明治四十三年の伝道旅行
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1910年(明治43年)中田は、大宮市の氷川公園での関東修養会を終えたのち、渡辺善太と一緒に、東北・北海道旅行に行った。仙台、土沢、小樽、旭川、深川、札幌に行った。中田が札幌の森五郎に会いに行くと、独立教会、組合教会、日本基督教会、メソジスト教会、聖公会の牧師たちが、中田をYMCAに呼び寄せて、いわゆる教会裁判を行い、札幌福音伝道館が信徒を盗んでいると詰問した。中田は、「世界はわれわれの教区である」とのジョン・ウェスレーの標語を用いて反論した。
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