明治国家の形成とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 明治国家の形成の意味・解説 

明治国家の形成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:05 UTC 版)

明治」の記事における「明治国家の形成」の解説

1869年明治2年)に、律令制度行政機構復活させ、役所機構整備して宮内省民部省大蔵省刑部省兵部省外務省六省設置したが、律令体制時代存在した中務省式部省治部省三省復活設置されなかった。しかし、戸籍土木租税駅逓通商鉱山管轄する民部省出納秩禄造幣営繕管轄する大蔵省の民両省の官吏は、財政及び貿易問題外国人接す機会多く、また職務実質的合理的思考を必要としたので、1870年明治3年4月太政官が旧朝敵藩の贖罪免除大蔵省反発するなど、しばしば両省の争い政府内の紛乱の種となった。しかし、後に民部省大蔵省統合されると、大蔵省産業財政強大な権力権限集中し官僚社会強固な勢力築き上げた軍事上の改革では民部省大輔軍務官副知事大村益次郎長州藩士)が「農民募り親兵」とする国民皆兵による政府軍作る計画進め1873年明治6年1月10日陸軍山縣有朋中心に徴兵令公布し身分関わり無く20歳上の男子に兵役義務課した(ただし実質的には、徴兵制度例外として戸主徴兵免除され主として戸主以外の三男層や貧農の子弟が兵役担ったため、血税一揆起きた)。兵役は3カ年軍隊直接入隊しない者も、17歳から40歳までの男子ことごとく兵籍与えられ戦争があるときは呼び出されることとなった男子国民皆兵原則である。この原則1873年明治6年)から1945年昭和20年)の第二次世界大戦敗戦まで72年間、人々の生活支配した。しかし、資産家富裕層など財産のある者は例外となった治安面では1874年明治7年東京警視庁置いた華族士族廃藩置県後政府から家禄支給されていたが、1876年明治9年金禄公債支給してそれを年賦支払こととし一切家禄支給停止した秩禄処分)。これにより士族地位著しく下がった外交では1871年明治4年11月12日江戸幕府政権時に西洋諸国間と結んだ不平等条約改正予備交渉欧米先進国文物調査目的に、岩倉具視全権大使大久保木戸全権副使とする大規模な使節団欧米諸国派遣した。この岩倉使節団には伊藤博文山口尚芳中堅官吏随行し1年9ヶ月わたって12カ国を訪問した。その目的一つであった不平等条約の改正成功しなかったが、政府西洋文明実態触れ日本近代化推し進める大きな原動力となった新政府は、日朝国交正常化のため李氏朝鮮外交使節送ったが、李氏朝鮮徹底的な鎖国政策を採り、大院君政府何ら回答もよこさなかった。次いで釜山ある日公館に対して生活物資搬入妨害するなど、朝鮮側日本非難する事件発生。これらの理由から1873年明治6年夏から秋にかけていわゆる征韓論」の論争起こり問題大きくなっていた。6月12日初め閣議議題上った。そこで、政府8月17日閣議西郷隆盛朝鮮派遣使節任命決めた欧米諸国朝鮮進出警戒して西郷隆盛板垣退助らは朝鮮の開国迫り征韓論唱えた。しかし、1873年明治6年欧米視察から帰国した岩倉具視大久保利通らは国内改革優先主張してこれに反対した(明治六年政変)。西郷副島後藤板垣江藤ら5参議下野したのち、江華島事件勃発して1876年明治9年日朝修好条規江華条約)を結んで朝鮮開国させた。また、清国に対して1871年明治4年日清修好条規結んで琉球藩を置き、1874年明治7年台湾出兵した(征台の役)。次いで1879年明治12年沖縄県設置したロシアに対して1875年明治8年)に樺太・千島交換条約を結び、樺太ロシア領、千島列島日本領と定めた。また小笠原諸島尖閣諸島竹島日本の領土とし、日本領域をいったん確定した内国行政では留守政府1872年明治5年2月田畑永代売解禁4月庄屋名主戸長改称7月全国一般地券発行行い帰国した大久保1873年明治6年)に内務省設置殖産興業育成力を入れてお雇い外国人らを用いて富岡製糸場など多く官営工場設立した財政面では、民部省統合した大蔵省大蔵卿大久保大蔵大輔井上馨改正局を設立して井上直属部下渋沢栄一掛長抜擢し1871年明治4年)には各藩藩札等を廃止して新貨条例制定貨幣の単位を円・銭・厘に統一した1872年明治5年)に国立銀行条例制定し国立銀行各地に作らせた。 蝦夷地北海道改められ開拓使を置き、屯田兵などと共に本格的な開拓事業展開した通信では江戸時代の飛脚制度にかわり、まず三府東京京都・大阪)で1871年明治4年郵便事業開始され電信1869年明治2年)に東京-横浜間開通した運輸関連では1872年明治5年新橋-横浜間で官営鉄道開通した海運事業政府保護の下に三菱商会中心に発達した建築等も煉瓦造建物見られるようになり、家々には石油ランプともされ街灯にはガス灯登場馬車人力車が走るようになった軍服には洋服採用され政府官吏順次服装西洋化ていったまた、西洋化する日本市場狙いスタンダードチャータード銀行やフリードリヒ・バイエル、大北電信会社など外資進出相次いだ司法面では法治主義司法権自立三権分立推進するため、初代司法卿江藤新平がその任に当たったが、留守中の長州藩首領近衛都督山縣有朋が、陸軍省御用商人山城屋和助公金費消事件に関わったとされる山城屋事件大蔵大輔井上馨長州藩士)が職権濫用し民間人から尾去沢銅山巻き上げた事件尾去沢銅山事件)、長州藩出身京都府参事槇村正直人民への圧政などを激しく追及裁判所設立予算を巡る対立絡んで3人を一時的に辞職追い込むなどして長州閥を一掃したことで江藤次第政府内から煙たがられ存在となり、留守政府の五参議西郷江藤板垣後藤副島免職発端一つになった1876年明治9年7月28日には新政府費用作り出すため「地租改正条例公布し農地の値段定めて豊作・凶作に関係なく地租地価の3%と定め土地所有者現金納めさせることにした。地主土地所有法的に認められるようになった。しかし地主小作人の関係は変わらず小作人これまで通り小作料現物地主納めさせた。自作小作農負担それまでより軽くならない苦し立場置かれることになった地主は他の農民土地を買い、それらの土地お金換え資産増やしていった。そして一部土地処分して資本家変わっていった。やがて土地を耕すことはすべて小作人任せお金だけ受け取って都市部で暮らす不在地主増えていった。徴兵令対する不満と地租改正反対して百姓一揆がしばしば起こり1876年明治9年)に三重県発生した伊勢暴動東海大一揆)、茨城県などの地租改正反対一揆などを受けて翌年地租率を2.5%に引き下げざるを得なかった。その結果地租納める農民負担江戸時代おおよそ20%減ることになった文化面では1872年明治5年11月太陽暦採用文明開化風潮高まり福澤諭吉西周森有礼中村正直らが明六社結成し著作講演会通じて近代的な学問知識日本国内広めたほか、中江兆民新し思想説く啓蒙思想家現れた。印刷技術進歩により、日本最初日刊新聞横浜毎日新聞」を始め新聞次々と創刊された。全ての国民教育受けられるよう学校制度整備され1872年明治5年)「学制」を公布し全国学校設立された。新政府では寺島宗則神田孝平柳川春三といった学者招聘して運営に当たらせた。教育機関整備では大学寮モデルにした「学舎制」案を玉松操平田鐵胤矢野玄道らに命じて起草させた。宗教の面では神道国民教化図ろうとして神仏分離令出した。これを受け、日本の仏教根付いていた寺請制度に不満を持っていた者も加わり廃仏毀釈が行われる事態となる。1870年明治3年大経宣布行い祝祭日制定した1873年明治6年)には天皇の誕生日を天長節現在の天皇誕生日)、神武天皇即位した日(紀元前660年2月11日)を紀元節現在の建国記念の日)とした。1873年明治6年)にキリスト教解禁。後の大日本帝国憲法定められ政教分離という制度的要請から、国家神道神社非宗教論)に基づく宗教行政転換していった。 明治新政府近代化のための変革あまりにも性急で、国民生活実情無視していた点も多かった。特に、廃藩置県徴兵令士族武力独占破り御親兵近衛兵改称され中央集権企図した地方行政制度である大区小区制は、従来地方自治無視して中央の命令伝達施行しかしない機関設けたため極めて不評で、地方自治ある程度尊重した郡区町村制短期間改められている。新政府枢要な地位はほとんど薩長土肥藩閥人物構成されていたため全国士族特権奪われ経済的に行き詰った政府対す士族の不満が高まった結果民撰議院設立建白書発端士族反乱・自由民権運動起こりついには1874年明治7年)に岩倉具視暗殺未遂事件喰違の変)が勃発した喰違の変の後、大久保利通は、征韓士族に不満の捌け口与えるため、台湾征討手を付けた台湾蕃地事務都督西郷従道任命し、「台湾出兵」を行った1874年明治7年5月に征台軍は蕃地平定大久保利通は、特命弁理大臣となり清国北京にて会談し清国日本国償金50万両支払うとの条件合意した台湾問題片づけ大久保は、西南戦争中にも関わらず内務省主導総裁大久保利通副総裁松方正義の下で、第一回内国勧業博覧会開催製鉄所紡績所を経営して士族授産事業殖産興業進み、それと並行して秩禄処分進められたため、士族反乱乗じなかった士族は、次第ブルジョアジープロレタリアート分解した

※この「明治国家の形成」の解説は、「明治」の解説の一部です。
「明治国家の形成」を含む「明治」の記事については、「明治」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「明治国家の形成」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「明治国家の形成」の関連用語

1
10% |||||

2
8% |||||


4
2% |||||

明治国家の形成のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



明治国家の形成のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの明治 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS