダクション)からその人材の斡旋を受けていることがある。 これらは必ずしも違法性を伴うものではないが、現代の女衒と揶揄されることがある。 現在[いつ?]では、上記のような接待行為に係わる人材派遣(特に外国人による接待行為)の仲介業に対して「ヒューマントラフィッキング(英:human tra)」という言葉が使われている。
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