明治四十年の伝道旅行
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1907年(明治40年)9月18日には中田は東京を出発して、岩手県土沢で伝道していた米田豊のもとを訪れ、また盛岡市にいた野辺地嘉吉(天馬)を訪れた。さらに、青森市に行き親戚の娘に洗礼を施した。その後、弘前、楯岡(現、山形県村山市楯岡)を経て帰京した。 10月17日には柏木で純福音信徒大懇親会を開催し、11月6日には、好地由太郎と共に千葉県を巡回し、東金、銚子に行き、都田友次郎の伝道を助けた。11月24日には小出朋治と一緒に新潟に巡回した。12月には伊豆救霊旅行と称して、伊豆、沼津、田子、松崎、青野、石井、二条、下加茂、下田を巡回伝道した。 1908年(明治41年)4月10日中田は再来日したカウマン夫妻をキルボルンとともに神戸港に出迎えた。帰京後、中田らは協議した結果東洋宣教会は役員制度を設けることになり5月10日に発表された。中田が総理、笹尾鉄三郎が副総理になった。この時点で、福音伝道館は全国16箇所にあった。
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