明治大学による赤砦派排除
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:19 UTC 版)
「革命的労働者協会(社会党社青同解放派)」の記事における「明治大学による赤砦派排除」の解説
現代社派、赤砦社派の対立が激化し、明大生協職員が2人も殺害されるという結果が生じたため、「大学の対外的イメージの悪化」を恐れた大学側は、片山美恵子の殺害事件が新聞沙汰となるなかで遅ればせながら強硬策に転じる。これまでの赤砦社派との「共存」を放棄、《双方が殺人の応酬をしており、事実凶器類も押収されるなど、キャンパス全体を生命の危険から守るため…やむを得ず》との大義名分を獲得する。そして公然と突き出されてきたのが警察・ガードマンによる赤砦社派を先頭とした新左翼系活動家の学内からの締め出し。徹底した入構禁止。さらに、生協解体、二大学園祭中止といった対革労協(=生協)施策を次々と打ち出した。駿河台キャンパスでは門や扉に、オープンな敷地構造だけに「通行人にも見える」位置に明大当局の名で『これら以下の者らは本学生ではなく…』と、両派の「明大担当」らしき人物の本名が羅列されたビラが貼りめぐらされた。いわく、『立ち入った場合は直ちに法的措置となる』旨の警告文があちこちに最後通告として掲示される。これらの措置によって明大当局+狭間派の”主敵”である赤砦社派の活動拠点は奪われ、資金源となっていた生協・自治会費からのみかじめ料収入が全面的に断絶される。この措置により赤砦派だけでなく革労協にとっての金城湯池=明大は永遠に失なわれてしまい、全体的にも両派は深刻な打撃を受けた。現在にいたるも革労協両派は明治大学から完全に締め出されている状態が続いている。
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