レパートリーと評価とは? わかりやすく解説

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レパートリーと評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/16 14:55 UTC 版)

イザベル・ゲラン」の記事における「レパートリーと評価」の解説

ゲラン芸域の広いダンサーで、強靭なテクニック華やかな存在感をあわせ持っているクラシック・バレエコンテンポラリー作品双方踊りこなし、クラシック・バレエでは踊り演じ役柄新鮮な生気与えコンテンポラリー作品では明るさ情感両面見せた評論家のジェラール・マノニは1994-1995年シーズンゲランについて「その溌剌とした、自在なダンス安定感去年までは見られなかったものである」と高い評価与えたゲラン多彩なレパートリー優れたテクニックヌレエフとの出会い多くを負うもので、彼女自身も「私にとって一番輝かし時代始まった」と発言していた。当時40代後半差しかかっていたヌレエフは自ら舞台に立つほかに、若手ダンサー起用指導積極的に手がけ、ウィリアム・フォーサイスのような新進気鋭振付家パリ・オペラ座招いて仕事をさせたり、たくさんの作品レパートリー加えたりさまざまな試み実践したヌレエフゲラン始めとする若いダンサーたちにたくさんの作品踊らせた。その中には踊って楽しかったものもあれば、あまり好きになれないものもあったというが、ヌレエフは「いますべてを踊っておけば、将来これを踊るべきか否か判断できるうになる」と諭したゲランは後にヌレエフ言葉正しかったことを認めて「私が舞台に立つのはその振付とともに舞台立ちたいと思うからなのだということわかってきました。(中略踊りたい作品を踊ることで、百パーセント上のエネルギー舞台で出しきることが重要なのです」と述べていた。 主な初演作品では、キャロル・アルミタージュ(en:Karole Armitage)の『GV10』(1984年)、ヌレエフの『シンデレラ』(1986年義理の姉役)、フォーサイスの『イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッド』(1987年)、トワイラ・サープの『ゲームのルール』(1989年)、アンジュラン・プレルジョカージュの『ル・パルク』(1994年)などがある。1988年パヴロワ賞、1993年にはブノワ賞受賞した

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レパートリーと評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 00:16 UTC 版)

エリック・ブルーン」の記事における「レパートリーと評価」の解説

デンマーク出身ダンサーとして初め世界的な活躍見せた男性ダンサーであり、彼の後にピーター・マーティンスやペーター・シャウフスなどの優れたダンサー続いた。彼はしばし20世紀最高のバレエダンサー評価される。高度で隙のないクラシック・バレエ超絶技巧加えて演劇性と芸術性保ちつつも自身個性強く打ち出していた。 遠くロマンティック・バレエ流れを汲むブルノンヴィル・スタイルの最高の体現者評価され、彼が踊る『ラ・シルフィード』のジェイムズ理想的なものであった。『ジゼル』のアルブレヒト評価高く彼の人物造形はその完成度において一つ典型となった。 ブルーンは古典バレエだけではなく現代作品にも優れ同時代の名振付家たちに多大なインスピレーション与えたジョン・クランコは『ダフニスとクロエ』(1962年)を彼のために振り付けた。舞踊技巧だけではなく高いドラマ性が要求される令嬢ジュリー』(ビルギット・クルベリ振付)や『カルメン』(ローラン・プティ振付)でも彼の演技踊り秀でていた。 ブルーンについては、舞踊評論家共演者パートナーなどもこぞって称賛している。プティは『カルメン』でドン・ホセ踊ったブルーンについて「最高に美しドン・ホセでした」と高く評価し、「『カルメン』での彼は、たとえようもなくすばらしい、洗練された俳優でもありました」と語っている。 一方でジョージ・バランシンとは微妙な関係にあった。ブルーンは1959年から1960年にかけての冬のシーズンと、1963年から1964年の冬のシーズンの2回、NYCB舞台立っていた。ブルーン自身によれば、2回ともきわめて不幸な時期であり、「死んだ同然」で2回目在籍時には胃に穴が開いたほどであった。彼は「バランシンが自分破滅させようとしている」とまで思いつめたという。その時期のエピソードとして、バランシンが1回リハーサルさえないままに、ブルーンに『アポロ』のタイトル・ロール踊らせることに決め、ブルーンがそれを固辞した話が伝わっている。 ダンサーとしてのキャリア後期には、キャラクテールとして『ラ・シルフィード』の魔女マッジや『コッペリア』のコッペリウス博士などの役柄演じた持ち前演技力人物造形深み与え、キャラクテールとしても優秀であった。

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レパートリーと評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 01:32 UTC 版)

エレオノーラ・アバニャート」の記事における「レパートリーと評価」の解説

アバニャートは、古典バレエよりもコンテンポラリーを得意とするタイプダンサー評価される美貌表現力、そして柔軟性富んだ肢体活かしてドラマティック作品からコンテンポラリーに至るさまざまな舞台で優れた踊り演技見せている。 パリ・オペラ座バレエ団1990年代半ばから現代的な路線傾斜し、アバニャートはその流れ乗って注目を集めるようになった。彼女はピナ・バウシュローラン・プティジョン・ノイマイヤーなどの作品を特に好み、「こんなすばらし振付家教えてもらえる機会多くあるオペラ座は、本当にすばらしカンパニーです」と述べていた。 バウシュの『春の祭典』では生贄役を踊り、「踊るというよりも、素の自分さらけだすような役」を経験したことでエモーショナル表現をより強く打ち出すことが可能になったため、古典バレエを踊るときにもその経験活かすことができるようになったプティとは少女時代からの長い交流があり、彼の創作した大きな役柄のほとんどすべてを踊っていた。そして、2013年エトワール任命のときに踊ったのもプティ振付の『カルメンであった。 ノイマイヤーの作品では『真夏の夜の夢』、『シルヴィア』、『椿姫』などを踊った。アバニャートは『椿姫』を「彼の傑作一つ」と評し、「この作品特徴はまず物語がとてもリアルで、人間的だということ。(中略ダンサー演技力大きく試されるバレエです」と述べていた。『椿姫』で彼女のパートナー務めたバンジャマン・ペッシュ2006年インタビューで「彼女はマルグリットにもっとも適したダンサーだと思う。(中略原作から感じ取ったマルグリットイメージはエレオそのものですからね」と答えている。 その他にウィリアム・フォーサイスアンジュラン・プレルジョカージュイリ・キリアン作品など踊っている。2016年2月20日行われたバンジャマン・ペッシュアデュー公演では、彼の相手役としてプレルジョカージュの『ル・パルク』を踊った

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レパートリーと評価

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ヤンヤン・タン」の記事における「レパートリーと評価」の解説

タンレパートリー古典バレエから現代作品まで多岐にわたる現代作品ではバランシンの他、ジェローム・ロビンズフレデリック・アシュトンナチョ・ドゥアトジョン・ノイマイヤーなどさまざまな振付家作品踊っている。とりわけ評価の高いのはタン自身好んでいるバランシンの諸作品であり、『シンフォニー・イン・C』、『ミューズを率いるアポロ』などは彼女生来のシャープ動き存分に活かされている。 そして経歴の節で既に述べたとおり、『エスメラルダ』のヴァリアシオンも彼女の代表的なレパートリーである。このヴァリアシオンでは、笑顔絶やさないままで頭上高々掲げたタンバリンつま先リズミカルに打ち鳴らす技巧称賛受けたフランス文学者舞踊評論家佐々木涼子は、タンについて「非常にさわやかな、こんなひとがいたのか」という印象語った社会学者舞踊評論家海野敏は『バレエ・ダンサー201』(2009年)で彼女の魅力リキテンスタインポップ・アートなぞらえ明るくはじけたアピール力がある」と分析している。 タン2006年インタビューで『ジゼル』を一番好きなバレエ一つ発言し、「同時にとても難しバレエでもあります」と語っている。1幕の「狂乱の場」の重要性について「踊るたびに違うものを私は舞台見出します。(中略)踊るたびにさらに深いものを感じるんです。(後略)」と述べた舞踊評論家新藤弘子は彼女の『ジゼル』について「みごとな踊り」と讃え、「透き通るような美」と高く評価した2018年インタビューでは、自身について自分表現しようとする美と、耐えなければならない痛みとの間の果てしない闘いバランス取ってくるくる回りながら踊り続け修道僧のようだ」と表現している。タン経歴エピソードは、チェルシー・クリントンの『世界にひかりをともした13人の女の子物語』(原題:She Persisted Around the World2018年)やエレナ・ファヴィッリ (en) の『世界舞台に輝く100人の女の子物語 グッドナイトストーリーフォーレベルガールズ』(原題Good Night Stories for Rebel Girls (en) 、2021年)に取り上げられている。

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レパートリーと評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/16 14:49 UTC 版)

ノエラ・ポントワ」の記事における「レパートリーと評価」の解説

ポントワのレパートリーは、ロマンティック・バレエクラシック・バレエ古典作品から近現代の作品まで多岐にわたっている。豊かな音楽性足腰強さ支えられ安定したバランス感覚代表される秀でた舞踊技巧、そして作品対する深い解釈洗練された表現力をもとに、優雅気品ある舞台披露して称賛得た。 彼女は数多く現代バレエ作品初演務めているが、本領発揮したのは古典作品の方であった。特に『ジゼル』のタイトル・ロールは、「フランス人バレリーナによって踊られたもっとも感動的なジゼル」と高く評価された。娘のミテキは幼いころに母の踊る『ジゼル』を見て、「ママ変になっちゃった」と大ショック受けたほどだったという。他にも『眠れる森の美女』のオーロラ姫では彼女本来の気品可憐さが活かされ、『ラ・シルフィード』(ピエール・ラコット版)では繊細な表現力と深い感情表出称賛された。 ポントワ自身は、『ジゼル』よりも『白鳥の湖』のオデットオディール役を好んでいる。彼女の考えでは、『白鳥の湖』の方が「もっと完全な、もっと長い展開を期待できる役」だからという。「しかも表現すべき内容もこちらの方が多い。愛、悪意絶望…。ジゼル心理的にこれほど豊かではありません」とインタビュー語っていた。 レパートリーには、ポントワのパブリックイメージとは一見異なる『ノートルダム・ド・パリ』のエスメラルダや『ドン・キホーテ』のキトリ含まれている。特に前者挑戦しようとしたときは、「不向きだ」と周囲反対受けたものの、それを押し切った。この挑戦で彼女はさらにドラマチックな世界踏み込み、その経験から得たものを以降舞台活かすことができた。 ポントワは、純粋なアブストラクト系統バレエ作品好んでいない。その理由は、作品内部分け入って表現深めるためには「物語とはいわないでも、少なくも本物の感情的動機づけ」が不可欠考えているためである。「レッスンの時でさえ、私は単なるパの訓練以外のものがないとやっていられません。感情面での背景なかったらバレエはただひたすら苦しいばかりですよ」と彼女は述べている。

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レパートリーと評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 11:41 UTC 版)

ローラ・エケ」の記事における「レパートリーと評価」の解説

エケは172センチメートル長身で、美貌加えて優れた舞踊技巧洗練された表現力兼ね備え、フランス・バレエのエレガンス感じさせるダンサー評価されるパリ・オペラ座バレエ団にはステファン・ビュリオン、エルヴェ・モロー、フローリアン・マニュネ、オードリック・ベザールなどの長身パートナーとしても優秀なダンサー多く恵まれた環境である。彼らの中でも感受性という点で相性良いのはエルヴェ・モローだとエケは自己評価している。 2002年入団当時オペラ座ダンサークラシック・バレエを踊るグループコンテンポラリーを踊るグループ分かれていた。トップ成績入団したエケは自然にクラシック・バレエを、踊るグループ配されていた。周囲には「チュチュのクラシック」という印象与えていたため、2005年昇進コンクールでは「あえて自分の違う面を見せよう」との思いから自由作品に『ノートルダム・ド・パリ』のエスメラルダ選んだ。このときのコンクールでは、審査員存在忘れてしまうくらいに踊り純粋な喜び感じたという。 エケはコンテンポラリーを踊る機会少なかったが、ずっとクラシック・バレエ踊ってきたので「コンテンポラリー作品踊ってみたい」とリクエスト入れた。その理由は、コンテンポラリー取り組むことでの成長と、コンテンポラリー新たな動きを得ることによって自らのクラシック・バレエをより深いものにできるとの思いであったその後ウィリアム・フォーサイスなどの先鋭的諸作品にも挑戦して表現の幅を広げている。

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レパートリーと評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/15 04:33 UTC 版)

カルロッタ・ザンベリ」の記事における「レパートリーと評価」の解説

ザンベリは舞踊技巧音楽性表現力優れ、しかも人間的に魅力ある人物だった。イヴェット・ショヴィレは彼女について「テクニックには圧倒されるばかりでした。『シルヴィア』ではいつも、アンコール応えて、あの有名なピチカート踊って見せてくれたものです(後略)」と回想し、ピエール・ラコットは「イタリア派として完璧な踊り手で、パがとてもスピーディーでした。(中略気品があり、とても聡明な人でもありました」と讃えている。 ただしザンベリにとって不運だったのは、彼女のために造られバレエ作品少ない上に、その出来栄え芳しくないものが多かったことであった最初パリ・オペラ座残っていた貧弱なバレエレパートリーから、マウリ持ち役を踊っていた。ようやく彼女のための新作造られたのは、デビュー後8年経過した1902年のことであった。ジョセフ・ハンセン(フランス語版)が振り付けたその新作バッカス』は美術の贅沢さに比べて筋はわかりにくく、しかも振付凡庸というものであった1905年ハンセン振付季節の輪舞』は、称賛されたのがザンベリの演技のみ、1907年の『榛の木の湖』はハンセンが製作中に病に倒れて死去し後任者によって完成こそしたものの、評価低かった。 この時期バレエ新作少なかったのは、オペラ座支配人のペドロ・ゲラール(彼はもともとバリトン歌手だった)が、財政難への対策として資金オペラ方に投入していたことが原因1つであった。さらに1894年火災によって、オペラバレエ衣装装置のほとんどが灰燼に帰したオペラ座では急遽15作品衣装装置新調したものの、そのうちバレエは1作品のみであった1908年ゲラールオペラ座支配人地位失い改善兆し見え始めたパリ・オペラ座生え抜きダンサー振付家のレオ・スターツ(フランス語版)がメートル・ド・バレエ就任しミラノ出身バレエダンサー、アイダ・ボニ(フランス語版)の採用などでダンサー陣容強化された。同年、ザンベリは初めて『コッペリア』の主役スワニルダを踊る機会与えられ、さらに『ナムーナ』の再演でもタイトル・ロール踊った。この『ナムーナ再演により、ようやくエドゥアール・ラロの曲にも正当な評価与えられた。1919年スターツが再振付した『シルヴィア』でザンベリはタイトル・ロール踊って高い評価を受け、その後10年わたってこの役を踊り続けたカミーユ・サン=サーンスは、ザンベリの踊りに対してその抜きんでたリズム感称賛している。 私の『ヘンリー八世』舞台で驚嘆すべき輝き放っている。スコットランドアイルランド民衆歌曲特色しっかりとつかんだ踊りだ。ディヴェルティスマンに、すばらし彩り添えてくれた。 — 『偉大なダンサーたち パヴロワニジンスキーからギエム熊川への系譜』、p.19.

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レパートリーと評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 23:07 UTC 版)

ジュリー・ケント (バレエダンサー)」の記事における「レパートリーと評価」の解説

ケントABT30年わたって在籍し国際色豊かなスター集団中にあって生粋アメリカ人プリマ・バレリーナとして高い人気があった。ケント身体能力の高さや超絶技巧観客驚かせるタイプではなく正確な舞踊技術支えられ軽快端正な踊り情感満ちた表現力作品世界広げていくダンサーである。『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』、『ジゼル』などクラシック・バレエロマンティック・バレエヒロイン踊って好評得たが、それだけではなく『ザ・グラン・パ・ド・ドゥ』(クリスティアン・シュプック振付のようなコミカルな小品的確に踊りこなし、『アポロ』、『スターズ・アンド・ストライプス』、『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』などのバランシンの諸作品では豊かな音楽性流麗な動き見せた最初にABT主役踊った作品は、アントニー・チューダーの『リラの園』(en:Jardin aux Lilasであったケントチューダー出会ったのは、ABT入団して間もないころのことだった。『火の柱』のリバイバル上演指導にやってきたチューダーとの最後リハーサル終了したとき、ケントは「ありがとうございましたあなたと一緒にスタジオにいられて本当に光栄でした」と感謝言葉述べた。その言葉聞いたチューダー驚いた顔をしながらも「どういたしまして」と答えたという。チューダーその後すぐに死去しケント翌年になってリラの園』の主役キャロライン抜擢された。ケント当時回想して「いまになってみれば、それこそまさしくキャロラインのすることだったのだとわかります」と語っていた。 ABTでの主役は、『ジゼル』、『ロミオとジュリエット』、『白鳥の湖』、『マノン』などが続いたケント美質は『ロミオとジュリエット』、『マノン』(ともにケネス・マクミラン振付)や『オネーギン』(ジョン・クランコ振付)などのドラマティックバレエ作品でも存分に生かされた。これらの作品を踊る上でケイチューダーの他にマルシア・ハイデ(クランコ作品を踊る上で有益な助言与えた)などとの交流ケント役作り好影響与えたキャリア終盤には、ジョン・ノイマイヤーとも仕事をして、彼の椿姫』をレパートリー加えて好評得たABTケントチューダー、クランコ、マクミランなどを経てノイマイヤーに続く「物語バレエ作品次々と踊ってきた。文芸評論家三浦雅士ケントとの対談で「あなたがまさに物語バレエ主流位置していることがわかります」と称賛している。

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レパートリーと評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 14:05 UTC 版)

ベルトラン・シャマユ」の記事における「レパートリーと評価」の解説

ロマン派音楽中心的なレパートリーとするほか、アンリ・デュティユーピエール・ブーレーズエサ=ペッカ・サロネンといった現代作曲家新作演奏においても存在感発揮する演奏家である。主要な録音としては以下のものがある。 『亡き王女のためのパヴァーヌラヴェル:ピアノ・ソロ作品集』(2015年録音) 『サン=サーンスピアノ協奏曲第2番第5番エジプト風」他』(エマニュエル・クリヴィヌ指揮フランス国立管弦楽団2018年録音) 『グッド・ナイト!』(2020年リサイタル音源コントロールされタッチ緻密なsubtleダイナミクス使い方 (Sanderson n.d.) といった技術面作曲家魅力様式理解 (桐島 2018) が評価されるとともに例えラヴェル演奏について生み出される音楽硬さは なく(id. 2016洗練された陰影繊細な音色といった抑制された(subdued表現達人(Sanderson, l.c.)であるとも評される

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レパートリーと評価

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 06:47 UTC 版)

タナキル・ルクレア」の記事における「レパートリーと評価」の解説

生涯の節で既に述べたとおり、ルクレアは細身手足長く人目惹く美貌加えて優れた舞踊技巧音楽性恵まれていた。彼女は「バランシン・バレリーナ」を文字どおり体現した存在で、およそ10年ほどの間に25作以上のバランシン作品オリジナル・キャストとなった。バランシン作品以外では、フレデリック・アシュトンの『イルミナシオン』(1950年)、ジェローム・ロビンズの『不安の時代』(1950年)、『牧神の午後』(1953年)などで初演となっている。 バランシンと「ミューズ」たちについて、『バランシン伝』の著者バーナード・テイパーは「創造性という面から見れば、バランシンの人生新しい妻、あるいは新し恋人との出会いによって区切られている」と指摘した。。テイパーパブロ・ピカソを例に挙げて「ときが経てばある若い女性別の誰かにその座を譲ることになるのも当然の成行きなのかもしれない」と記述した同書によればバランシンは肉体的な美しさ絶対視し優れたダンサーを「完璧な肉体を持つオリンピック選手」になぞらえてその美しさ陰り見え始めるたびに苦悶したという。 鈴木晶は、著書バレリーナ肖像』(2008年)でテイパー指摘を「至言である」と評価した鈴木はさらに、「ミューズ」たちについて論じ「トールチーフまでが旧世代バレリーナだったことがわかる。(中略)ルクレアとともにバランシンは新し時代足を踏み入れ、それがファレルにおいて完成したのである」と結んだ。 ルクレアは現役踊っていた期間が短かったため、舞台で踊る姿を記録した映像少ない。それらの中で『フォー・テンペラメント』の初演時リハーサルフィルムでは、白黒不鮮明な映像ながらもルクレアの美質である素早さ軽快さがよく表れている。この映像見た舞踊評論家の上房子は「細部まで明瞭そのもの」と高く評価した上野はルクレアについて「バランシン・バレリーナのイメージそのもの」と評し、「伝統的なバレエイメージとらわれない啓示満ちたルクレアがいたからこそバランシンが造形し得た、新たなバレリーナ像であることを確信した」と記述した

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