一般に浸透した考えとの対比
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 05:40 UTC 版)
「内在秩序と外在秩序」の記事における「一般に浸透した考えとの対比」の解説
秩序に関する新しい考えによってディビッド・ボームは下記に述べる多くの一般に浸透している考えに対して疑問を投げかけた。 現象は粒子などの静的な要素の振る舞いについての基本法則により説明される。 人類の知識は本質的に粒子の振る舞いについての数学的な予測に基づいている。 思考と現実の持続的な区別が可能である。また観察者と観察される対象についての持続的な区別が可能である。 ボームの思想はこのような考えと相反するため、多くの人から退けられた。彼のパラダイムは還元主義と相反する。ボームは物理学者の間に浸透している信念として「世界は独立して存在する分割不可能で不変の'基本粒子'により構成され、この基本粒子の振る舞いを知ることによりこの世界の全てが理解できる」があると述べた(Bohm 1980, p. 173)。ボームの秩序の考え方によると、全体を構成する個々の要素ではなく、全体に内包されている秩序に重きが置かれる。この考え方では、粒子などの個別の要素はあるレベルでは実在しているとみなせるが、別のレベルでは単なる見せかけにすぎないのである。この考え方に内包されているのは、あらゆるものは本質的に分割不可能であるということであるBohm 1980, p. 11。 この新しい洞察を名付けるとすれば「流動する不可分の全体性」となるだろうか。この見地では「流れ」は流れの中に生滅する「もの」よりも根源的なものとして捉えられる。流れの中にできる渦は比較的安定した構造を持つが、渦が全体の流れとはっきりと区別された境界を持つとは言えず、全体と不可分なものなのである。 ボームによれば、全体は連続する流れであり、ホロ・ムーブメント(全体の流れ)と呼ばれるのである。
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