一般に流布する通説について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 07:15 UTC 版)
「団十郎朝顔」の記事における「一般に流布する通説について」の解説
以上述べてきたように、柿色(もしくは茶色)の朝顔に「団十郎」と名付けられたのは明治時代以降であり、入谷で一世を風靡した。明治時代から現在(2020年)まで「団十郎」は特定の品種ではなく柿色の朝顔は広く「団十郎」と名付けられて来た。明治時代一世を風靡した「団十郎」は入谷の朝顔の衰退と消滅により廃れた。現在「正統」とされる黄蝉葉「団十郎」は名古屋発祥の黄蝉葉種に由来し、黄蝉葉「団十郎」がいつどこで作出された物かは不明であるが、その起源はどんなに古くとも大正時代以前には遡らない。戦時中は京都の朝顔愛好家によって維持され、戦後愛好家によって栽培が続けられてきた。また戦後始められた入谷朝顔市でも1970年代から「団十郎」が販売されて来た。 団十郎朝顔については様々な通説がある。「二代目市川團十郎が、歌舞伎十八番の内「暫」で用いた衣装の色が海老茶色であったことにちなんでつけられた」、「江戸の昔から栽培が盛んに行われていたが、種子の確保が難しく幻の朝顔と言われるようになった」、「巷では茶色の朝顔を「団十郎」と呼んでいるが、本来は「団十郎」は特定の品種を指している」等である。そのどれもが正しいとは言えない。
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