明治時代から戦前期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 17:39 UTC 版)
明治2年5月18日(グレゴリオ暦1869年6月27日)に五稜郭の開城で箱館戦争(戊辰戦争)が終結すると、同年8月15日(1869年9月20日)には北海道にも大宝律令にならった国郡里制が施行、渡島国茅部郡・亀田郡を含む11国86郡が置かれ、戸井村はこの際に置かれた茅部郡の所属となった。1879年(明治12年)には郡区町村編制法が施行され、茅部郡・亀田郡ともにこんにちまで続く行政区画として新たに茅部郡・亀田郡となった。この年、西部の小安村と東部の戸井村の間に「戸井村外一村戸長役場」が置かれている。1881年(明治14年)、戸井村・小安村の所属は茅部郡から亀田郡に変更された。 1902年(明治35年)4月1日、二級町村制の施行により亀田郡戸井村・小安村が合併、改めて戸井村となる。さらに1919年(大正8年)4月1日には一級町村制が施行された。この間、1910年(明治43年)には湯川(現:函館市)間に馬車の運行が始まった。 戦前には汐首岬に津軽海峡防衛のための汐首岬砲台(津軽要塞の一部)が設置されており、1937年(昭和12年)には要塞への輸送力確保要請をうけ、戸井線が着工された。しかし太平洋戦争の戦局悪化により1943年(昭和18年)に敷設が中断すると、戦後になっても開通されることなく未成に終わった。
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