試衛館一派
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「ちるらん 新撰組鎮魂歌」の記事における「試衛館一派」の解説
近藤勇(こんどう いさみ) 声 - 高木渉 試衛館の道場主。壬生浪士組局長→壬生浪士組平隊士→新撰組局長。試衛館の面々から、「近藤さん」や「オヤジ」と呼ばれ慕われている。 剣は一般的な日本刀を使用する。仕合などでは丸太の木剣を使う。「剛剣無双」と称される力の持ち主で、丸太の木剣を槍の突きより速く振るうことが出来る。 新撰組局長になっても自ら料理を作る程料理が趣味であり、高杉が新撰組の屯所に訪れた時も自ら手料理を振る舞う程である。料理の腕はあまり良くない様子で、原田、高杉以外からは大不評である。。 仲間の命のためなら、局長の座を降りて土下座をしたり、素手で剣を握って止めたりする心優しい人物。それと共に最強を目指す武士としての心意気を持つ。幼少期は農民の家系で勝五郎と言う名前であり、豪農の恵まれた環境でありながらも、欲深い性格で他人を羨む性格であったが、近藤周助から自身の心の弱さと、心に誠が無いと言われ、己に誠を尽くせと言葉を受けてからは、その言葉を胸に生きていた。 芹沢鴨の暗殺事件では当初は山南の指示で動かない用様言われていたが、総司の鬼子を知ってるため、芹沢鴨と戦うことで鬼子が再び覚醒することを恐れ総司を止めるため、単身で動き出す。途中で平山と戦い重傷を負った土方と共に芹沢の元に向かい、鬼子の状態の沖田と重傷の土方を戦わせないため単身で芹沢鴨と戦う。芹沢鴨との戦いでは自分との鴨の戦力差を理解しつつも、鬼子に堕ちた総司を止められなかったことを後悔しており、死ぬのを覚悟し総司に自身が求め続けた武というものを見せようとした。 河上彦斎による新撰組隊士の襲撃時には、自身が山南敬助の才を絶対的に信頼していたことで、山南敬助が相手の良いように振り回されることなど無いと断言し、全てを仕組んだのは山南敬助であると確信してしまう。前もって山南と共に行った土方の捜索を、永倉新八と原田左之助の2人に頼んでおり、2人に処分を土方に任せると伝言を頼んでいた。 王政復古の大号令後の1867年12月18日に御陵衛士の残党に襲われ負傷してしまい、命に別状は無かったが戦には出られる状態ではなくなり、土方に新撰組を託し鳥羽伏見の戦いの前に病身の沖田と共に大坂に下って療養に専念することになった。尚その時に自身が使う予定だった、対薩長軍刀贋作"虎徹"は佐川官兵衛に自身の伝言と共に託した。 江戸に戻ってからは身体が完治しては無いが、甲陽鎮部隊と名が変わった新撰組の隊士達と共に新政府軍の進撃を止めるため、甲府城の奪取に向かうも、甲府城が新政府軍によって陥落したと知ると、援軍を呼ぶためとして単身土方を江戸に向かわせ、翌日新政府軍を相手に甲州・柏尾の戦いとなり、惨敗を喫する。その夜に、自身はもう戦では十分な働きが出来ないと悟り、隊士達を守ることを自身の最期の仕事にするために、土方や永倉といった組長らを新撰組から除名すると言う決断をする。その後は新撰組の隊士ら共に江戸に戻っていたが、江戸開城を知ると、新政府軍による新撰組壊滅を阻止するためと、徳川家が降伏した後の新撰組が闘うに足る場所として会津藩に向かうために、斎藤に先遣隊として会津に向かう用言い、新八と左之助に隊名を変えて隊士ら共に会津に向かう指示を出し、自身は土方と島田らと共に敵を引きつける役目をだし、最期に新撰組の解散を宣言した。その後新政府軍の注意を引くための撤退戦をしつつ流山まで、敵を引きつけ斎藤や永倉ら他の隊士が逃げ延びたと確信したのちに、逃げ延びた酒屋で土方や島田や市村らと最期に酒を酌み交わし土方を酒に混ぜた眠り薬で眠らせ、島田と市村に自身が新政府軍に偽名で新撰組投降の使者として出頭し、自身が時間を稼ぐ間に他の隊士らと共に逃げ延びるよう最期の頼みを出し、土方が目を覚ましたら手紙を渡す用頼み、新政府軍に出頭した。出頭後、斬首では無く切腹にする用掛け合おうとした有馬藤太に対して、罪人のままで言いと言い、自身が斬首されることで新撰組への憎悪を和らげ他の隊士を生き伸びる可能性を増やすために、あえて罪人として惨めに散ると言う、その覚悟と意図を受け取った香川敬三により、板橋刑場で斬首され散っていった。 沖田総司(おきた そうじ) 声 - 代永翼 試衛館最強の男。壬生浪士組副長助勤→新撰組副長助勤→新撰組一番隊組長。 剣の天才で、得意技は三回の突きが一回で突いたように見える「神速の三段突き」と称される突き。試衛館時代は土方に一度も負けたことが無く、天才剣士と呼ばれており、浪士組結成時には近藤から江戸に戻って天然理心流の五代目を継いで欲しいと頼まれるも、みんなと一緒にいたいと言う理由で拒否した。 鬼子(おにご)と呼ばれる極限状態になることが出来る。これは心臓が通常の3倍の血液を送り出し、全身の筋肉細胞を覚醒することで、超人的な瞬発力を行使可能となる。この状態になると紅に燃える瞳になり、身体の体温が上昇する。芹沢鴨との2度目の闘いまでは、理性を完全に失い殺戮本能のままに動く殺人鬼な人格であった。芹沢と近藤の勝負がキッカケで鬼子を取り込み、理性を保ったまま発動することが出来るようになる。しかし理性を保った状態でも心臓に多大な負担をかけてしまうデメリットがある。 池田屋事変では鬼子を発動させて単身で敵を圧倒してたが、鬼子による身体への急激な負担によって急激に身体の具合が悪くなり戦線離脱してしまう。一度は鬼子を解くも桂が放った一瞬の剣圧に反応し、再び鬼子を発動させてしまう。最後は、喀血後昏倒しているところを近藤によって発見される。池田屋事変後松本良順の診察によって労咳であると診断された。 山南の死後に新撰組のために、自分の感情を抑えて冷徹になろうとしていた土方にらしくないと言い、自身の身体の状態を知りながらも、木刀にて殺気を込め鬼子を発動させる程の本気で土方と立ち会い、立ち会いの中で土方を試衛館の時の狂犬と呼ばれていたころへ戻した。その直後に吐血をしてしまうが、土方に「もともと同じ道を往こうとしてたのでは無く、たまたま往く道が一緒だっただけ」と土方に本来の土方に戻るように言い、長州へ行くよう促し再戦の約束をした。 油小路の変では、当初は労咳で伏せる程の状態であったが、逃げようとした伊藤甲子太郎と相対し、銃の射程まで近づかれた伊藤甲子太郎の喉を鬼子になることで瞬時に刺し殺し、その場にいた藤堂平助に自身の平助に対する心情を告げて、最後は平助に逃げて自分の分まで生きるよう言う。 鳥羽伏見の戦いのころには、鬼子になろうとするだけで吐血する程まで病が侵攻しており、局長代理になった土方の命令によって大坂へと下るよう言われるも、反発した。反発の理由は自分がいないと戦に負けてしまい、大好きなみんなが死んでしまい、これ以上家族を失うのが嫌だからと言うことであった。だが御陵衛士の残党によって負傷していた、近藤のここから先は側にいて欲しいと言う頼みによって、近藤と共に新撰組を離脱し大坂へと下った。 大阪から江戸へ戻ってからは松本良順によって匿われていたが、容体が徐々に悪化していき、その最中に近藤の斬首の報告を聞き、労咳に効くからと飼っていた怪我していた黒猫が家の壁を登っていったのを見届けて、瀕死の状態の中自身を迎えに来た近藤の幻影に涙を流し、眠るように散っていった。 永倉新八(ながくら しんぱち) 声 - 梅原裕一郎 試衛館一の常識人。壬生浪士組副長助勤→新撰組副長助勤→新撰組二番隊組長→副長助勤。神道無念流免許皆伝者。 相手と真剣勝負や出陣をするときは、両腕に鉄甲着用したり鎖を巻いたりしている。他の試衛館の面々と比べると、剣の才能が無いことを自覚している。そのため、その差を埋め勝つために色々と努力をしている。個性派揃いの試衛館の中では山南と並んで比較的常識人的な性格である。史実の左之助と共に新撰組を脱退しての靖兵隊結成は、本作では近藤が新撰組の壊滅を避けるために近藤による指示で結成したことになっており、隊名を変え、新撰組の力を少しでも温存した状態で左之助と共に会津にたどり着くためであった。その後は左之助と共に会津を目指していたが、新政府軍の度重なる追撃に遭い、新政府軍を単独で止めようとした左之助と別れるも土方と再会を果たし、近藤を失ったことでどうすればいいのかわからない心境の中で、土方と共に戦うことを決めた。宇都宮城での戦い後は土方と別行動をしており、土方が長岡から戻って来て蝦夷に行くことを決めた時には自身も一緒に行くつもりであったが、土方から琴のことを頼まれてそれを了承し、琴と共に江戸に向かった。 握力が異常に強く、剣を握っている相手の指の骨を折る「指抜き」や一撃で相手を打ちのめす殴打力の強さに繋がる。さらに、斬られ慣れているため相手の刀を見切り、刀を掴んだり真剣白羽取りするのも得意。 斉藤一(さいとう はじめ) 声 - 木村良平 試衛館一のサディスト。壬生浪士組副長助勤→新撰組副長助勤→新撰組三番隊組長→副長助勤。 一匹狼な性格で峰の部分に凹凸のあるソードブレイカー状の刀を使用する。峰に凹凸があるため、一度相手に突き刺さると刀が抜けなくなる用になっている。斬り合いしながらでも、相手の様子や動きを見る冷静さ観察眼の高さと、ちょっとずつ相手を痛めつけて追いつめていく狂気を持つ。新見はこの性格を「冷静な狂気」「冷たく壊れている」と評している。 1862年位に、同門の田島龍之助を斬った事実から、試衛館を抜け江戸から離れる。 1863年3月ごろ、会津藩士への天誅騒動の折に、琴をつれて田中新兵衛に追い詰められた手負いの土方と京都で再会する。この時から峰の部分に凹凸のある刀を使用するようになる。その後、浪士組に入隊する。 新見錦の粛清の際に阿比留の敵でもあるため、新見を殺す役割を請け、阿比留から借りていた刀で粛清した。 川上彦斎による新撰組襲撃事件の時には、襲撃者が楽しそうで珍しい相手だと言う理由から、単独行動を取り、彦斎から襲撃を受けていた平助と魁のところへ行き、彦斎と交戦する。互いに手傷を負うも、彦斎が撤退したため決着はつかなかった。 御陵衛士が結成した時には土方の指示によって御陵衛士の内部事情を探る役目を請け負い、御陵衛士の背後にいる存在を探り当てた。 鳥羽伏見の戦い後の大坂から江戸への撤退時には、薩長による徳川慶喜と新撰組幹部の暗殺を警戒し、徳川慶喜と松平容保を護衛するため開陽丸に乗船していた。江戸開城後は近藤の指示で近藤からの書状を松平容保に渡すため、先遣隊として会津に向かった。近藤との別れ時に会津に無事にたどり着いたら、近藤から今までの新撰組のために動いてくれていたことに礼を述べられ、あとは自身の好きなように生きるよう言われる。会津にたどり着いた後に重傷を負った土方らと再開し、鉄之助から土方の代わりに新撰組の指揮を取るよう頼まれるも、それを拒む。その後容保と佐川からも同様の頼みをされるが再度それを拒む。その後意識を取り戻した土方から、近藤と同様の言葉を言われるも、それに反発して洋式軍服を着て新撰組を率いる。土方が長岡から戻って来て、蝦夷に行くのを決めた時には寒いのが嫌だからと言う理由で会津に残るのを決め土方らが榎本艦隊と合流する迄の間、会津で新政府軍の足止め役をするのを決めた。 山南敬助(やまなみ けいすけ) 声 - 森久保祥太郎 試衛館の理論派の眼鏡男子。壬生浪士組副長→壬生浪士組平隊士→新撰組副長。 戦う時は刀と飛び道具のクナイを使用する。局中法度を作ったり、軍師として戦術を考えたりと、頭脳面でも活躍している。近藤のことはとても尊敬している。下戸であり、酒に弱い。 禁門の変後に大久保一蔵と密かに会っていた。最初は互いに素性を隠し、さぐり合いをしていたが、互いの素性がわかった後、大久保から自身の卓越した学識と思想を高く評価され、その才を失うのが惜しいと言われ、幕府が滅びる前に新撰組を抜けて共に往かないかと誘われる。最初は新撰組を裏切ることなど出来ないと断るも、大久保から迷っているのなら自分にとって一番の障害である、土方を殺して組織ごと薩摩につかないかと言われてしまう。帰り道でどうすればいいか葛藤していたが、その直後の土方との会話にて迷いを捨てる。だが直ぐに岩倉具視によって河上彦斎が刺客として送り込まれたことで、もう後戻りが出来ない状況にまで追い込まれてしまう。河上彦斎への対策として当面の作を練り、自身は土方と単身で西本願寺に行き、土方の前で新撰組を尊攘派へと鞍替えするためには土方の存在が邪魔であると言い決別を宣言する。そしてその場にいた大量の刺客達に、前もって土方用の策を渡しており、自身は西本願寺を後にする。その後は敢えて京から逃げずにかつて決起集会をした河原におり、そこに来た土方に新撰組を裏切った本当の理由を明かす。そして土方と本気での立ち合いをし互角に渡り合うも敗れて死亡。新撰組の未来を土方に託した。 事前に残していた遺書で、新撰組の後事を土方に一任し、対外的には切腹したと世間に発表し新撰組の鉄の結束を訴えさせようとした。 原田左之助(はらだ さのすけ) 声 - 蒼井翔太 試衛館一の槍の使い手。壬生浪士組副長助勤→新撰組副長助勤→新撰組十番隊組長→副長助勤。種田流槍術免許皆伝者。 伊予松山の出身である。大鎌の刃を仕込んだ太い槍を使用する。基本は槍ではなく大鎌の方で戦う。大鎌の遠心力を上手く利用して、複数の相手の命を一瞬にして刈り取るさまから「死神」の異名で称される。柄の下部に槍に変形するための仕込みがあり、戦闘中に柄の下部を地面などに押すことで大鎌の刃が柄にくっつき、槍へと変形する。 口数は多くないが語尾など「ぞなもし」となり伊予弁である。極度の味音痴でみんなが不味いと言う近藤のメシを美味いと言う。 江戸開城後の近藤からの指示で永倉と共に隊士らを連れての会津を目指しての行軍の中で、近藤を失った土方には永倉が必要だからとの理由で、単身で新政府軍の追手を足止めをし瀕死の重傷を負うが、自身を助け治療をしてくれた姉弟への恩を返すために、弟の小太郎へ稽古を付けるようになり、上野の山を占拠する彰義隊を討伐する新政府軍に従軍した、姉弟の父の仇を討ちに行った小太郎を守るために上野へ向かい、小太郎が仇を取ったのを見届けると、小太郎を必ず返すと言う姉の約束を守るために単身で新政府軍の追撃を止めるため敵を引きつけ、小太郎と最後の約束をし、小太郎を守るため単身で新政府軍を退け、死んでいった。 井上源三郎(いのうえ げんざぶろう) 声 - 綱島郷太郎 試衛館一派の最年長。壬生浪士組副長助勤→新撰組副長助勤→新撰組六番隊組長→副長助勤 温厚でおっとりした性格で非常に寡黙である。ただし、『ちるらん にぶんの壱』では、酒を飲むと泣上戸と笑い上戸(原作では含み笑いに対し、アニメでは大声で爆笑している)になったり、ドラマCDや仮装の際は少しだけ言葉を発している。戦闘ではチャクラム状の刀を両手に持ち使用する。 淀・富ノ森の戦いの前に土方と初めてサシで酒を酌み交わして、今迄の感謝の気持ちを述べた。。淀・富ノ森の戦いの最中、淀藩の謀反が起こり、富ノ森側の味方が長州軍に破られてしまい、長州軍が背後に回ることによっての挟撃で、会津軍と新撰組が全滅必死と言う状況の中、全滅を防ぐため全軍撤退を選択するも、戦線にいる薩摩軍による追い討ちを防ぐため自ら単身殿になろうとした土方を強引に気絶させ、自らが新撰組六番隊隊士と共に薩摩藩の追撃を防ぐ殿を勤め、最後は単身で薩摩軍に斬り込んで行き戦死した。 藤堂平助(とうどう へいすけ) 声 - 古川慎 試衛館の最年少。壬生浪士組副長助勤→新撰組副長助勤→新撰組八番隊組長。北辰一刀流玄武館始まって以来の麒麟児と呼ばれ、15歳で免許皆伝した剣才の持ち主。 島田魁とコンビを組むことが多く、いつも強気で突っかかる。 芹沢鴨の暗殺の際に出会った中村半次郎の剣圧に気圧され心が折れてしまい、以来示現流が相手だと恐怖心で闘えなくなり、池田屋でもそれが原因で額に深手を負う。伊東がその恐怖心に付け入り、阿片中毒になってしまう。 御陵衛士が結成されることになった時には新撰組を脱退すると言い、新八からキレられるもその直後の土方の剣圧によって、本音が浮かび上がり、御陵衛士に入ることを宣言してしまう。 油小路の変時は、伊東が沖田に斬られるのを間近で見て怯えるが、弟が欲しかったという沖田に逃がしてくれた。だが、状況を知った御陵衛士達に殴られ、沖田を始末しようとする御陵衛士達を阿片によりかつての戦闘能力を失いながらも、全力で止めて、全滅させたがその時に自分も斬られて戦死した。その時の顔はとても明るそうな顔だったという。 阿比留鋭三郎(あびる えいさぶろう) 声 - 益山武明 試衛館の良心。斉藤一とは同い年で特に仲良し。カッターの刃のような柄ですぐに切り離しが可能な刀を使用する。 試衛館のみんなと共に京に上洛し会津藩預かりになってすぐに、長州の久坂玄瑞から情報を流せば兄を殺した「阿修羅の男」の居場所を教えると取引を持ちかけられる。阿比留はその取引に応じ、裏切り者となる。 久坂の手引きで仇の「阿修羅の男」に出会うが、そこで仇が新見錦で自身は利用されたと気付き、激昂し斬りつける。だが新見の、兄の刀だと言う言葉に動揺し、胸に毒付きの刀を一刺し喰らい、今際の際に兄と話して絶命する。彼の死は斬られた事実は伏せられ、病死とされる。 島田魁(しまだ かい) 声 - 落合福嗣 壬生浪士組諸士調役兼監察→新撰組諸士調役兼監察→副長助勤。片腕で岩のダンベルを持ち上げる筋骨隆々のドレッドヘアの男。棍棒を使用する。 壬生浪士組結成時に入隊したが、試衛館一派の9人と新見錦の粛清や芹沢鴨暗殺を共に行動するなど、戦力や仲間として人数に数えられる程信頼されている。 藤堂とコンビを組むことが多い。
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